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栗山民也×田中圭のタッグ再び〜『夏の砂の上』初日 そこに田中圭はいなかった(ネタバレ)〜

2022年10月3日。
世田谷パブリックシアターにて、田中圭主演『夏の砂の上』の幕が無事上がった。
いよいよ大楽までのツアーの開幕。
どれだけこの日を待ちわびただろう。
当日は小春日和の大晴天!!幸先いい!
さすが晴れ男な圭くん!!

今回はモバ以外友の会は外れてしまったので、4回連れて行ってもらうことに。
初の初日観劇。こんなに良いものとは。

席は楽日以外はほとんど上手。肉眼でも見えるし、双眼鏡をのぞけばそこにはドアップの圭くん、いや、治さんがいた。
そして何より楽日はセンターブロックの神席。
初日の舞台を観て今から震えている。

1.栗山民也×田中圭の『CHIMERICA チャイメリカ』

栗山さん×圭くんといえば、まず触れておきたいのが『CHIMERICA チャイメリカ』。

元々『CHIMERICA チャイメリカ』は、1984年生まれの英国の若手劇作家ルーシー・カークウッドによる劇作で、2013年5月アルメイダ劇場で初演され、2014年ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞を含む5部門で受賞した社会派戯曲。
天安門事件という歴史的事件を背景に、空間・時代を行き来する複雑な構造の舞台。

カメラマンでたまたま戦車の前に買い物袋を手にした男の人を撮る19才のジョー。捕まらないように必死にホテルの窓からカメラを向ける。
このジョーが圭くんの役どころ。これは実際にある写真。
かく言う私も目にしたことがある。

この写真は“戦車男=タンクマン”として世界に衝撃を与えることになった。でも、衝撃的な写真を撮れたのはその一枚。

それから23年後、旧友からこのタンクマンについての情報を手に入れるジョー。
この男性は一体何者だったのか?
なぜ彼は買い物袋を両手に提げ戦車の前に立ちはだかったのか?
という疑問の元、ジョーのタンクマンを探す旅が始まる。
満島真之介くんやその兄の眞島秀和さん、倉科カナさんとの会話劇。

最終的にその戦車の前に立った人は真之介くん。
彼女が天安門事件に巻き込まれて亡くなった時着ていた服を買い物袋にいれて立ち塞がった。
圭くんは彼をヒーローだと思って慎之介くんに語っていたが、慎之介くんにとっては悲劇の瞬間だった。

この謎が解かれた時の衝撃はすごかった。
映像化して欲しい作品の一つだが、海外ものは色々な大人の事情があって映像化されないらしい。
今このお話を同じメンバーで再演したら一体どうなるのか?
時を経ての再演で、また何かが変わっているかもしれないから。
そう思う程、素晴らしかった。

圭くんはもちろん、真之介くんのお芝居にも引き込まれた!カナさんの声量があることにも驚いた。普段のドラマでは気づかなかったから。
2人ともこんなお芝居をする方だったんだ!!と。

2.そして再びのタッグ『夏の砂の上』

ある地方都市、坂のある街。
坂にへばりつく家々は、港を臨む。
港には錆びついた造船所。
夏の日。

造船所の職を失い、妻・恵子に捨てられた小浦治のもとに、家を出た恵子が現れる。恵子は4歳で亡くなった息子の位牌を引き取りに訪れたのだが、治は薄々、元同僚と恵子の関係に気づいていた。
その時、治の妹・阿佐子が16歳の娘・優子と共に東京からやってくる。阿佐子は借金返済のため福岡でスナックを開くと言い、治に優子を押し付けるように預けて出て行ってしまう。
治と優子の同居生活が始まる。
世田谷パブリックシアター 夏の砂の上HPより引用

そして圭くんが栗山さんとのタッグを望み、栗山さんが用意したのがこの『夏の砂の上』。
最初からタンクトップ姿の圭くんこと治さんにタナカーとしてはやられた!!!マネさんがあげてくれた写真より、やっぱり生で見る腕筋!!!胸板!!!
確かにジムに行きたくなる気持ちはわかるが、いや、いや、これも良い!!!

そんな出だしの私の興奮を吹き飛ばすかのように、お芝居は重い。

舞台のセットは本当にシンプル。ちゃぶ台と階段と柱。時間の経過はスクリーンに映し出される色で表現。
シンプルな舞台。

そんな初日は開始早々地震があった。
会場でも少し動揺の声があがった。
そんな中、舞台上の治さんは、
「地震かな?」
というような顔つきでゆっくりと斜め上を向く。

それがまた自然で。
この治さんを生きる圭くんを見て、一気にお芝居に引き戻された。
一度幕が上がればそこに田中圭という存在はいない。
ただそこには小浦治がいるだけ。
それがこの本番中に地震が起きるというレアな体験からものすごく感じとれた瞬間だった。

物語は終始重い雰囲気が漂う。
タンクトップにお弁当を提げて登場する出だしから、治さんはゆっくりとした足取り。気だるく、人生に疲れた男が1人、買ってきたお弁当を机の上に置き、猫背になって食べ始める。
一人で食べるご飯。味気ない日常の一コマ。
職を失うというあらがえない現実をただただ受け止め、淡々と生きるのが治さん。
だからセリフも本当に圭くんが言っていたように少ないし、全編長崎弁。
この方言がまた物語を作りあげている感じがした。これが標準語ならこの雰囲気は出ない。
淡々と語るからだろうか、普段の会話劇でも、刹那的でやるせなくて哀愁が漂う。

実際に治さんが体験したわけではないが、話には出てくる原爆の地、長崎というところがまたこの物語に影を落としているように思えた。

治さんがお弁当を食べ始めたころ、突然妻の恵子が亡くなった息子の位牌を取りに登場する。
更には、唯一破壊的なおしゃべりで迫る借金まみれの治さんの妹がやってきて機関銃の如く喋り倒す。この舞台の一種のスパイスになっていた。

この妹の話を聞く治さんは何回も何回も小刻みに瞬きをする。
妹が繰り広げる話への心の動きがこの瞬きに現れていた。
瞬きの多さで圧倒的な妹からの威圧感を物語り、借金がありながらも新しくスナックを始めるということに対する動揺を表現してるように思えた。

対して、後半、妻の不貞をはたらいた相手と対峙するシーン。
これについては後半にまた記載するが、この時は(多分この時だったと。とにかく後半に多かった)瞬きをずっとしない。
じっと相手を見据える。

セリフの量も口数も少ない分、丸まった背中、瞬きと体を使ったお芝居。
それが今回のキーポイント。
これが栗山さんが圭くんにさせたかったお芝居。そして私も観たかったお芝居。

その後、治さんの妹はスナックを開くからと、姪を治さんに預ける。突然姪と暮らすことになった治さん。
この姪がおとなしそうに見えて意外とやんちゃだった。
逆に何もなかった治さんにとってこの姪との暮らしはちょっとした変化でもあるが、本来が受け身な治さんにとっては蚊に刺されたくらいの刺激だったのかもしれない。
それほどこの治さんという人は、全てにおいて人生を諦めているように見えた。時期は夏。ミンミンゼミが鳴いている。治さんとは対照的に必死で鳴いている。この対比が面白い。生きることに必死なミンミンゼミと、抜け殻のような治さん。
そんな治さんだからこそ、妻の不貞を疑いつつ、何も言わず飲み込み、姪を預けると言われても結局そのまま預かってしまった。

唯一人間臭くなるシーンがあった。
それが雨が降った日のこと。
水欲しさに姪と共に雨を溜めに走る2人。
雨水を飲むということに躊躇している間に姪が飲む。
美味しそうに雨水をこぼしながらめいっぱい飲み込む。
姪に飲まないのか言われムキになったかのように治さんもガブガブ飲む。今までの姿が嘘のように人間らしい姿。
治さんは美味しいと言って笑う。この時初めて治さんの心の底からの笑顔が見られる。
このお芝居唯一の本当の笑み。

その後は元職場仲間の死があり、また暗さが漂い出す。
亡くなる前に治さんの家にお酒に酔って泊まっていった人物がその数日後に亡くなる。
当たり前にいた人が当たり前じゃなくなる現実。
それもまた治さんは泣き叫ぶでもなく受け入れる。
また最初の治さんだ。
その後、前述した妻の不貞相手(この人も同じく元同僚)との対峙場面になる。
ここでは瞬きをしない治さん。
ここにやっと人間らしい怒りを見る。
心の中に静かに溜まった澱を出すかのような視線で相手を見つめる治さん。

その後、再就職先が決まった治さん。
そこでは毎日毎日同じ労働作業が続く。
骨を砕く作業(だったかな?)。
この場面で、治さんが動く。
包丁で叩きつける様を、机に、ドンッ!ドンッ!と手を叩きつけながら再現する。
まるで毎日の鬱憤を晴らすかのように。自分の人生への反抗のように。
きっと、治さんの性格上、感情を上手く表に出せない。だから溜まりに溜まった時に爆発する。それがこの瞬間であり、伏線でもあった。

そう、包丁で叩きつけた先に治さんの指が3本あったのだ。そうして治さんは指を3本失ってしまう。
なのにまたいつもの治さん。
なくなった指を鍋に入れてしまったからくっつけられなかったと、また来ていた妹に話す。
指を3本も失い、仕事も休めと言われ実質的に首になったのに、また受け身の治さんになる。
やっぱり治さんは諦めの人生を送っている気がする。

そして最後。
妹が娘とカナダに行くからと治さんに告げる。
一旦出ていく2人。
戻ってきた姪は言う。
カナダじゃなくもっと遠いところ。アラスカでもなく…と。
これはきっと死を意味している。
そして治さんに被せる麦わら帽子。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? 谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」
これを書いてる時にふと思い出した有名な『人間の証明』のセリフ。
帽子はアクセントになりやすい。

姪はどんな気持ちで治さんに被せたのか。
自分の存在を治さんに覚えてて欲しかったのか、いつかこれを見て思い出して欲しかったのか。
治さんはやっぱり受け身の姿勢で、2人を止める訳でもなく、その場から動かない。

受け身、虚無感、脱力感、諦観。
淡々と流れた時間はここで終わる。

鳴り止まない拍手。

ここまで書いてこのお芝居を考えてみる。

人生とは。
を語りかけてくるようなお芝居だったな、と。

当たり前が当たり前ではない世の中。
流行病で止まった舞台、世の中、そして動きだした今に合っている題材。

誰しもがある人生での岐路。そのまま受け入れるのも感情に表すのも人それぞれ。

治さんには岐路が多い。それを全て受け入れる諦観。たまに静かに溢れる想い。だがそれは他人に気付かれないような小さな表れ。
そしてまた飲みこんで治さんは生きていく。
こうした想いを少ないセリフで田中圭という役者は全て表現しようとしている。
そして彼は言う。
この舞台は変わっていく、と。
表現の仕方によって、さじ加減によって、その場で感じたものを掴んで、きっと変わっていくのだろう。

そしてこのお芝居のタイトルは『夏の砂の上』。
カラカラだ。
そこに水を垂らしたらすぐに染み込む。
そしてまたすぐ乾く。
私が観た治さんは正にそれだ。
あの雨水を飲んだ時、治さんの砂漠のような心に水が流し込まれ人間らしい表情になった。それは姪の存在がそうさせた。変わらなかった日常が唯一変わった、そんな瞬間。
その姪はもういない。
時が経てばまた乾いてしまう砂のように戻る治さんの日常。
何も無い日常。
このタイトル自体が正に治さんのことなのではないだろうか。


お芝居終了後に万感の表情をする圭くん。
カテコは4回。
でもスタオベにはならず。
だからちょっと戸惑いつつ出てきて相談して両側にも深いお辞儀をしていた。
この相談してる様が可愛かった。

初回ではざっくり感じたことはこれだけ。
というか、書いてるうちにこうだったのかも、と感じてしまったから、次回は戯曲を読んでの答え合わせをしてくる。

あと4回で私の気持ちはどうなるのか?!
圭くんのお芝居はどうかわっているのか?
ちゃんと圭くんの想いを掴めるのか?!
不安でしかないけどwww

3.番外編 タナカーへのサービスショット

最後にこの舞台のタナカー的喜び要素をwww
まずは登場と最後のタンクトップから出される腕筋にやられるよね。胸板にやられるよね。
ありがとう!タンクトップ!って思うよね!!
そして途中で下手から出てくるおパンツ姿!!
チャイメ、OL劇場版、いつもサービスありがとうってなるよね!!
さらには、『不協和音』で見せて以来の脇毛!!思わず双眼鏡で覗いてしまったわ!!キャッ!!
そしてそして、なんと言っても生のタバコ姿!!!!!鼻からも吐き出される煙!!!
タバコを吸うシーンは何回もあるんだけど、そのたびに、嗚呼、そのタバコになって圭くんの体の中を通って鼻から吐き出されたいと思ったよね!!!しかもにおいが私の鼻腔を通って体内に!!!
楽日も神席だけど、モバの席もなかなか!絶対この2つも燻る煙を感じられる!!!
ダイ○ンになって吸い込もう!!!

え?こんなにこーふんしてるの私だけ?www

4.初日コメント

栗山さーん、ネタバレってますーw
圭くんは圭くんらしい言葉で語ってるね!

次は戯曲を読んで観劇しよう!
また何か違う風景を掴みたいから。

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