見出し画像

自分の核から放出されるものをいろいろな表現によって出力する表現者 山縣有斗さん

俳優、脚本家、演出家、絵描きと様々なアートの世界に身を置き、表現している山縣有斗さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:山口県下関市
活動地域:主に東京
経歴:自分自身が感じた事を、様々な媒体を通じて表現するアーティストとして活動。
また、芸能事務所や俳優学校の演技ワークショップにて指導する。
2017年より、杉並区在住の被曝者の方々の体験を、朗読や手記の紹介というかたちで、次世代が触れる機会を作ろうと、「非営利団体 ここなみ舎」を設立。
平和活動のひとつとして、カフェ、ホールなどで朗読イベントを企画、出演、総合演出を兼ねる
現在の職業及び活動:俳優・脚本家・演出家・絵描き
座右の銘:リラックスしましょう

自分の持っているツールを役立てたい

Qどのような夢やビジョンをお持ちですか?

山縣有斗さん(以下、山縣 敬称略):20代の時は一旗揚げようというガツガツしたものがあり、ギラギラしながら自分が一番だと思っていました。けれど震災があってから、ビジョンがまるっきり変わってしまいました。その時から自分の持っているツールを何かに役立てたいと思い始めました。ライフスタイルとして表現をしていきながら、いろいろなものを見て、自らも経験して、また生み出して、それを人の役に立てていきたいと強く思います。

今を知らずして一歩は進めない

Qそれを具現化するためにどんな目標計画をたてていますか?

山縣:近い将来を一歩一歩進めるのが目標計画だと思います。その一歩一歩が自分を役立てること、自分が大事にしているものをちゃんと使うことだと思っています。
今を捕まえないと、未来の心配や、未来の楽しみに押されて、「今この瞬間」を謳歌できないと思います。今を捕まえないことで、だらだら、だらだらと思うようにいかず、悪い方向へ流れて行くような感じになります。今を知らずして一歩は進めません。それをスルーして、自分の好きなことだけを求めていては豊かにならないと感じています。だから大きな目標に向かって走っていくのではなく、今この瞬間どうなんだろうということを大事にして、一歩一歩進んでいる感じです。

社会で起きていることを知ろう

Qその目標計画に対してどのような活動指針を持ってどのような基本活動をしていますか?

山縣:原発や環境汚染のこと、政治のことに関して、皆あまりにも無関心だと思います。なので、お互い社会で起きていることを知って、地球という海に活かされている私たちであるということを知った上で、行動していこうという思いを持っています。
活動としては非営利団体ここなみ舎を立ち上げました。ここなみ舎でのイベントは被爆体験者の方の手記を朗読しています。被爆体験者の方のお話は図書館に置かれているだけでは読む人もいないのです。被爆された方はなんとか次の世代に残していかなければならないと手記を書いています。この貴重な体験の手記をお知らせしたいという思いでつくりました。
また、それだけではなく、様々な詩や文学や小説を朗読したり、私のオリジナル作品を発表したり、脚本にして伝えたりなどをしています。

最近ではノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)で、代表スピーチをしたサーロ節子さんの演説の朗読を必ず入れています。私は総合演出をしていますが、ここなみ舎全員がこのスピーチの重要性をとても感じていると思います。
個人的な活動としては演出家、脚本家、俳優、絵描きをしています。


人生とは何か

Qそもそもその夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?
そこにはどのような発見や出会いがあったのですか?

山縣:3.11の震災後に俳優が全く役に立たないのではないかと思いました。必要なのはエンターテインメントではなくて、現地に行って助ける人であったり、報道する人であったりします。何か支援する為に舞台をする、映画を撮るなどにしても沢山の人を集めないといけないですし、一人では何もできないということを実感したのです。
何か一人でもできる事をと考えた時に、どうしても「表現」ということをしたいと思いました。その自然に出る思いは止められないのだと感じました。子どもって感じたら即、表に出したいという衝動があると思うのです。それが、今もずっと私にはあるのです。そして、その時に、私には絵が手段になったのです。
私は思いっきり絵に戻ろうと思い、絵本を描きました。それが2カ月で40ページくらいの超大作になりました。「我々が自然の一部である、災害に対しては受け入れていくしかないんだよ」という内容の絵本です。それを泣きながら書いていました。
その絵本を書いたことで、演劇のプロデューサーだった方が「個展を開きましょう」と声をかけてくれて、そこから絵を通しての付き合いが始まりました。それを見て感動したとかというのではなくて、震災によって「わぁっ」と感情を出してしまった人がいるんだねと絵を見にきてくれた方が思ってくれたらいいのです。共感を求めるのではなくて、何かをしたくてもできなかった人がいるということを知ってもらいたいと思いました。

記者:震災がきっかけだったのですね。震災が起こっても世の中にはショックを受けない人もいると思いますが、なぜこの時ショックだったのですか?

山縣:震災が起こる前にいろいろなことに気づき始めていたました。2009年くらいに新宿派遣村というところに取材をしに行きました。ホームレスの人の話を聞いて、炊き出しや、夜回りも行きました。
その当時私はホームレスは怠け者と思っていたのですが、実はそうではないことが分かりました。
その人たちは仕事を選ばずに、人がやりたがらない仕事を頑張ってやってきました。そして最終的に動けなくなり、働くことができなくなった人たちです。そこに社会のひずみを感じたのです。
ホームレスの方は自分の戸籍を売ってしまったり、「いい仕事がある」と紹介されたら原発の掃除の仕事で被爆してしまったり、怪我して動けなくなって住むところがなくなったりなど、そういう状況で頑張って生きている人たちなのです。空き缶を集めていたりもしますが、何グラム数円という世界でお金にはなりにくいし、空き缶を集めるのも大変です。むしろ私たちより頑張っているという事を知ったのです。テレビなどで伝えているイメージと全く違うことがショックでした。
正直者がバカを見るというのを目の当たりにしました。素直に頑張ってきた人が汚い目で見られることが我慢できませんでした。
また自分がぬくぬく育ってきてたこともあると思いますが、知らなかったということの恥ずかしさもありました。それも衝撃でした。

またこの出会いから、この状況が明日は我が身と知りました。
仕事が全然来なくなったら、翌日だって自分が生きていくことは難しいと思っていたので、自分と彼らは同じ境遇と思っていました。今それを思い出したのですけど、思い出すだけできついです・・それがあったから自分の無力感を感じました。その無力感が震災の時の無力感につながっていると思います。
人が人と関わり合いが無くなった時に人ではなくなってしまうようなことを感じました。人が信じられなくなり、拒んで、拒んで、拒んでとしていると、関わり合いがなくなっていきます。それが彼らだけの原因ではなくて、その信じられない原因をつくったのもシステムや役所の窓口の対応であったり、我々側にもあるのです。
その当時、これらのことを脚本に書き、実際に舞台で上演しました。その時は、某NPOで回復中のホームレスの方もいらして、「俺たちの状況をよく言ってくれた」「今まで誰も言ってくれなかったよ、ありがとう」と言ってくれました。ホームレスの方の話しを私が舞台で表現したことで、彼らの役に立ったのだと感じた瞬間でした。
それと同時に劇中でホームレス役の人が「僕は人の役に立ちたいんです」というセリフを言う場面があります。私の中にも「役に立ちたい」という思いがあったことに気が付きました。

記者:とても大きなショックがある出会いだったのですね。

山縣:それらのことを通して「人生とは何だろう」といつも思うようになりました。
ゴーギャンという画家が言った言葉があります。「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへいくのか。」そのキーワードが胸に刺さり、すごく考えました。

小さい頃からやっていたことが今につながっています

Q演劇や絵を描くことをする背景には何があったのですか

山縣:小さい頃からやっていたことが今につながっています。絵もほめられるから描いていました。
また小学4年生の時に月一回で学芸会がありました。その時に私が脚本を書いたり、演出をしたりして、毎回優勝していました。
それから小学5、6年生の時には学級新聞を書くことになりました。クラス全員が書く中、毎日書くクラスメートがいました。一体どういうつもりで書いているのかと思いながら、自分も負けられないと毎日書いていました。それによって書く力がついてきたのだと思います。しょうもない世界も広がりました。例えば、「鉛筆が転がった」ということを書くために、原稿用紙一枚を使ってしまったような書きか方をしていました(笑)。
映画も大好きでずっと見ていました。金曜ロードショー、日曜洋画劇場、レンタルビデオもいっぱいみて楽しかったです。山で秘密基地を作る時はランボーになりきってました。小学校の時は何の制約もなく楽しかったです。
自動車で1時間半くらいかかる美術館にもよく連れて行ってもらってました。その頃やっていたことから抜け出せない感じです。

本来は演技はしないもの

Q:山縣さんにとって演技とはなんですか?

山縣:人生を豊かにするものです。演技とは演技するものと思っている人が多いと思うのですけど、本来演技はしないものなのです。それは自分の感受性を使うという事です。実は今、日常で皆さんは演じている方がほとんどなのです。
自分が本当に感じたことは、我慢して抑えるとか押し殺すとかしていたりします。演技の場合だと、それがオープンになります。腹が立ったら腹が立った顔になっていいし、むしろその感情がにじみでても構わない状態です。嘘をつけないのが本当の演技です。

心豊かにいきましょう

Q:今読者の人に伝えたい思いはありますか

山縣:心豊かにいきましょう。心豊かというのは相手に対してオープンなことで、相手の悲鳴が聞こえると思うのです。嬉しいことも含めてですけど、開かないと聞こえないのです。

記者:心豊かになるというイメージが新しい感じがします。演技においても、実際の生活でもとっても大事なことだと思いました。人間の涙をとても感じる貴重なお話をありがとうございました。

*************************

山縣有斗さんに関する情報はこちらから
↓↓↓

HP:https://aritoart21g.mixh.jp/

FB:https://www.facebook.com/arito.yamagata

ここなみ舎https://www.facebook.com/kokorowave/
各種イベント情報も掲載されています!!

*************************

【編集後記】
インタビューを担当した善家、村田、石川です。表現のツールを多彩に持っていらっしゃる山縣さんですが、伝えたい思いは「何かの役に立ちたい」その思いは山縣さんに限らず、人間であれば誰しもが持っている思いだと思います。
山縣さんが演出、出演された朗読劇「たぐる そして 未来へ」を以前鑑賞させてもらいましたが、「被爆者の思い」というところで、心がとても熱くなるのと同時に今の平和を思う時間になりました。
インタビューをさせていただいて、山縣さんの思いに触れることができて嬉しかったです。
山縣さんの益々のご活躍を応援していきます。

この記事はリライズニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?