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大阪育ち道産子の知らんけど・・157「昔話15 さまよいケータ 電気系」

はい、まともな社会復帰まで、
1年半かかった病気生活(入院込み)。
その間、パチンコやゲーセンに入り浸り、バイトの面接はブッチ。
テニスも思うようにできんし、人工肛門も面倒やし、
何よりマトモに食えんし、で。
ストレスに向き合えず、自堕落な生活を送ってた。
唯一、たまに頼まれてやるテニスのプライベートレッスンだけが、
社会との繋がりやった。

そんな自分に転機が。

1.オーディオ好きなら

「販売員やってみはったら?」
病気後も、テニスのレッスンを頼んでくれてたトウケさんが、
声を掛けてくれた。
「電気街の日本橋やったら、オーディオ専門の販売員居てますよ。
僕、学生のトキやっててね。今もツテあるから、
コーチその気あるんやったら、ハナシ通しますよ」と。

トウケさんは、10歳くらい歳上の生徒さん。
病気前からお宅に呼んでご馳走してくれたり、
ご家族との食事に混ぜてくれるなど、
お世話になりまくってたヒト。
このままじゃアカン、思てたし、
ハナシ通してもらえるなら、と、お願いした。

ほどなくして、
「コーチ、DENONってメーカーのスミダ部長を訪ねて、
面接行ってください。
あ、履歴書に自己紹介文付けて持って行ってくださいね」

エンコやのに形式上の書類用意するんか……。
正直、面倒クサいな、と思った。
けど、顔潰すワケにもいかんし、
言われた通り、書いて持ってった。
汚ない字がイヤやった。

2.長堀橋のDENON

事務所に行って、部屋に通される。
DENONは、日本のオーディオ機器メーカーで、
元日本コロンビアとしても知られてる。
会社のコトなど大して調べもせず、形式上の面接が始まるのを待った。

最初、担当営業だ、と、コテラさんがニコニコ現れた。
簡単な世間話をしては沈黙。
見るからに優しそうだが、頼れそうには見えず、
スミダ部長を待ってる様子。
オレは何様のつもりなのか、上から見てた。
「シャベりもウマないし、コレで営業って、売れるんかいな」
(オマエがシャベらんかい´ཀ`)

と、そこへ。
「はい、お待たせ……と」
現れたスミダ部長らしきヒトも、サワジリよろしく、別に、な感じ。
歓迎されてないのはわかる。
落ちそうやなぁ、と思った。

「で、コテラ。どう?」
「ハイ、頑張ってくれると思います」
「そうか。要るんよな? 販売員」
「ハイ、欲しいです」
「わかった。この子でええんか」
「ハイ、お願いします」
「キミ、頑張れるか。
最初は土日祝だけで日当7,500円の歩合無し。
成績良かったらフルにもするし、
歩合も付けるし日当も上げる。どや?」

「ハイ……、頑張り……ます」
死にかけの蚊🦟より小さい声。
気に入ってなかった。
んー、こんな扱いなんやな、
ホンマに顔効いてるんかな、
と。

そんなオレσ(゚∀゚ )に
「あんな」
と、スミダ部長。

「言わんとこう思たけど。
ダレ言うたかいな、
自分を紹介してくれたヒト。
あのヒトに感謝しいや。」

トウケさんのコトや。

「オレは別に販売員要らん思てた。
コテラが欲しがってたんは知ってるけど、
置きゃ売れる言うモンちゃうしな。
ソコヘあの飛び込み電話や。
オレと同い歳くらいやろ。
ええおっさんが、必死で頼むねん。
間違い無く御社の力になるから、って。
僕が保証するから、って。
いや、誰やねん、て思たで。
一生懸命でめちゃくちゃ頑張るから、って。
マネキン(販売員の俗称)は初めてでも、
すぐヒトの心掴むから、って。
話もおもしろいし、絶対たくさん売るから、って。
病気して療養してたけど、もう大丈夫言うてる、
こんな拾いモン居ませんよ、って。
ウチで3件目や言うてはったわ。
ビクターにケンウッドには断られたって。
その正直さも、一瞬、ん?ってなったけど……。
電話番号調べて仕事中にかけたんやろな。
オレは大の大人にココまでさせる・言わせる子に
興味があっただけや。
オレなら親戚に頼まれようが、
自分の息子やろうがようせん。
一体どんな子なんやろ、と、楽しみやったんやけどな。
正直、あんまり覇気無さ過ぎて拍子抜けしたわ。
ま、ええわ。
ソレでも自分は、他人にあんなけ言わすんや。
その力、見せてみ。
自分雇うんは、誰や知らん、あのヒトを信じるからや。
しっかりやるんやで。
あのヒトにちゃんとお礼言うんやで」

「はい! 頑張ります!」
泣くのを堪えながら、
過去最高にデカい声で返事した。

3.ヒトへの

感謝で泣けたのは初めてやった。

「コーチはああでも言わんと、
ウン、て言わんやろ、と思いましてね。
スミダ部長、雇うから、と、電話くれましたよ。
良かったですね。頑張って下さいね。
あ、スミダ部長に伝えたコトは僕の本心ですよ」

と、照れくさそうにトウケさん。
今まで感じたコトのないヤル気が漲った。

ヤル気に満ちてやる仕事はチョー楽しかった。
成果もすぐ出た。
営業所の販売員で売上1位になったり、
新発売の最上位アンプ(当時350,000円)第1号を、
販売したり(全額入金の予約販売)。
スミダ部長もコテラさんも、
大きい成果を出すたびに喜んでくれて、
働く日も給料も徐々に増やしてくれて、
最終は、フルタイム・日当10,500円・歩合1%、
まで、してもらったと思う。

ちなみにコテラさんはチョーやり手で、めちゃくちゃフォローしてもろた。


☆彡 さー、ナニしよ‼️

この後も、まだまだ未熟な私はいろんな失敗を繰り返します。
ですが、社会復帰できたのは、
トウケさんとスミダさん・コテラさんのおかげです。
(身内や彼女を除き)ヒトに支えられてるんだ、
という実感を持たせてもらいました。
自分に向き合うコトができるようになりました。
本当に良い経験をさせてもらいました。

トウケさんとはたまに連絡を取りますが、
スミダさんもコテラさんも連絡を取ってません。
どうされてますかね。
電話してみますかね。

みなさんはどなたにどんな経験させてもらったでしょう。
思い出してみませんか。
自分の芯にあるモノ、言語化できますよ。
知らんけど。

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