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「1年前の激動の浪人時代 前編」


あけましておめでとうございます。1年の成沢です。前回の自己紹介から時が経ち、18歳から19歳になりました。今回noteは受験シーズンを迎える中での、私の「少し変わった浪人時代」について書いていこうと思います!では早速、振り返りたいと思います!
約一年前、県駅伝で脱水症状になり、救急搬送され、その後初めての大腿骨疲労骨折という怪我を経験しました。当時、某大学に進学がほぼ決まっていたものの、手続きのミスで進路がまさかの白紙に。
この連続の出来事に頭は真っ白。
「これは人生終わったかもしれないな…」という思いに当時は襲われました。
悩み抜いた結果、「ここまで落ちた人もいないのでは?」という考えに至り、「失うものはない!」とポジティブに捉えました。笑
最終的にこれは大逆転のチャンスだ!と考えて切り替えました。
ただ、何を持って大逆転とするかは当時の私にはわからず、悩みました。そこで、様々な大学の理念や本を読み漁り、そこで出会ったのが「ビリギャル」でした。この経験を通じて、「よし、第2の新しいビリギャルになろう」と決意しました。


決意した成沢ですが、まさかのスポーツ推薦が慶應には存在しないことを知り一時的にまたも絶望しました。時期が時期だった事もあり、なんとかして現役で入れる方法を必死に模索しました。
そして、運命的に9月入学のAO入試を見つけ、その中で求められる人材や理想とする学生を知りました。AO入試を自身に当てはめ、「今までにやったことのない尚且つ強みのある陸上を活かせるかつ、怪我の経験を生かせる方法」を考えました。
その中で閃いたのがケニアに行くこと。高卒で単身ケニアに行くなんて誰もやったことがないだろうと思い、脳内はケニアでいっぱいになりました。

ただ、両親に相談したところ大反対。

当然ですよね、、、
他大学のスカウトもありがたいことにあり、全てを断ってのケニアだったからです。しかし、ケニアの素晴らしさをプレゼンし、生きて帰ることや大学合格の条件を提示し、最終的には許可を得ることに成功しました。
しかし、ケニアに行くためにはどうすればいいのかが大きな壁でした。そこでインスタグラムでケニアについての情報や行き方などをリサーチ、聞き込みを行いました。そこでとある留学生をスカウトしている日本人の方に出会いケニアに行くことをサポートしていただきました。そして、ついに3月に同期が入寮や入学を迎える中で僕は日本を出国しました。(ちなみにケニアに行くには黄熱病ワクチンが必要でした。笑)

この出来事が11月から3月までの出来事です。いやー、改めて振り返ると濃いですね!

次回 ケニア到着 もお楽しみにしていただけると幸いです。


最後に、「自分の運を自分で乗り越える」これは僕の大切にしている言葉の一つです。周りのサポートあっての挑戦ではありますが、今年も「今」を全力で、自分の運を自分で乗り越えられるように努力します。長くなりましたがお付き合いとありがとうございました。次は、テストに追われている稲生くんです。

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