キャプチャ

死への憧れ

目が覚めると僕は何もない、真っ白な世界にいた。
境界線も重力もない、ただただ真っ白な世界。ここがどこなのか僕にはすぐにわかった。そう、たぶん僕は死んだのだ。
現実的に考えてこんなでたらめな世界はあり得ないし、なにより、あれだけ苦しかった気持ちがもうすっかり消えてなくなっている。


良かった。僕は心の底からそう思った。もう苦しいことはないんだ。本当に良かった。ここがどこだろうとどうでもいい。僕はいま限りなく何も考えなくていいことに喜びを感じている。
ああ、とても気持ちがいい。こんなに楽なのは生きてて初めてだ。これが死ぬってことなのかな。嫌なことや苦しいことから解放されて、何もない世界へ行く。あいつらもそうだったのだろうか。


僕は先輩を事故で、後輩を自殺で、ともに亡くしている。2人とも死んだのは20代前半だ。正直僕は彼らを心底うらやましいと感じていた。あいつらの分まで生きよう!なんてそんな気持ちはこれっぽっちも持っていない。できることなら同じ世界へ連れて行ってほしかった。どうして僕だけがのうのうと生きているのか、それがとても疑問だった。
どうして、どうして、どうして。
その疑問は延々と僕につきまとって、答えはやっぱり出せなかった。結局こうして自分が死ぬまでわからずにいた。
死んだことでわかったことがある。人はやはり本質的には孤独だ。理由は僕がこうしてひとり真っ白な世界に漂っていることに他ならない。
自由とはもしかしたら孤独であることが条件なのかもしれない。ふとそんな考えが頭をよぎった。いま僕が意識だけの存在なのだと仮定すれば、精神は本当の意味で自由になっている。
畏れ、不安、嫌悪、耐えがたいほどの不条理。そんなものから解放された精神はこんなにも穏やかで、安定している。


ある日死んだ後輩が僕の部屋に来て僕を呼んだ。その日はそっちには行けないと思ったものの、結果的にいまこうして同じ世界にいる。彼のことは認識できないが、きっとこの世界のどこかにいるはずだ。恐らく、あの日死んだ先輩も。
僕は先ほど人間は本質的には孤独だといったが、精神存在になってしまえば孤独感に苛まされることはない。なぜなら、きっとそこにはあいつらがいると確信が持てるからだ。だから、寂しくはない。まるで最初からそうだったように、この世界での理は思考になじむ。僕にとってここは最後のパラダイスなのだ。精神が満たされていくのを感じる。ずっとこのままこうしていよう。永遠に、永遠に。


目が覚めると僕はベッドの上にいた。いつの間にか寝てしまったらしい。そして、僕の短い楽園の終わりを察した。
けれど、不思議と絶望はなかった。僕はきっといつでもあの世界に行ける。そう確信した。考えてみれば現実がどっちなのかなんて取るに足らないことだ。僕は自由なのだ。もう、苦しいことに立ち向かわなくてもいいんだ。ああ、これだ。僕は気が付いた。


身体を起こし、身支度は早々に済ませ、死への憧れを持ったまま僕は部屋を出る。もうすぐ答えが出る。そのとき僕はどんな決断をするんだろう。願わくば、もう少しだけこの不条理に満ちた世界で平和な日常にひたっていられることを。

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