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大阪育ち道産子の知らんけど・・159「昔話16 さまよいケータ 電気系」

大阪の電気街、日本橋のお店に勤務したのがスタートで、
販売員(俗称はマネキンとかヘルパー)人生を歩むんやで~。
たぶん24~34歳までの10年くらいやったかと。
その間、クビになったり稼いだり、
結婚したり怪我したり、イロイロあったな~。
ザックリ書いてみる~。

1.DENON

に雇用してもらい、中川無線・日本橋中店のオーディオフロアで、
約3年働かせてもらった。
「販売員は稼いでナンボ。スズキさんなら大丈夫」
という、同じ店に居た販売員の先輩、ナカマエさんのセリフに、
もっと稼ぎたい気持ちも相まって、派遣事務所に籍を置き、
条件の良いダイキン(ぴちょんくんの)に移った。
基本日当15,000円+リベートが魅力で、
あんなにお世話になったDENONを去った。
いや、後悔はないけど、どうかと思うわ。
そして甘々やった自分に気付く。

全然売れん (;・∀・)

マツヤデンキの郊外店2店舗、
西宮と逆瀬川を持たせてもらったんやけど。
確か春先から9月までで、
500台目標のトコロ114台やったような。

趣味性の高いオーディオで、多数のメーカーの中でも
いかにDENONが優れているかを説き、
たくさん販売してきたつもりだった。
好みの差なんかないであろうエアコンなんて、
よほど簡単に売れると思ってた。
大惨敗。
自社製品を売れないばかりか、販売員のご法度とも言える
「お客さんを逃がす」
ことが増えていった。
ナニが問題かわからんオレは、店内での挨拶も疎かになり、
逆瀬川の副店長にこっぴどく怒られた。

「オマエ挨拶もようせんねんな。
んなヤツ要らんねん。
もう店に来んなや、迷惑やから」

ダイキンの営業がアタマを下げてくれて、
それでクビ、にはならんかったが、
あの台数では、当然、契約は打ち切られる。

意気消沈して、就職活動をし始めた。
そんな折、派遣事務所が「短期やけど」と、
次の仕事を紹介してくれた。

2.総合

メーカーの東芝やった。
場所はサンシャインワーフ神戸の和光デンキ。
なんでも年内にはヤマダ電機になるとかで、
ソコに向けた改装やらなんやらで人手が要るらしく、
お店からメーカーに要請があったらしい。

当時、関西の家電業界では、関東勢の攻勢が始まっていて、
間もなく、関西出身の量販店は、ほぼ駆逐されるコトになる。
日本橋も例外じゃなかったな。

その店でキョ―レツな先輩に出会った。
後にアニキと慕うオザキさんだ。

「おい、売り場に立つんやったら
スペックくらいアタマ入れとけや。
客につくんやったら、他のメーカーの分も全部や。
エアコンの工事がようわからん?
帰れ。オマエみたいなヤツおったら迷惑なんじゃ。
カネもらう以上、プロヘル(プロの販売員の意)やろ。
価値下がるから帰れ」

ライバルメーカーや派遣事務所が違う、ならまだしも
同じ事務所で同じメーカー。
せやのにこの言われよう。
「このヒトに教えを請わねば!」
と、強く思ったわ。

アニキと呼ぶまで、時間はそうかからんかった。
販売のいろはから、お店やメーカーでの立ち回り方、
事務所との折衝やギャラ交渉まで、
プロヘルとして鍛えてもらった。
別の店、同じ店、また別の店、と、
時には同じ職場で時には違う職場で、
販売員キャリアの大部分を共にしてもらった。

東芝から日立、日立から三菱と、三菱から日立へと。
総合メーカーを転々とし、ギャラ交渉まで自分でこなすようになった。
この頃には、業務請負を選択して青色申告までしてたわー。

3.季節

お店もイロイロ行ったな~。
和光デンキ高槻、コジマ伏見、コジマ松原、ジョーシン宇治、
ミドリ電化宇治、コジマ高野、ケーズ枚方、コジマ茨木。
販売員キャリアの最終盤は、夏場はダイキンでエアコンを、
冬場は大阪ガスでファンヒーターを売ってたな。
更に最後の2年、ダイキンからのオファーで年間契約を結んでいた。
自分のスタイルも確立して、販売のコンテストでは常に上位。
1度は日本一にもなった。
小さい規模の店やのに、と驚かれるまでになれたんは、
アニキの教えがあってこそやった。
お店の協力があってこそやった。

後半の3年くらいは、波が有っても年収で約600~720万。
ソコソコ稼げるようになってたんやけど、
変な法律改定で、よう売る販売員も売らん販売員も、
日当は同じ、的な。

同一労働・同一賃金とか言うて、
派遣だろうが請負だろうが同じにせなアカンとか。
挙句、雇い主以外には、指揮命令権無いから、
お店は指示出したらアカンとか。

んなアホな。

売りもせんのに権利だけ主張するヤツ、
揚げ足取って店からメーカーからカネ盗ろうとするヤツ、
どーしよーもないヤツが増えてった。
散々、その立場(非正規雇用)を満喫してきたクセに、
ここぞとばかり可哀想ぶるヤツが大嫌いやった。

イヤならヤめろっつーの。

で、ボツボツ潮時かなー。
メーカーからもお店からも、代金貰えるような、
新しいカタチ創り出されへんやろか。
それとも全く新しいコト、なんかやるかなー。
なんて考え始めた。
そんなトキ。

「ケータ、一緒に東京行かへんか」


☆彡 さー、ナニしよ‼️

はい、10年の販売員を終え、東京に行きます。
花の都大東京です。
ナニが起きるでしょうか。

長年の販売員生活で覚えたのは、
世の中の厳しさと自分の甘さ、
プロ意識でした。
シビアに売りを追求する愉しさも、
このトキに身に付いたと思います。

みなさんは、長年の仕事でナニが身に付いたでしょうか。
社会人1年生のトキと今の自分、比較してみませんか。
自分の成長に驚きます。
知らんけど。

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