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平成から令和への抱負

いよいよ明日から令和になりますね。

平成時代と言われる時代が来るのかと思うと、なんだか寂しい気はしますが、令和という新しい時代を迎えることにワクワクしています。

日本はリセット文化

先日、「異界を旅する能 ワキという存在」という能楽師の安田登さんの本を読んでいました。

その本の中で、「日本人はリセット文化だ」ということが書かれていました。伝統を重んじるように見える日本ですが、実はすぐにリセットして、新しくすることが日本の文化のようです。
元号もそうで、昔は災害のような災いがあった時に変更していました。また、お正月に晴れ着を着るのも気持ちを新たにということです。

話が脱線しましたが、今回は「令和」の発表を聞いた時に感じたことについて書きたいと思います。

令和を掛詞として捉えてみました

「令和」は、日本の国書である万葉集の梅花の歌から出典されています。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。-出典 wikipedia

僕は、令和という言葉を聞いてすぐにイメージしたのは、「空(くう)」でした。
「れいわ」音で聞いた時に、ちょうど先ほど紹介した能楽の本を読んでいたこともあり、掛詞として捉えていました。
そのため、「零和」という文字が浮かび、"無の世界"と"有世界"が調和していく時代であり、まさに空的時代の到来を予感しました。また、"和"を"我"と置いて掛詞を展開させると、令→零→無と捉えると、無我になります。
現代は、「個」が大切にされる時代ですが、その「個」というものが自己中心的な自我として我を突き通していくと解釈されていることに違和感を感じています。個性というものは、自分一人で生まれるのではなく、人と人との間や時と時の間、物と物の間に生まれるものだと思います。つまり、その関係性を重視していかないと、「個」が維持できません。個性が求められる時代と言われる今こそ、関係性に目を向け、関係性を良好にするためには、自我を捨てて、尽力するという忘己利他の精神が重要なのではないかと感じました。

新元号が発表されるまでは、SNSなどで「時代に合わない」とか「対応が大変」だとか色々批判的な意見が目立っていた印象ですが、元号が発表されるやいなや肯定的な意見が増えていったことに面白さを感じました。

元号発表を受けて、改めて日本語の奥ゆかしさを感じています。2019年という無機質で機械的な表記よりも「令和元年」という有機的で願いがこもった表記の方が暖かさを感じます。


令和を迎えるにあたり

いよいよ令和という新しい時代が始まりますが、人々の霊(たましい)が調和し、原点回帰していく時代である令和はまさに感謝経済が受け入れられる時代だと感じています。
物質的な豊かさを享受した「平成」から、精神的豊かさを享受できる「令和」に向けて感謝経済を深めていきたいです。

令和という時代が、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」時代になるかどうかは、私たち一人一人の手にかかっています。
自然災害が年々ひどくなり、テロや犯罪が相次ぎ、経済格差が広がる激動の時代だからこそ、宇宙船地球号の乗組員である人類の果たす役割は大きく、次世代の子供達のために今できることを今やっていくことが必要です。
令和が平和で健やかな時代になるように、尽力していきます。

お願い

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そのため、僕の生活はパトロンの皆さんのサポートで営んでいます。
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