33
僕は今、33歳だ。
イエス・キリストは33歳で処刑されたという説もあるし、佛教では33は聖数のようだし、純粋太陰暦では33年で季節が一回りみたいだし、しし座流星群も33年周期で大出現する。
33っていう形はチューするときの唇が2つ並んでるようだし、漫画で眼鏡の奴が眼鏡を外した時に描かれる目の感じだし、お尻2つ横にしたようにも見える。
クソみたいな占い師に33歳の年に色んな出来事があると言われた。そりゃ、生きてりゃ悲しいことも楽しいこともあるわ。
ちょっと変わったとすれば、俺を本気で大事にしてくれる人には、俺も本気を出さないといけないと思えるようになったような気がすること。
メールやLINEで薄っぺらいことを言う奴とは隔絶した。父母が携帯を持たない意味も少し分かった。「おれがどこにいて何をしてるか知らんのに、よう自分勝手に電話してこれるよな」というワガママな父に俺は似てきている。
俺も自宅に電話ひいて、携帯を持たないようにしたいもん。
なにが『ケーちゃんの仕事ぶり、見てる人はちゃんといるからね!』だ。
なにが『いつでも見守ってるよ』だ。
そんなのは亡くなってしまった大好きだった祖父と祖母に対して俺が思ってたり、ご先祖さまたちがおれに思っててくれたりするようなことじゃないのか?
今生きて会える人には会わなきゃダメだ。
会いたいときはすぐに会いに行かなきゃダメだ。
"生きてるうちにこうしておけばよかった"
なーんていう奴らは、そんなこと本気で思ってないだろ。
城山の下の秋の公園で、フレッドペリーのポロシャツと作業ズボンを着てnew balanceの汚い靴を履いた33歳は、ミニバレーをしてるおばちゃんを眺めながら、『あー銀杏臭いなぁ』ってボソッと言う。
この魂のゆくえは、きっと京都音楽博覧会でくるりを聴けば、成仏する。かもね。
墓参りしなきゃな。
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