宇宙論的自然観

最近、宇宙論的自然観という思想に至りました。

従来の近代自然科学の発展は、機械論的自然観という思想をベースに行われてきました。コンピューターのような機械は、0と1の二進数で動いていますが、宇宙も自然も身体も数値で解明できるのではないかと考えたのが、機械論的自然観です。バイオテクノロジー分野はまさに、機械論的自然観を体現した科学です。

それに対して、宇宙論的自然観は、自然を宇宙視点で俯瞰して全体性を捉えることで感じられる相互補完関係のような法則性を覚ることで、自らの思考を宇宙に拡張し、その法則性に則して意思決定を行うことです。

人間中心に自然を捉えると、人間の欲望に合わせて自然を作ろうとしますが、そこには解明できない宇宙という視点が欠けているために不完全な模倣にしかなりません。宇宙中心に自然を捉えることで、人間の愚かさを自覚し、自然の強大かつ偉大さに謙虚になり自然法則に即した生き方を体現することで、精神的豊かさを手に入れることができると考えています。

下記に機械論的自然観から宇宙論的自然観へと思考が巡っていったプロセスをまとめました。

機械論的自然観とは

機械論的自然観とは、コトバンクによると以下のような内容です。

すなわち自然を人間とは独立無縁な対立者としてこれを客観化し,この純粋な他者を,外からさまざまな操作を加えて量的に分析し,そこに〈法則〉を確立して,これを把握し利用しようとするのである。そこには自然から人間的要素としての色やにおいなどの〈第二性質〉や〈目的意識〉などが追放され,もっぱらこれを〈大きさ〉〈形〉〈運動〉などの自然自身の要素に分解して因果的,数学的に解析していく近代の機械論的自然観(機械論)が成立することになる。これを徹底的に遂行したのがデカルトである。
出典:コトバンク

噛み砕いて機械論的自然観を説明すると、空気も水も植物も動物も人間も機械と同じで、数量に置き換えることができ、数量変化させることで自由自在に変化させることができるという視点に立つことです。つまり、生命を機械と置き換えて考えることで、人間にとって都合のいいように自然をコントロールしようと試みた考え方です。

近年の遺伝子組み換えや臓器移植、電脳によるサイボーグ化の構想に至るまで、生命をコンピューター(機械)に見立てて、定量化することで自然を解明しようとしたプロセスです。

機械論の原点

このような機械論は、古代ギリシア時代のデモクリトス(紀元前460年~紀元前370年)にまで遡ります。デモクリトスは、原子論を展開し、生成消滅しない根源的物質を原子とし、原子の運動を虚空という原子の隙間があるからという学説を提唱しまし機械論や唯物論を確立しました。
彼が、近代へと繋がる機械論を打ち出したとされていますが、個人的には、もっと前のアナクシメネス(紀元前585年〜紀元前528年)に遡ることができるのではないかと考えています。アナクシメネスは、あらゆる物質の相違を「凝縮の度合い」という量的な物に一元化した。つまり、質はすべて一定であり、量的な差異が物質としての差異に繋がるという学説を提唱しました。

近代の機械論の原点

このように、機械論的な考え方は古代ギリシア時代から登場していますが、近代的な機械論の生みの親と言われているのが、ルネ・デカルト(1596年~1650年)です。
デカルトの有名な言葉として、「我思うゆえに我あり」という言葉がありますが、これは心身二元論と言われ、心と身体は別のものとする学説です。そのため、西洋医学的な身体を解剖して手術することが肯定されるようになり、物質的な肉体を機械的にみなすという機械論に繋がります。

機械論的自然観への疑問

近代文明は、西洋主導型の文明です。日本では、江戸時代に蘭学が輸入され、解剖医学が発達しました。明治時代に入り、ドイツのワイマール憲法を見習って大日本帝国憲法が作られました。

イギリス、フランス、ドイツ、スペインなどのヨーロッパ諸国が植民地支配を強め、機械論的自然観を駆使して自然科学を発展させ、高度な文明を作り上げてきました。現在、我々はそうした西洋文明の作り上げてきた基盤に乗り、日々物質的に豊かな生活を営めているわけです。そこには敬意を評すると同時に、感謝しています。
また、生命や自然を機械として扱ったことで、自然科学の発達に貢献し、宇宙や自然法則を発見することが容易になった点においてはとても素晴らしいことだと思います。

しかしながら、西洋諸国の築き上げた近代文明は、人間中心主義的アプローチによって自然や生命を機械として扱い発展してきたため、20世紀から自然破壊による地球環境の悪化が見られています。また、人体にも影響が出ておりアトピーやアレルギーなどは、化学物質の影響によって発症するとも言われており、機械論的自然観に基づいた近代化が悪影響を及ぼしています。

また、機械論的自然観は、万物は物質であるという唯物論とリンクしており、人類が見えている世界が全てであると考えて成り立っています。しかしながら、現代のテクノロジーを駆使しても、ミクロ的にもマクロ的にも世界の9割はまだ解明されていないと言われており、9割を無視し1割の実証できる見える世界で文明世界を発達させています。
僕は、目に見えない、感じられない世界を無いものとし、定量・定性化できる世界のみを真実として発展している文明に疑問と限界を感じています。
それに対して、科学者などは「だからこそ、9割の見えない世界を見える化しようとしている」と反論するでしょう。しかし、目に見えた瞬間に、その真実は真実ではなくなるというパラドックスが皮肉ですが、最先端科学である量子力学の二重スリット実験で明らかにされました。それは、人間の意識が物質の運動に影響を与えるので、目に見えない物質の純粋な姿を捉えることは科学ではできないというメッセージだと僕は受け取っています。

機械論的自然観のような可視化し証明するというプロセスではなく、"感じる"というプロセスから自然を見るべきではないかと考え、宇宙論的自然観という思想を提唱しています。

東洋的な自然観

東洋においての自然観は、二項対立ではなく、万物(人間も動物も鉱物も)全てが調和しあう相互関係によって成り立っていると考えが根底にあります。

仏教的自然観

仏教的な自然観を紐解くために、ダライ・ラマ14世の公式サイトを見てみました。

ナーガールジュナ(龍樹)は、実体の無い空(くう)が可能な体系においては、あらゆる働きもまた可能であり、働きが可能であるがゆえに、空もまた可能である、と説いています。ですから、自然とは何かといえば、自然は究極、空です。では、空とは、サンスクリット語で言うシュニヤーターとは、何のことでしょう。それは、存在しない、という事ではなく、むしろ、真にまたは独立して存在するものが無い、という事です。つまり、事象は別の要因によって存在していると言うことです。
出典:ダライ・ラマ法王14世公式ウェブサイト

仏教の教えの中には、全ては空(くう)であるというものがあります。空は、無限大の可能性があり、何物でもない状態のことです。空という概念は、何もないという「無」でもあると同時に、全てあるという「有」の概念も持ち合わせています。そのことからわかるように、表裏一体的な相互関係を自然とおいていることがわかります。
西洋的な自然観は二元論であり、「無であるなら無」「有であるなら有」ときっぱり区別がつけられ、それを一貫性や矛盾のない状態としてよく評価されます。
仏教的な自然観は、一元論であり、「無も有も空である」という共存関係にされます。


神道的自然論

日本人に馴染み深い神道では、万物を八百万の神と表現します。神道では、全ての物質を神として崇拝し、自然からあらゆることを学んでいました。自然への尊敬と感謝を抱き、それと同時に自然への恐怖から自然を崇拝していた古来日本人は、自然との距離が近いからこそ、自然を神格化していたのではないだろうか。神道的な自然観は、自然万物の中に人間をおいており、自然法則のなかで人間が立ち振る舞い共生していくため、自然中心で物事を考えています。

神道的な自然観は、多元論であり、「善悪はなく、全て正しく全て良い」という立場から、共存関係を築いています。多元論だったからこそ、神道の神社と仏教のお寺が同じ敷地にあったり、キリスト教やイスラム教にも寛容であると言えます。

仏教と神道を取り上げて、東洋的な自然観をみてきましたが、西洋と比較すると、西洋が人間中心主義であるのに対して、東洋は自然中心主義で自然を捉えていることがわかります。


宇宙論的自然観とは

宇宙論的自然観とは、自然を宇宙視点で俯瞰して全体性を捉えることで感じられる相互補完関係のような法則性を覚ることで、自らの思考を宇宙に拡張し、その法則性に則して意思決定を行うことです。

人類は、今から約60年前に地球という存在を人類史上初めて俯瞰して観察することができました。現代に生きる我々人類は、宇宙視点を獲得した最初の人類です。

地球は、太陽の周りを公転していますが、太陽系は銀河系の周りを公転しています。現在の科学では、ここまでしかわかりませんが、推測として、銀河系もまたそのまた大きな存在の周りを公転しているのではないかと思います。
そうした想像力を働かせると、地球も太陽も銀河系も自分ごと化されます。なぜなら、銀河系の現象が僕ら自身に影響を与えているからです。地球が自転したり、太陽の周りを公転することで、重力が生まれたり、朝と夜があったり、季節が変わったり、時間が生まれたりしているわけです。
月の満ち欠けが人間の気分に影響を与えているとも言われています。

もし、単独で地球だけが自立して存在しているならば、今頃生命体は愚か、地球すら存在しないかもしれません。

そのように考えると、我々は日々自立して生きているわけではなく、宇宙規模での万物によって生かされているのであり、依存しあっているわけです。
現代科学では、非生命体と考えられている太陽も日々爆発を繰り返し生きているわけです。地球の存在が太陽系や銀河系のバランスに影響を与えており、その地球の体調変化を起こしているのが地球に住む我々人類です。地球のエネルギーを消費し、地球の存在エネルギーのバランスが変われば、太陽系の調和バランスが乱れ、何かが起きるかもしれません。その意味で考えると、太陽からの恵みで生かされている人間も、間接的に太陽に影響を与えていると考えられます。そこにも相互作用が見られます。

「動物がかわいそう」「地球がかわいそう」だから、自然を守ろうという人間中心の環境保護ではなく、宇宙視点で捉えれば、近代から現代にかけての人類文明が地球の悪玉菌となっており、その悪玉菌を排除しようとする動きが因果法則として天災という形で降りかかってきており、人間がガン細胞を撲滅するように、地球もまた人類を撲滅させようとしていると捉えられます。なので、人類が撲滅しないためにも、思考と行動を改め、人類存続のために、環境保護をしようと立ち上がるべき時がきたのではないでしょうか。

仏教や禅の教えである「空」から全てが生まれているとした場合に、銀河系も太陽も地球も自然も人間も全てが「空」であり、我々の心体全てが宇宙であるはずです。宇宙は、メタ的な概念であると同時に、自分自身が小宇宙というリアルでもあります。

宇宙論的自然観で、思考を巡らせ行動すれば、万物に自然と感謝の念が湧き、精神的に豊かな人生を歩むことができ、同時に地球環境にも配慮した生活スタイルに変わるのではないかと思います。

僕も、最近このメタ認知を手に入れることができたため、こうして言語化できるようになりました。僕も行動に落とし込めるように日々精進していきます。


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千葉恵介

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