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信念の人・清水良規さん

 今回は、私が大阪に来るチャンスを作っていただいた当時のM下電器監督:清水良規さんをご紹介させていただきます。

清水さんを一言でいうと

 清水さんを一言で表現すると「信念の塊」です。なぜかというと、行動、発言に対して一切ブレが無く、厳しく、妥協を許さないからです。

M下バスケは雲の上の存在

 教員を志望していた私を、大阪に誘っていただいた話は前回お知らせしました。私は、大阪の独特な雰囲気に少し抵抗がありました。しかも、M下電器バスケットボール部といえば、雲の上の存在。選手も自由奔放で、超個性派集団。その集団を率いて勝ちまくる清水さんは、まさにバスケ界のカリスマ。果たしてついていけるかと、不安は積もるばかりでした。

栄冠を欲しいままに

 清水さんは、京都府亀岡市の出身。名門H山高校から、N体大に進学されました。当時、アメリカ留学から戻られたN体大S水先生が、2軍の清水さんを見出し、1軍へ引き上げたと聞いています。M下電器では、自ら志願して監督になり、黄金時代を築きあげます。その功績は、日本リーグ5連覇を含む優勝12回、天皇杯優勝10回、3年連続2冠達成など、多くの栄冠をほしいままにしていました。1990年には日本代表のアシスタントコーチを務め、1991年からはヘッドコーチとして代表チームも率いています。

清水さんからの一言を心に刻む

 清水さんからは多くのことを学ばせてもらいました。その中の一つ、今でも心に刻んでいる言葉があります。私が入社間もない頃、清水さんから食事に誘われたことがあります。緊張して何を会話したか全く覚えていません。
 しかし、この言葉だけはぐさりと胸に刺さりました。「ええか、いくら人にだまされても、人をだますなよ」。まさに、清水さんの信念を表した言葉でした。

清水さんを17年も待たせる⁉︎

 清水さんにはバスケットボールだけではなく、実は、私生活でも大変お世話になっているんです。

 私は入社してすぐ、何を勘違いしたのか、こともあろうに(まだ彼女もいないのに)、清水さんに仲人をお願いしました。しかも、そのお願いが現実になるまで、実に17年もかかってしまいました。披露宴の挨拶で、「清水さん、お待たせしてすいませんでした」と謝りました。そんなこんなで、今でも家族ぐるみでお世話になっています。

 いかがですか、今回もお読みいただきありがとうございました。清水さんのお人柄が、すこしでも伝わったら嬉しいです。このような素晴らしい人、チームのもとで、私はグイグイもまれていくのです。
 
 次回は、M下電器という会社についてふれてみたいと思います。

#信念の塊 #日本代表監督 #人に裏切られても裏切るな #日本バスケ界のカリスマ

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