削ることよりも苦しくても全てをやることに力を注ぐ

僕は多動症だ。これは実際に医師に診断されたものでもなんでもない。ただ異常に多動的であるということだ。昨年多動力という言葉がビジネス界で流行った。堀江貴文さんが出した本のタイトルだ。

僕はそれを読んで自分を認めることができた。日本の古くから受け継がれる「一つのものを極めたものが美徳である」という教えに反し、僕はそれに向いていない。縦ではなく、横に広がる。興味が散漫なことこの上ない。横への広がりは普通の人のそれとは一緒にできないほどだろう。
次から次へと新しいことへ挑戦したくなる。

まだ終わっていないのにもう次へと進みたくなるのだ。まるで落ち着きのない5歳児のように。

そしてそこで僕は決めていることがある。それは時間がなくて現状それに時間を割けなくても諦めないこと。楽しいことは無限にあり、それは全て等しくやりたいこと。優先順位はない。
それに優先順位をつけて、低いものは削るということは絶対にしない。

なぜなら興味を持ったものからはエネルギーが生まれ、そこから何かにつながっていくかもしれないからだ。

そしてそれ自体が楽しいのに、やらないという選択をとることの方がもどかしく、モヤモヤする。

それであれば時間と向き合う方をとる。時間と向き合い、時間の効率の良い使い方を学べば、のちに役に立つ。もっと忙しくなった時に。

時間の使い方こそが人生そのものを決める。時間とは寿命そのままだからだ。しかし普段生きている瞬間瞬間に間違いなく無駄な時間というのは存在する。何もしていなかったり、効率が悪かったり、自分の時間を生きていない瞬間がある。そしてそれは積み重なってごみ山のようになっていく。それなら気づきいち早く自分の時間に使うことが必要。
そのためにはやりたいことをやるために忙しくすればいい。時間の効率化を嫌でも考えさせられる。

人生を謳歌するために、猛スピードで時代をかけ抜けるために、今以上の力を発揮するために努力をする。そのことに一寸の迷いもあるだろうか。迷っている時間はない。

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