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空の上のマリン

「もう寝るマリン」
それが俺とマリンの合言葉。
ポカポカ陽気の空の下。
マリンの腕枕で流れる雲を見る。


世の中の真っ当な道を外れてパチプロになり、人の道をも外れてゆく。
辛い事や嫌な事から逃げるに逃げて、辿り着いた道の果て。
これからどうなるのかなんて知らないけれど、もうどうにもならないことだけは知っていた。

嫁の親の借金の連打に、ネットでの収入やパチンコでの稼ぎで必死に返済しながらも、やや自暴自棄になってしまっていた状況。

不安定な収入なのに、安定して毎月降り掛かってくる借金の利子。
完済したと思ったらまたほぼ振り出しに戻され、終わらない返済地獄。
酒を飲まねばやってられない。気が狂いそう。
寧ろそのまま狂えてしまえばどんなに楽か。

パチンコなんて打ちたくない。
これ以上ストレスを溜めたくないし、一喜一憂なんてしたくもない。
だから釘は見てもパチンコは打たない。
打つのは嫁の役目で、その間いつも俺は酒を飲みながら終わるのをただ待っていた。


その日は見事な快晴。
釘を見て嫁に台を任せたあと酒とつまみをいくつか買って、パチンコ屋の駐車場の屋上へと向かうことにした。
3階辺りからは停めている車も少ない状況なので、屋上まで来る車もいないだろう。
誰もいない屋上の駐車場で一杯やって、空を見ながらゴロ寝をしよう。

しかし誰もいないはずの屋上に彼女は一人で座ってた。

彼女の名はマリン。
柵に付けられた名札に確かにそう書いてあった。
ゴールデンレトリバー、おとなしいメスの大型犬だ。

目が合うなり吠えもせず柵のそばまでやってきた。
誰も来ないパチンコ屋の屋上で一人ぼっち。
「こんなところに来てどうしたの?」とでも言いたそうな顔をしてキョトンとしていた。
それはこっちのセリフだ。


世の中から忘れ去られたような空間に置き去りにされている犬。
どんなに寂しかっただろう。
誰も来ないし通らない。屋上の片隅。
見えるのはコンクリートの床と空を流れる雲だけ。それだけの毎日。

俺も世の中に置き去りにされたようなものだけど、これはそれ以上だ。

柵のそばまで行って座り、しばし見つめ合う。
柵は駐車場の奥に車数台分のスペースを潰すような感じで設けられていた。ショッピングモールによくあるドッグランのような広さ。

柵越しに少し話をしながら酒の缶を開けると「どうぞゆっくりしていって」とばかりにその場で伏せた。
頭を撫でたり手をつないだりしながら俺もゴロ寝。

手を伸ばしてマリンを撫でながら、空を流れる雲を見る。
気がついた時にはすっかり眠りこけて数時間ほど経過していたが、マリンはずっと同じ場所にいた。
添い寝をしてくれていたようで、マリンもすっかり寝ていた。

「そろそろ帰るよマリン」
日も暮れかけた頃、大あくびをしながら別れを告げる俺を座りながらずっと見ていた。
エレベーターのドアが閉まるまで寂しそうに見ていた。


そんな事を何度繰り返しただろうか?
いつしかエレベーターのドアが開いて俺の姿を確認するなり、マリンは俺がいつも酒を飲んで寝そべる場所に先回りして座るようになった。

しばらく顔を見せずにいると少しだけふてくされる。
柵から3歩下がって横を向いてプイ。
それでも寝そべりながら手を横に伸ばしていると、「もう!」と諦めたように俺の腕枕に頭を乗せて甘えてくる。カワイイやつだ(笑)

時には俺が流れる雲を見ながらまた寝てしまった時に、逆に腕枕や腹枕(?)をしてくれていたこともあった。
その時俺は初めて「ワン!」というマリンの鳴き声を聞いた。

うっすら目を開けると、どうやらたまたま誰かが屋上に来ていたようで、「今寝てるからこっちにきちゃダメ!」と追い払っていた様子。
慌てて起き上がろうとすると申し訳無さそうにシュンとしていた。

この時からマリンの腕枕や腹枕で添い寝をすることが恒例となった。

「もう寝るマリン」と言うと腕やら身体やらを寄せてきて、俺の頭を支えようとするのだ。
もちろん本気で枕にして潰すような真似はしないが、少しでもくっついていればお互いに安心。お互いにそれで十分。


秋になり、コンクリートの床に寝そべるにはあまりにも肌寒くなってきた頃、もう柵越しにではなく柵の中でくっついて過ごしていた。
寒さと寂しさで震える俺を暖めるように並んで座り寝そべる。
ほぼフランダースの犬のネロとパトラッシュだ(笑)

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流石に北海道の冬は、もうこうして一緒に過ごすことは出来ない。
だから今日はお別れに来た。
冬の間マリンはどうなるのだろう?
雪は積もるだろうし、それにまた一人ぼっちに。
俺が心配しても仕方のないことなのだろうけど・・・しばしの別れを知っていたのか、今日のマリンは珍しく息がハァハァと荒かった。

「マリン!また春になったら来るからな!」

遠くで手を振る俺をずっと座って見つめていた。
毎回このエレベーターが閉まってマリンが見えなくなる瞬間、ペットをどこかに捨てて帰るような感覚になる。
今日は特に胸が苦しい。

冬になり雪が降り積もった頃、やはり心配になってマリンを見に行った。
そこにはマリンはいなかった。
どうやら冬の間はどこかに避難しているようだ。柵もない。
まあそりゃそうだ。会えずに残念だったが少しホッとした。


雪が解けて春になる。
そろそろマリンも戻ってきている頃だろうか?
ポカポカ陽気の青空の日に、久々マリンに会いに行く。
初めてマリンと会った日とほぼ同じ時期と天気。

マリンは俺のことを覚えているだろうか?
エレベーターが開いた瞬間、いつものあの場所に座ってくれるだろうか?
喜びすぎて柵を飛び越えてきたりして(笑)

エレベーターの中でそんな事を考えていた。
頭の中に優しい顔で寝そべるマリンの顔が浮かぶ。
エレベーターのドアが開く。
だがマリンはいなかった。

マリンどころかあの柵もないままだ。

雪があった時期からそれほど経っていない。
除雪のために冬の間は柵を片付けていただけかもしれない。
たまたままだ柵を出していないだけだ。だからマリンは戻っていないんだ。
そう納得して屋上でひとり酒。

それから何度か通ったものの、いつまで経っても柵が置かれることもなく、マリンも戻ってこなかった。
すでに夏の入り口。

もしかしたら店員の誰かが冬の間に引き取って、そのまま自宅で飼うことにしたのかもしれない。
それならそれで、その方がきっとマリンは幸せだ。
世の中から忘れ去られたような空間に置き去りにされるより、こんな置き去りにされた酔っぱらいの相手をするよりずっとずっと幸せだ。


そして夏も真っ盛り。真っ青な空。
マリンという名前が一番合う季節。
エレベーターに乗り屋上に行くもののやはりマリンはいない。

一杯やってゴロ寝しながら一服し、空を流れる雲を見る。
腕枕がないから寝にくいよ、マリン。

しばらくしてから酒を買い足すためエレベーターに乗って一階まで降りたが、買い物前にトイレに寄ろうと出てすぐ左に曲がった。出口は右、トイレは左。
そこの壁に懐かしい顔の写真があった。マリンだ。

そのマリンの写真のそばには、さよならの言葉が添えてあった。

しばし絶句。
マリンはとっくに空の上にいた。
空の上の天国からずっと俺を見ていたのだ。
ずっと俺はひとり酒なんかではなかったのだ!


酒を買い足し、また屋上へ。
空の上のマリンと流れる雲を見に。


毎年天気のいい日には酒を持ってここに行く。
ここに来ればふたり酒が飲めるから。

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