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自分から選びにいく

真っ暗闇。スマホのバッテリーがなくなり、全てを閉ざされた世界。今や常につながっているインターネットという架空の空間への道を閉ざされたとき、現代人は何とも言えない不安にさいなまれる。

そこにある情報は未来を切り開蹴る大いなる可能性を秘めており、それは時に目の前で起きる現実より魅力的で面白かったりする。
それがゆえにスマホ依存という言葉も生まれ、人々の心を奪っている。


しかしそれを決めるのは全て自分である。スマホに「依存」するのか、「利用」するのか。それは自分で選ぶことができる。それは在り方次第、意識次第だ。スマホをどう使うかを自分で意思決定するだけのこと。スマホを使う時間が長いことが悪いのではない。


これはすべてのことに言えるはずだ。仕事の選び方も、恋人でも、生き方でも何でも同じことだ。自分がどう意識してどう選ぶのか。率先して選んだのか、受け身に選んだのか。受け身に選んだものはたいていいい評価はされない。逆に能動的に選んだものは評価されなくても、自分が納得して選んでいるのだから、傷つかない。

もっと言えば受け身な選択はするべきではない。そしてしなくてもいい。

というか、受け身な選択など、本来は存在しないはずだ。本来そんな自分の嫌なことをする人間などいないはずだ。嫌なものは嫌。それをひたすら我慢できる日本人の性質には警鐘を鳴らしたい。

誰がそう決めた。自分で決めろ。自分の意思決定を投げ出して人に任せておきながら、後から文句を言う。なんてことは言語道断だ。

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