「〇.〇〇…」(2016年オールフリーキャンペーン小説)

 腰を限界まで下げた今、背中の上方に背負ったバーベルの重さが、腹や腰といった体幹を経て、大腿筋を中心とした下半身の表側にのしかかっている。

「はい、上げる!」

 顔を下に向けぬよう、全面鏡の壁に映る己とにらみあいながら、大輝は踵に全体重をかけ踏ん張り、七五キログラムのバーベルを背負い上げた。

「ごー!」

 新藤トレーナーによる、高めでハスキーではあるが野太い声は絶対服従の命令で、大輝は休む間もなく再び腰を沈める動作に入る。一セット目で八〇キロを一〇回上げた後だから、このあたりから地獄に入るはずだ。そうかまえたのもつかの間、大腿が床と平行になるまで落としきった腰を上げる時、フォームが崩れた全身が鏡に映り、腹から呻き声が出た。

「背中曲げない! ろーくっ」

 フォームを正しながら、大輝は尻を後方へ突き出すようにして腰を落とす。両膝は、踏ん張る足より前に出てはならない。そうでないと膝を壊す。他にも、内股になってはいけないし、バーベルを首の付け根に背負ってはいけない。

 バーベルスクワットは恐怖だ。腱の断裂、筋違い、ヘルニアやバーベル落下による打撲等、不注意が容易に怪我や事故に繋がる。

「上げて上げてっ! 上がる上がる!」

 自力ではもう、持ち上げきれない。鏡に映る巨人からアシストが入るのを大輝は期待するが、新藤氏はそれを見透かしているかのように身体に触れない。震え、呻き声を出しながらゆっくりと、大輝は上げきった。

「しーちっ」

 腰を下ろすが、六回目の深いところまでは落とせない。そこまで落としたら絶対に上げられないし、その前に、バーベルを背負ったまま崩れ落ちてしまう。

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「〇.〇〇…」(2016年オールフリーキャンペーン小説)

羽田圭介

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羽田圭介

小説家
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