人間が動物である限り、男は男らしさを捨てられない

女性の方に質問します。ある男性と知り合ったとします。その男性からデートとして食事に誘われる時、どのような誘われ方が好ましいと思いますか?次の二通りから選んでください。

① 「もし良かったら、今度は二人で会ってもらえない?いつ空いてる?私はいつでも大丈夫だから、都合が良い日を教えてよ。それと、どんなお店が好き?何が食べたい?予約取るから、行きたいお店があれば遠慮なく言ってね。」

② 「今度は二人で食事しよう。次の金曜の七時に代官山の○○で。」

では次に、男性とデートをして、良い雰囲気になったとします。付き合ってはいないけど悪く思っていないその彼にキスを求められるとして、どのような求め方が好ましいと思いますか?次の二通りから選んでください。

① 「キスしてもいい?」または「キスしちゃダメかな?」と女性にお伺いを立てる

② 無言で見つめ合い、そのままキスしてくる、またはサプライズで突然してくる

理想と現実

先日、女優のエマ・ワトソンが国連で女性差別反対を訴えるスピーチをしました。彼女は次のようなことを述べています。「男性がコントロールしようとしなければ、女性がコントロールされることはなくなる。男性が傷つきやすくても良いし、女性が強くなっても良い。性別に対するステレオタイプがなくなれば、男性も女性も自由になれるはずだ」と。私は個人的にフェミニズムには興味があり、特に性的不均衡(genderinequality)に関しては、趣味で学術論文を読んでいます。私は彼女の意見に賛成です。賛成ですが、同時に「そのような理想的な男女平等社会の実現は、相当難しいだろう」とも思っています。なぜなら、人間は動物だからです。社会の中での男性と女性の前に、人間は動物のオスとメスです。オスはメスらしいメスに惹かれ、メスはオスらしいオスに惹かれるのが自然で当然であり、その本能的性質は変えられないからです。つまり理想には賛同するものの、現実的には「男性がコントロールして主導権を握らないと女性はときめかない。男性が傷つきやすく弱さを簡単に見せるようでは女性にモテない。女性を獲得するためには、男は男らしさを捨てられない」という厳然とした事実が存在するのです。

メスは弱いオスにはときめかない

冒頭の質問ですが、女性によって男性の好みに違いはあるものの、多くの女性は②が好ましいと答えるはずです。特にキスに関しては、①が良いと答える女性はほとんどいないでしょう。「キスしていい?」と聞かれて心ときめく女性は、かなり少ないと思われます。それは、相手に許可を求めることは自分に自信がないことの裏返しであり、弱さを見せることである、そしてメスはそんな弱いオスには惹かれないからです。男性の中には、「自分は今キスしたいけど、相手がしたいかどうかはわからない。相手の意思を無視して勝手にキスするのは、セクハラや性的暴行に当たるのではないか。キスしていいのかきちんと相手に確認を取るのが誠実さのはずだ」と考える人がいます。その気持ちはわかりますし、その考えがおかしいとは私は思いません。しかし現実問題として、恋愛の現場では①の方法ではまずうまく行きません。女性の気持ちが動かないのです。動物のメスとしては、オスの強さに心が動かされるので、失敗や拒絶を恐れずまっすぐに自分を求めてくるオスにときめきます。もちろん誰でも良い訳ではなく自分が気に入った相手だけですが、例え相手を気に入っていたとしても、弱々しくキスの許可を求めてくる男性にはオスとしての強さが感じられないので、ときめきません。人間は感情的な動物なので、頭ではこの男性は魅力的だとわかっていても、心が動かなければ恋愛には発展しません。頭が良く仕事もできて、収入もルックスも悪くはない、でも何か違う。理屈ではなく、心が動くかどうかなのです。

メスを魅了するためにはオスらしさが必要

デートの誘い方もそうです。そしてこれは、国や民族はあまり関係がないのではないかと私は思っています。私はアメリカ在住ですが、アメリカのオンラインデートサイトを利用して女性と知り合い、何度かメール交換をして実際に会いましょうとデートに誘う時、①と②では成功率や相手の女性の反応がまったく違います。①の誘い方でうまく行ったことがありません。はぐらかされたり、単に無視されたり。②の誘い方では、私に興味がない場合は「他に良い人がいる」とはっきり言われ、興味はあるけど都合が合わない場合は、別の時間や場所を相手の女性から提案して来ます。「今週末は忙しい?」などと曖昧に探りを入れようとすると、女性からも曖昧な返事しか来ません。直球で「土曜の12時にどこそこで一緒にランチしよう」と誘うと、女性も正直な返事を返して来ます。そして私の誘いを前向きに考えてくれます。①の誘い方では考えてすらもらえません。男らしくないからです。それが現実であり、動物とはそういうものです。男性は女性と仲良くなるためには、女性の心を動かさなければなりません。そしてそのためには、男らしく振舞わなければなりません。これは、相手が明らかに私より忙しい女性や、フェミニズムやジェンダー論に興味がある女性であっても同様です。相手の都合や意向を聞いてはいけません。日時や場所は私が決める必要があります。それがオスらしさだからです。「私にだって都合がある!勝手に決めるな!」と怒り出す女性はまだ見たことがありません。むしろ嬉しそうです。私の提案が女性の意向に合わなくても構いません。相手が私に興味があれば、こう言って来ます。「ランチではなく、まず始めはカフェでコーヒーを飲むことから始めませんか?土曜日は用事があるのですが、日曜日なら大丈夫です」と。

男性が誘い、デートプランを考え、リードし、お金を払う。「なぜ男性だけ?」と不公平な様にも思えますが、そのようなオスらしさを見せないと女性の心が動かないので、仕方がありません。恥ずかしながら、私はこの事実に気がつくまでかなり時間がかかりました。もちろんすべての女性がそうではなく、①の誘い方でも問題ないと言う女性もいるでしょう。しかし、そのような女性はあくまでも少数派であり、見た目では判断もできません。多くの女性が②のオスらしいアプローチに惹かれる以上は、男性はオスらしく振舞わざるを得ないのです。

男女平等にはジレンマが存在する

私は、男女平等に反対しているのではありません。社会の中で男性と女性が同等に扱われ、教育や就職、昇進の機会を平等に与えられる。それが理想的な社会だと私も思います。私はただ、矛盾点を指摘しているだけです。私は以前のエントリーで、「現代社会では、国民の全員が性別を意識する夫婦形態をとることは不可能になってしまった」と述べました。男は男らしく女は女らしく、夫は外で働き妻は家で家事育児をする。そのような性別を意識するシステムは悪い訳ではありませんが、それだけではもう成熟した先進国は運営できません。多様化を受け入れ、性別を意識しない平等な社会を目指す必要があります。しかし人間が動物であることには変わりがなく、動物である限り、オスらしさやメスらしさの呪縛から逃れられません。どんなに生活する社会が発展しても、動物の本能的性質は変わりません。メスはどの社会でもメスであり、そのメスを獲得するためには、オスはオスらしくしなければならないのです。しかし同時に、性別を意識しない社会を作る必要があります。

恋愛や結婚はあくまでも人生の一部であり、男性の評価は女性の獲得だけで決まる訳ではありません。しかし、仕事や社会生活に大きく影響することもまた事実であり、人生のすべての要素を含めて社会です。恋愛だけ分けて考えることはできません。「ここは仕事の領域だから性別を意識しない、でもここは恋愛だから意識するべき」などと、器用に使い分けることが解決策だとは、私は思いません。このような動物的性質を持った人間が、その動物性を無視するような社会を作るという、このジレンマこそが男女平等を実現する最大の障壁ではないかと、私は思っています。

フェミニズムは男性を攻撃する道具ではない

オスらしさメスらしさを持ちながら、性別を意識しない社会を作る。この矛盾を乗り越える方法は、私にはわかりません。おそらくはまだ、誰もわからないと思います。これから私たちが探して行くのです。そしてそのためには男女が協力し、冷静に話し合う必要があります。私は以前Twitterで、「男性の自殺率は女性よりも高いが、それは男性が弱さを見せると「女々しい」「男らしくない」などと批判される風潮があるのも一因であり、その風潮には女性も加担している」とツイートしたところ、複数のフェミクラスタの方から「都合の良い時だけ女に権力を与えるな」などと罵倒するリプライをもらい、不愉快になったことがあります。どうやら彼女たちは、男性が被害者の立場になり、女性を加害者として批判することが許せないようなのです。しかしエマ・ワトソンはスピーチの中で、私のツイートと同様の話をしていて安心しました。性差別的な社会の中では、必ずしも男性が加害者で女性が被害者とは限りません。両者共に加害者であり、被害者なのです。女性が女らしさに苦しんでいるのと同様、男性も男らしさに苦しんでいます。

フェミニズムは男性を攻撃するためのものではなく、男性差別をする大義名分でもありません。フェミニズムとは、男性と女性が共に協力し合い尊重し合う、平等な社会を作るための思想のことです。もし、「女性は常に被害者であり、男は常に加害者であり敵。男の言うことはすべて否定するべき」と考える人がいるなら、その人は性差別主義者であり、フェミニズムを何か別のものと勘違いしています。女性が男性を攻撃することがフェミニズムでは決してありません。男性でも女性でも、異性から同性について批判されると非常に感情的になる時があります。私も女性に男性について批判されるとムカつく時があるので良くわかります。しかし、両者が感情的に攻撃し合っても、状況は悪くなるだけです。一度自分や相手の性別を忘れ、冷静で客観的に議論しなければなりません。フェミニズムが目指すのは、女性が男性に勝つことでも男性を支配することでもなく、男女共に幸せになることです。感情的になって攻撃しても、報復と更なる憎悪を生むだけです。

できることからはじめよう

男女平等を実現する方法はわかりません。でも何か個人でもできることがあるはずです。まずは性別に対するステレオタイプをなくすことです。いきなりゼロにすることは不可能でも、徐々に減らすことはできるかもしれません。まずは出会った異性を「何だかときめかない」「男らしくないから無理」「女らしくないから嫌だ」などと簡単には切り捨てず、長所を見ることから始めるのはどうでしょうか。男性のリードが下手ならば女性がリードすればよく、女性の料理が下手ならば男性が作ればよいのです。「ときめかないと無理」という気持ちはわかります。しかし、ときめきって本当に必要ですか?結婚して10年も一緒にいれば、相手に対するときめきなんて忘れてしまうものです。「キスしていい?」と聞かれて興ざめしても、浮気せずあなたを想っているならいいではありませんか。

また、もし男性が弱さを見せたり、女性がはっきり意見を述べたりしても、つまり従来のステレオタイプに反する行動を取っても、「そんなんだからお前はモテないんだ」などと批判してはいけません。相手の行動を尊重し、多様性を受け入れる努力をするべきです。あなたが意図していなくても、そのように批判すること自体が性別に対するステレオタイプに加担していることになるのです。私は男女平等が難しいとは思っていますが、不可能だとは思っていません。少しずつ、自分でできることから始めてはいかがでしょうか。きっと将来、今よりも男女共に生きやすい社会ができているはずだと、私は信じています。

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