見出し画像

大阪育ち道産子の知らんけど・・162「昔話19 はみだしケータ 旅情編」

東京で約2年、挫折を味わった2011年。
その春~初夏に、大阪に帰って来るんやで~。
次回くらいで一旦このシリーズ終わりにするわ。
また10年後とかに書いたりして。
番外編もあるかも。

今回は、今、働いてる会社に入るコトになった経緯などを。

1.証券マンから

和菓子屋さんに移籍するんやけど、
キッカケは新社長のお声掛けやった。
前職の証券会社は、テニスの先輩・Michael(日本人)に
誘われて入ったんやけど、その大元はファンドグループ。
そのファンドでは、いくつかの会社を保有&経営していて、
証券会社と和菓子屋さんは、兄弟会社にあたる。
基本は、M&Aした各社を自分たちで経営して、
価値を上げるというスタンス。

で、そのファンド内の会社間では、
経営陣が兼務してたり、適材適所で人が転籍したり、
と、ソコソコ流動的に動いてた。

オレはと言えば、Michaelの誘いで入っただけの、ペーペーもペーペーな、
見事なペータやったんやわ。
ただ、証券会社のシンガリを1人でやり切ったコトを、
ファンドのNo.2に評価してもらってもいた。
震災時に引継の惨状を報告してたのも、
そのNo.2。
そのころにはもう、Michaelは実家の商売をやらなアカンとかで、
居らんかった。

そんなオレσ(゚∀゚ )を、使いたいって言ってくれたんが、
和菓子屋の立て直しを任された新社長、イデさん。
ファンドに来るまでは、○菱のタイ現地法人立ち上げ&社長を
任されてたらしい。
スゴいオーラで首がなくて耳が潰れてて、コワカッコよかった。

ある日No.2から、
「イデさんがスズキクンと仕事したい言うてる。
証券会社もキッチリやってくれたし、
オレも関わるし、来てくれたら嬉しいわ」
と。

2.思い当たる

接点と言えば、グループ内の親交を深める目的で開催した、
テニス交流会くらい。
ペータとして、全段取りからレッスンまで、
全力でやってはいたけど、それくらいやわ。
ピンとはこんけど、声掛けてもらえたんは嬉しかった。
証券会社の後、特にコレっちゅうコトもないし、
オハナシは聴かせてもらおうと、2人に会いに行った。

「……で、……というワケやねん。どう? 興味ある?」
手短に和菓子屋さんの現状と展望を教えてもらった。
「正直、ないです。和菓子も好んで食べませんし。
でも、お二人からお声を掛けてもらえたコトが嬉しいですし、
イデ新社長のカバン持ちさせてもらえて、且つ、
お二人からビシバシ鍛えてもらえるポジションには、
とても興味があります。よろしくお願いします」
「ヨシ、じゃあ一緒に頑張ろう」
「ハイ、よろしくお願いします」

36歳、コマシな受け応えはできるようになってたかな。
しばらく引き継ぎをこなしつつ、東日本の拠点で仕事を覚え、
近いうちに大阪本社に勤務するコトになった。

ヾ(o´∀`o)ノ♪
ヾ(o´∀`o)ノ♪
ヾ(o´∀`o)ノ♪
大阪や~~~。

3.カバン持ちは

長く続かんかった。
というかイデ社長のカバンを持つコトは無かった。
オレが大阪に戻って来る前から、
カラダの調子が悪くなり、
検査結果はガンやった。

オレが大阪に戻ってきたのは5月半ばやったけど、
もう入院してはった。
新大阪近くのホスピスやった。
6月のある日、亡くなってしもた。

終盤、お見舞いに行ったり、おウチに呼んでもらったりしたが、
オレが行くと、気丈に明るく振る舞われる様子が、
申し訳なかった。

早過ぎる。
カバン持ちさせてくれる言うたのに。
ナニも教わらんうちに逝ってしまうなんて。

葬儀は社葬、その後もご家族のケア含め、
携わらせてもらった。

たくさんの方が集まる様子から、
どんな方だったのか、簡単に想像できた。
カッコ良かったで、イデさん。

でも死んじゃうなんて。
約束とちゃうやん。
ソッチ行ったらモンク言わせてもらうで。


☆彡 さー、ナニしよ‼️

出足からキビシメでしたが、
アレから11年が経とうとしています。
イデ社長に鍛えてもらうコトは叶いませんでしたが、
代わりに社長になった、
ファンドのNo.2に鍛えてもらいました。

次回は少し、仕事のコトを書こうと思います。

さて、みなさん。
いくつ、どんなターニングポイントがありましたか。
意図する・しない、や、大・小に関わらず、
書き出してみましょう。
現時点での発見は刺激になります。
知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?