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2017/12 寺沢優太(Hilal-Maroc Bergheim) 「空白の四年」からGK大国ドイツへ。

大学四年間、公式戦出場0。彼はそれを携えてドイツにやってきた。いま、苦境に立たされながらも開幕戦からゴールマウスに立ち続く彼に、これまでのこと、ドイツにきて根本から変わった、ゴールキーパーを語ってもらった。

 谷本薫が帰国してから二週間後、再びBelkaw arenaに行くことになった。Mittelrheinliga第13節、SV Bergisvh Gradbach対Hilal-Maroc Bergheim。前々から気になっていたアウェイチームを取材するためだ。そのチームには多くの日本人選手が在籍している。


いま、世界各国でプレーする日本人サッカー選手は一年ごとに増えていっている。では、そのなかに「ゴールキーパー」はどれだけいるだろう。Hilal-Maroc Bergheimには、今年でドイツ三年目になる、ゴールキーパー寺沢優太が在籍している。

https://www.fupa.net/spieler/yuta-terasawa-914715.html ←寺沢優太出場歴
 試合開始前のウォーミングアップに、彼と2ndゴールキーパーが一番にピッチに現れ、黙々と身体に熱を入れていく。観客の一人が持っていた、スターティングイレブンのプリントを貰うと、寺沢のほかに日本人六人が先発、一人がベンチに名を連ねていた。寺沢は今季開幕から全試合フル出場で21失点。チームは3勝2分6敗で16チーム中の11位。相対するSV Bergisch Gradbachは1勝6分4敗の14位につけている。
試合は、前半11分にSV Bergisch Gradbachがゴール前でFKを獲得し、それを直接決めた。寺沢は一歩も動くことができなかった。

32分、Hilal-Maroc Bergheimが福田達也のゴールで同点にし、前半は1-1で折り返す。後半、Hilal-Maroc Bergheim が繋ぎの部分でミスが多くなり、SV Bergisch Gradbachは奪ったボールを決定機にまで持ち込んでいく。谷本がいた頃とは打って変って、得点できる匂いがするのだから、サッカーは分からない。前半と比べて忙しくなった寺沢はシュートを防いでいくが、59分に勝ち越しゴールを決められる。これが決勝点となり、2-1でSV Bergisch Gradbachは待望の二勝目を手にした(そもそも今季初勝利が二週間前、第10節でのアウェイゲーム)。
試合後、着替えを済ませてスタンドに出向いてくれた寺沢とのファーストコンタクトを記していこう。

―今日の試合について伺っていきます。自身のプレーについて、振り返ってください。

寺沢「相手が前からきて、攻撃的にくることも分かっていた。守備は自分を中心として試合前から準備していたんですけど、組織的に守ることができていない。個人としては、準備することに関してはクリアできたと思います」

―一失点目のFKは、どういう状況だったのでしょう。決められた直後、壁の部分でひとつ主張していたけど。

「壁に入っている選手が(ボールを)避けて、その間を通ってきたので僕も反応することができなかったのが、率直な考えです。ボールが壁側にきたので、そこで弾くかなと推測していたので」
―後半にもうひとつFKがあって、それはセーブすることができた。一失点目とどんな違いがあったのですか?

「一失点目のFKよりも遠目でした。壁を抜けてくることも想定しつつだったので、ギリギリでしたね」

―今季ここまで、チームは一試合平均で二失点してしまっている。

「昨季、自分は試合に出れていないんですけど、そのころから失点数は多くて、今季はじまる前から選手たちにはいろいろ伝えたり、分析をしています。いま自分たちの課題は組織的な部分が問題だと思うので、そこを突き詰めていかないと、と思っています」
 
 アウェイゲームということもあって、十分ほどで会話を終えることにした。Hilal-Maroc Bergheimの選手たちは、チーム内で車を所有しているスタッフの車に同乗し、Belkaw arenaにやってきた。二週間後のホームゲームに行くことと、試合後に夕食を摂りながら話そうと伝え、寺沢は監督の車に同乗し、Bergheimへの帰路についた。

 二週間後の12月3日日曜日、目を覚ますと木々や住居の屋根にはうっすらと雪が積もっていた。ドイツ各地は初雪が観測され、駅や街中のクリスマスマーケットの雰囲気もいっそう華やかになっていく。
 BergheimはKöln中心街から西に位置し、Regional Bahnで15分も掛からない。Hilal-Maroc Bergheimがホームゲームで使用するのはLukas-Podlski-Sportpark。ヴィッセル神戸に在籍するLukas Podlskiは、1991年から95年までFC 07 Bergheimに在籍しており、Bergheimに縁がある。

Lukas-Podlski-Sportparkにはサッカーフィールドだけでなく、屋内プールやバスケットボールなどができる屋内施設もあり、そういった施設の拡大のためにPodlskiが資金援助し、彼の名が冠された。ウェブ検索してもホームページは存在せず、どのように施設を利用しているのか、プールといったランニングコストが掛かる施設の維持についての情報収集はできなかったのだが、このSportpark近辺には住宅街があり、そこの住居人が利用しているのだろう。
 SV Bergisch戦以降、Bergheimは未消化の一試合を落としてしまい、リーグ戦は三連敗中。勝利からは五試合、見放されている。
試合をするピッチは人工芝、階段状のコンクリートが唯一座れる観客席、ときおり霧雨が降る中のBergheim(リーグ12位)ホームゲーム、対SV Breinig(リーグ5位)戦。序盤から、Bergheimは劣勢に陥っていた。中盤のパスを奪われてカウンターを喰らったりと、繰り返しのパターンに陥っている。SV Breinig攻撃陣も、前半から試合を決めにかかろうと寺沢が守るゴールマウスに襲い掛かっていく。Bergheimの攻撃はサイドで突破を図り、クロスを送ることでペナルティエリア付近までボールを供給できたものの、シュートにまで至らない。
 21分、カウンターを喰らってシュートを防いだ直後、「切り替えろ!」と寺沢が叫ぶ。その直後、コーナーキックの流れからグラウンダーのシュートを決められ、またもや先制を許してしまった。暗黙を感じて間もなく26分、今度はオーバーヘッドのシュートを決められ2-0。鮮やかな一振りの余韻に一瞬浸ってしまっていると、カン!とゴールポストを蹴る音が聞こえた。フッと目線をそちらへ向けると、そこには寺沢だけがいた。
Bergheimは後半11分に三点目を決められ、そのままスコアは動かず試合は終了。Bergheimは四連敗となり、リーグ順位こそ12位をキープするが、最下位16位のSSV Mertenでさえも勝ち点10であり、予断を許せない状況となった。コーナーポストを二つ回収しながら寺沢がやってきた。ふたつほど質問したが、それは一人ではどうにもならない、様々な事情に関すること。目の前のことを対処していくほかない、というのが彼の率直な答えだった。
着替えを済ませてもらってから、二人でKölnへと向かった。大聖堂からほど近いイタリアンレストランで、彼と90分間の会話をここから記していく。

―まず大学四年間について聞いていきたい。東京都大塩尻高校(長野県)から関東学院大学(神奈川県)へと進学したものの、四年間一度も試合出場することができなかった。どういう事情があったのだろう。
「スポーツ推薦で入学することができたんですけど、必修授業とサッカー部の練習が朝にあったことから、練習参加への都合が合わなくなってしまったんです。これは大学がはじまってから分かったことで、どうすることもできなかった。僕がその不都合なケースの最初になってしまい、いまはそうならないように配慮されています。練習は自主練がほとんどです。部員みんなが授業を受けているころに、ジムやグラウンドでトレーニングしていました。ただ、学年が上がるにつれて学業がさらに増えて、四年生のころにはほぼ一日中、課題に追われていました。夜中の22時ごろに筋トレやジョギングなどで身体を動かすぐらいしかできなかったですね」

―その四年間、モチベーションはどう保っていた?
「難しい質問ですね。いままで支えてくれた両親や恩師、友達の存在がいるから自分の夢を追いかけることができた。自分のためにサッカーをやっていないです。支えてくれた人、いまも支えてくれる人たちに恩返しをするためにサッカーをしている。まったく苦しいと思わないですし、応援とか期待されることで頑張れます」

―高校三年間(長野県、大都市塩尻高校)、選手権などの大会出場歴は?
「一年生のころから試合に出してもらえました。ただ、一年生の選手権県大会準決勝の舞台が、約一万人はいたアルウィンで、雰囲気に呑まれて入場のときから頭真っ白で何もできなかったです。でも、それも一つの経験として吸収できて、県の選抜に選ばれたり、三年生のときには全国大会に出場しました」

―逆に、そんな雰囲気を味方にする選手もいたりする。そんな選手に感じることは?
「そういう選手は、自分はこうすればいいということを分かっている。逆境がきたとしても、『別に』という考えがあるから、スッと入れるところが凄いと思います」

―ゴールキーパーの考えの一つとして、ブッフォンの言葉に「俺がすべて止めれば負けることはない」がある。そんな自信はやはり持つべき?
「ゴールキーパーをやっていれば、そう思わなければいけない。彼の場合は、ユベントスやイタリア代表で培ってきたものがあるから、それとその言葉が比例する。でも、ただ単にゴールキーパーをやっている選手がそれを言ったとしても、重みにもならない。ただ、そう思っていないと成長できないし、そういう名言みたいなものは持っていないといけない。大事なことですね」

―ドイツを選んだ理由は何なのだろう。
「海外に目を向けたときに、自分を開花させたい、ゴールキーパーとしての地位を見出したいという考えと、ノイアーやテア・シュテーゲンのように、ドイツがゴールキーパー大国であることが理由です」

―現在、所属しているBergheimへの加入経緯を教えてください。
「チームに加入したのは大学を卒業する前の2月だったんですけど、そのまえの夏にチームを決めるためにドイツへ行ったんです。そこでたまたま、Bergheimでゴールキーパーコーチをしている人に出会えて、練習参加でアピールして、契約を勝ち取ったということです」

―その夏の練習参加までに、どんな準備をしてきたのでしょうか?
「サッカーを続けるにあたって、まず自己表現をできるようにしないといけないと考えました。そのために、ドイツへ渡る前までにドイツ語での日常会話とドイツ語のサッカー用語も勉強して、練習ではゴールキーパーとして指示ができる状態にまでしてきました。寺沢優太はこういう選手なんだ、ということを少なからず示せたからチームに入れたと思います」

―そして、2016年2月にドイツへとやってきた。当時Bergheimはセカンドチームも活動していて、途中加入ながらトップとセカンドチームで後期リーグは試合に出場することができた。その半期はどう過ごしていた。
「まず、空白の四年間を取り戻すことでした。試合に出ようが出れまいが、とりあえずサッカーだけに集中して、今までできなかったことをしていこうと。サッカーのことしか考えていなかったですね」

―幸せだった?
「幸せです。こんな時間があるんだ、と。大学生のころは30分も自分の時間がなかった。こんなにサッカーのことを考えることができて、すごい幸せでした」

―ドイツでの初出場のときはどのような思いがあった?
「こんなにピッチって広かったっけ?と。大学生の頃はハーフコートやペナルティエリアの広さしか練習していなかったので、こんなに広かったっけというのが第一印象です」

―16-17シーズンになると、セカンドチームが解散して、出場機会が減ってしまった。それでも、自分に矢印を向けてトレーニングし続けていた。
「基礎体力、ゴールキーパーとしての身体を取り戻すことに専念していました。そのシーズンから、アンダー世代のハンガリー代表選手が加入して、いよいよドイツでの戦いがはじまった、という感じです。彼が起用されて自分は控えで、最初の壁にぶち当たりましたね」

―出場できないことに、ぶつけようのない気持ちがあったのか、それとも明確な差を理解して割り切っていたのか。
「まず言えることは、ゴールキーパーはひとつしか出れないポジションで、監督が選んだ時点で彼よりも自分は劣っているということを受け入れないといけない。日本からパッときてすぐに出れるとは思っていなかったですけど、いつも週末になればベンチ。自分を成長させたい気持ちだけをもって生活していました」

―16-17シーズンが終わって、そのあとのオフに子供たちを対象としたゴールキーパークリニックに参加したことをブログに書いていたけど、衝撃的だと記していた。どの部分で衝撃を受けた?
「自分は小学五年生からサッカーをはじめて、六年生からゴールキーパーをしてきて、日本でゴールキーパーを学んできたときは、最初はキーパーをやらなくていいと言われました。フィールドプレイヤーを経験してから、やっていった方が良いと育ってきたので。そのクリニックのゴールキーパーコーチに、『フィールドからやっていった方が良いのか?』と質問したら『それは間違いだ』と答えてくれた。小さいうちからゴールキーパーを学んでいないと、伸びしろや成長は限られてくると言われました。そこで疑問に思ったことは、『足元の技術は備わるのですか?』と訊ねると、『日本のやり方は分からないけど、ゴールキーパーの練習に足元の練習を加えていないのでは?』と言われたんです。自分のころは確かに、ゴールキーパーの練習に足元の練習を加えていない。ここでやっている子供たちの練習内容には、足元の技術が上がるトレーニングをしているので、一石二鳥なんです。加えて、日本で自分がやってきた練習は実用的ではなかった。いまこの練習をしても、実際の試合では起こりえないのではないのか、そんな練習ばかりだったんです。日本と海外を比べてはいけないのかもしれないけど、ここでの練習は実用的な練習しかしない。これは試合で起こり得るシチュエーションだから練習する、だから試合中のパフォーマンスが上がるのかなと。日本も、選手に対しての教え方にもう一工夫あれば、もっと育つのだと思います」

―クリニックに参加していた子供たちの様子はどのようなものだったのでしょう。
「純粋にゴールキーパーを楽しんでいる、ゴールキーパーを好きでやっている、そんな様子です。日本ではそれが考えられなくて、ゴールキーパーをやるとしたらジャンケンで負けた人がやるようなものですからね。子供たちはすでにグローブを着けて、芝生を飛んだり転んだりしているので、『これはすごい、これがゴールキーパー大国か』と実感しました。この一年間はハンガリー代表の選手や、その子供たちを通して、学ぶことが多かったです」

―そんな一年間があって、では今季はどのような準備をしてきたのでしょうか。
「昨季一年間において、もし自分が出ていたらどう失点を防げたか、そんな自己分析に加えて、チームの前期後期の失点の時間帯、失点数を記録して分析して弱点を洗い出し、それをチームにフィードバックしていました。今はキーパーコーチがいないので、練習方法はYouTubeで探して実践するの繰り返しです」

―トップリーグなどは、例えばPKでこの選手はここに撃つといったデータが蓄積されている。アマチュアになると、そういったリソースが少ない。どうやって情報収集しているのだろう。
「シーズン中、相手同士の試合を観ることはないです。ただ、何分に得失点しているかはチェックしています。この時間帯から点を取ってくるとかを気にして、試合に臨んでいます」

―ここから、ゴールキーパーの各プレーについて聞いていきます。海外の方がシュートは強烈だという印象があって、野球でいえば大谷翔平投手の球は重い、という表現があるように、ここでのシュートはそう感じますか。
「ドイツでプレーしはじめたころのシュート練習をビデオで見たとき、ボールが手に当たってゴールに入るというケースが八割ほどありました。手のもっていかれ方が違うと感じたんです。日本では気持ちよくボールを弾けていたのに、ここではボールに手を当てても、そのまま持っていかれる。スピードと重さが日本とでは一番違うと実感しました」

―それは、筋力によってカバーするものですか。もうひとつ、手首を持っていかれないようにするためには、どうすればいいのでしょう。
「体格や筋肉のつき方がヨーロッパとアジア人では違うので、まずその部分の差を埋めなきゃいけない。手首に関しては、手首を返されるというよりも、ボールに対して手の角度をどうすべきか、ということです。自分の横(横っ飛びで腕を伸ばした状態など)でボールを受ければ、手首は返されやすい。じゃあどうするかといえば、ボールの進行方向に対して自分の手をもっていけば、手首は返されない構造になる。自分の横で止めるよりも、ボールにアタックできるようにしています」

―ということは、シュートを撃たれる前のポジショニングも関係してくる。
「基本的に言われるのが、ボールと両方のゴールポスト、三点を線でつないで、その真ん中にポジショニングすること。たとえば、(ゴールキーパー目線で)ポジショニングが真ん中から左にズレて、右にシュートを撃たれれば、真ん中よりも遠くなりますよね。重心を右に動かしても届かない場合もありますけど、撃たれる前のポジショニングはとても重要です」

―では、シュートを撃たれて誰かに当たって軌道が変わる際に起こる、逆モーションになった場合は。
「ドイツにくるまでは身体能力に関わることなのかなぁと思っていましたけど、それについてドイツで感じたことがあって、それは予測の問題。シューターがここにいて、目の前に何人かの選手がここにいるから、ここのシュートコースが限定される。もしかしたら、シュートしたボールがここにくるかもしれない、でも目の前にいる、ある選手に当たるかもしれない、という準備をしたうえで、反射が関わってくる。生まれ持った才能、身体能力は関係ないと思っています。案外、起こりえないことにも対応できたりするので、一本のシュートに対して、どれだけ準備できるかが重要です」

―キックについて。そもそも、サッカー選手が言う、ボールを蹴るのが上手い選手とはどういうことだろう。
「自分にとっても、それは不思議な質問なんですよね。一概にこれがすごいとは言えないですけど、最低限のゴールキーパーのキック精度について言えるのは、直近のディフェンダーにパスを送ることは誰でもできること。でも、キーパーからディフェンスラインひとつを飛ばして、一列奥につけるパス、サイドハーフやその奥にあるスペースにボールを送れる能力が高ければ高いほど、キック精度は高いと判断できます」

―そういったパスは練習中でもトライしていますか?
「僕は守るゴールキーパーよりも攻撃的なゴールキーパーになりたい。Jリーグでいえば、西川周作選手です。ただ、僕は西川選手よりも進化したゴールキーパー像があるので、練習でそういったパスをミスしても何とも思わない。一本のパスでゴールに結びつくようなパスを送れるゴールキーパーになりたいので、チャレンジを繰り返しています」

―浮き球のパスと、転がるパス、どちらが難しい?
「転がすパスの方が簡単で、地面を転がっていくわけですからズレることがない。浮き球は上下左右にもズレる可能性があるし、ボールの軌道が高ければ相手もボールの受け手側に対して寄せやすい。それに対して、滞空時間が少ないボールほど、相手にとってはプレッシャーにいけないパスになる。要求される要素が多いので、浮き球のパスの方が難しいです」

―パス一発に込められた技術は、言葉で表すことはできるものでしょうか。
「ボールに足が当たってそれが相手に届くまでの感覚でしかないので、キック技術について言葉では表せないです」

―ボールをスローする(投げる)ことについて。人間は足よりも手の方がコントロールしやすいから、キックよりもスローすることの方が正確で簡単といえるが。
「間違いなく、キックよりもスローインした方が正確ですけど、サッカーは一秒やコンマ何秒で状況が変わるスポーツですから、蹴って送る方が速いじゃないですか。いろんなことを計算し、パスの受け手がいち早くボールを受けて、相手にディフェンスを受けないような手段を取る必要がある。よっぽどボールの受け手がフリーで時間がある場合や確実にボールを渡す以外は、スローは使わないです」

―パンチングについて。両手でパンチングする際は、親指以外の指の面積をボールに対してしっかり当てるようにしなければならない。その他、片手でのパンチングはどういったことに気をつけていますか。
「両手でのパンチングについては、そのとおりで基本中の基本です。状況に応じて、両手でいくときと片手でいく場合がありますけど、両手の方が遠くへ飛ばせるし、飛ばす先をコントロールできます。片手でいく場合は人で密集している状況でクリアしたいとなったら、身を乗り出して片手でパンチングできるので、片手でします」

―ポジショニングについて、ほかに学んだことはありますか。
「学んだことの一つに、三つのゾーンに分けることをします。一つは自分が立ったままセーブできる守備範囲。もうひとつは、自分が寝る状態でセーブできる守備範囲。最後は一番角度が大きく、自分がジャンプして飛ばないと届かない守備範囲です。それを学んだときは、確実にポジショニングすればシュートコースはここしかないとか、ここに立ってジャンプしなければ届かないといったことを学びました」

―足でセーブする場合は、手でセーブする場合とどう違うのでしょうか。
「足でセーブすることを、Fuß abwehrとドイツ語では表現します。一対一の局面で、シューターに対して近い場面で使う技です。日本では腰を低くして、ボールがきたら足をはらって手でいくことを教わりましたけど、実際はその動作をする時間がない。ドイツで学んだことの一つでいえば、身体をどう使えばボールに早くたどり着くか、なんです。一対一の局面で、手はボールが自分の身体を追い越す、つまり上を通ったときに使う。足の場合は、守備範囲のときに使うといった具合です。これについても、言葉では言えない部分がありますね」

―次の質問は、シュートを一度防いで、そのボールが再び相手選手の誰かに渡って、もう一回シュートを撃たれるとなったら、まず一度セーブしたときのボールの行方を確認しなければならない。
「それに加えて、自分のポジショニング修正もしなくてはいけないので大変なことです。ペナルティエリアとゴールマウスの大きさはインプットしてあるので、だいたい、ここにボールをこぼして、ここにボールがあるから、ここにポジショニングをとる、ということを意識しています」

―ペナルティエリア外に出てプレーすることについて、何を狙っていますか。今日の試合でいえば、ディフェンスラインがそれほど高い位置をとれていなかったから、エリア外で出てプレーする機会も少なかった。
「チームや選手たちの整理整頓をする意味で、リベロとしてディフェンスライン全体の裏のカバーが求められます。SBとCBの間、両CBの間のカバーや、そこに送られるスルーパス、ロングパスの処理を狙っています」

―整理整頓というと、コーチングも含まれる。今日の試合では右CBの浮田隆誠君のポジショニング修正をよくコーチングしていた。
「隆誠はもともとボランチの選手なので、不自由な部分を修正していかないといけない。間違ってポジショニングすることがあるので、そこは注意しています」

―隆誠君の背後を狙う相手FWの動きを、隆誠君自身が分かっているのか、分かっていないのか、その様子も見て取れますか?
「相手の目線も見るので、隆誠がボールのあるところを見ているときに、その相手FWが彼のの背後を取るために走り出すと、隆誠はそれが分からないじゃないですか。そういう場合は、彼に後ろからきていることを伝えます。状況によって言い方は変えます。自分も相手も人間なので、自分が強く言うと『分かってるよ!言わないでくれ!』と受け手がカッと熱くなる場合もあるので、気持ち的なことと言葉も考えながらコーチングしています」

―今日の一失点目の直前に、シュート一本を防いだ直後に声を張り上げて、心情的にいえば怒ったといえるけど、怒ることも重要といえる。
「自分以外に、そういうことをする選手は正直なところいないので、ミスしたら『あぁ~』みたいな感じで終わっちゃう選手が多いです。キーパーは一番状況が見えていますし、失点されたくないので、チームが緩くなっている、軽いなと思ったら怒らなきゃいけない。大事な仕事だと思っています」

―そこは監督と関わる部分だと思うけど、その点について監督と話していることはあるんですか。
「うちの監督は、キーパーにガミガミ言わないでほしいというタイプで、僕が声を張って指示していると、『落ち着け、喋るな』と言われます。でも、僕はそれは違うと思っている。ピッチ上の監督として、指摘しながらプレーしています」

―もうそろそろ今季の前期が終わろうとしています。いま、掲げている目標は何でしょう。
「これまで日本人ゴールキーパーがドイツ1部~3部でプロ契約した選手は、僕が調べた以上はいません。4部では過去にいますが、大きな目標としては日本人初の、3部以上でのプロ契約選手を目指していて、身近な目標としては来年夏までに4部クラブと契約を目安にしています。ただ、先のことを考えても何もはじまらないので、まずは目の前の一試合を濃いものにしていくことを考えています」


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