No.3 お尻派よ、勝利の日は近い。宴の準備を開始せよ!

ついに論争の火蓋が切られた。
自分がお尻派と銘打って、おっぱい派の友人に論争仕掛けたことが発端となり、おっぱい・お尻派のどちらが優れているかという一見決着のつけようのない論争が始まった。
おっぱい派からの反論は以下のnoteだ。

まず、最初の感想として、友人の語彙力と文章に驚いた。

友人の書いた文章を初めて読んで、感激した。
それでこそ論争相手にふさわしい。

感激したものの友人のnoteを読んだところで、やはり自分はおっぱい派にはならないと確信した。
なので、お尻派として反駁させていただく。


おっぱい派の傲慢さ

確かに、おっぱい派には多様な価値観が混在しています。特に貧乳好きは巨乳好きをやたら悪く言いますし、巨乳好きは貧乳好きを理解できない存在としています。しかし、だからといって相手を蔑んだりしませんし、なによりおっぱい(貧乳巨乳問わず)に対して自然なリスペクトがあります。他流派に同調できなくても存在は許容し、自らの好みのおっぱいへの愛に正直です。巨乳好きは巨乳への愛に、貧乳は貧乳への愛に生きています。

おっぱい派の第一反駁の文章に違和感を覚えたのは、私だけだろうか?

特に、この部分である。

他流派に同調できなくても存在は許容し、自らの好みのおっぱいへの愛に正直です。

「存在を許容し」同じおっぱい派の仲間に許容という言葉を使うあたりが、自意識の高さが出てしまっている。
誰に許される必要もなく人は生きるべきなのに、同じおっぱい派の仲間にすら、自己意識の高さが出てしまっている。仲間意識が低く、他社よりも自分の好みにしか興味がないのであろう。もしお尻に個体差があったとしても、お尻派の仲間には「許容」という言葉は使わず、「共生」という言葉を使うことだろう。

「個体差が小さい」「どんなお尻も」「どの尻もバカにせず」耳あたりのいい言葉です。しかしこれではあたかも個体差が悪であるように聞こえてしまいます。おっぱい派が内部で争いをしているという断定も、個々の違いを尊重できない尻派の狭量さを反映しているように思えてなりません。自らに都合のいい『女の尻』に全ての女性をはめ込んでしまう様はさながら全体主義です。彼らが尻を愛でる時、彼らは『尻のイデア』を愛でているのであって、今そこにある尻は見過ごされています。そんな独りよがりな尻派に抱かれる人が不憫でなりません。多様な価値観が存在するおっぱい派なら、あなたのおっぱいを愛する者が必ず見つかるというのに。

また、ここでも尻のイデアを愛しているという批判があったが、おっぱい派は多様な文化圏に存在するからこそ、他者の趣味嗜好に無関心であり、別に個々の違いを尊重しているというわけではなく、ただ他者に対して興味がないだけである。他人に興味がないことを「リスペクト」という言葉で逃げているが、本当におっぱい派の仲間にリスペクトを持っているのだろうか。

そもそも、イデアを追い求めて何が悪いのか。
イデアを捨てて、現実に即して考えるようになる瞬間こそが大人になる瞬間である。イデアを追い求めるサイクルから解脱し、大人になる。
最初から現実に存在するおっぱいから、自らの好みのおっぱいを探そうとするおっぱい派は、大人に成長することがない子供であり、イデアを求めない時点で、自分に嘘をついた悲しき存在である。


自立した大人なんて存在しない

充分に自立した大人であれば、女体の好みを誤魔化す必要などないのです。

尻派も内部分裂していて、尻派にもおっぱい好きがいるという指摘でしたが、誤魔化してしまう人が存在することは仕方ないのです。
たしかに、充分に自立した大人であれば、女体の好みを誤魔化す必要がないのかもしれません。しかし、そもそも充分に自立した大人なんてこの世に存在するのでしょうか。

人間は、社会を構築し、関係性の中で生きています。
関係の中でしか生きられない人間は、どうしても周りに合わせなければいけない。
自立したと言い張る人がいたとしても、たとえその人が野菜などで自給自足で生活していたとしても、最初のタネは誰かが作ったものですし、たとえタネを拾ったとしても、それは自然から頂いたものです。その自然に感謝せずに、自分は自立して生きているなんて感謝のない人間は、自立した存在とは言えずに、周りが見えていない大バカ者といったところでしょうか。
話が逸れましたが、以上から充分に自立した大人なんて存在しないことが分かりました。人間は、関係性の中で相互依存的に生きていることを、おっぱい派の人は、改めて省みる必要があると思います。


お子ちゃまな「おっぱい派」と大人になった「お尻派」

誤魔化さない人間が存在しない以上、どちらかの派閥の人が、どちらかに合わせていることが明らかになりました。

そこで、今回主張したいのは、「子供すぎるおっぱい派に合わせて、大人であるお尻派が自分の好みを誤魔化している説」です。

そもそもおっぱいが機能している時期は、とても短いです。
子供が生まれて母乳が出ている時期だけです。
それ以外では、性的魅力を増す以外の役割はないと言ってもいいでしょう(男性の僕にわからない役割があったら、申し訳ない)。

ということは、人間がおっぱいを必要としている時期は、赤ちゃんの頃だけである。

一方のお尻はどうであろうか。
お尻という存在に興味を持ち出すのは、いつからだろうか。
多くの男性が気になり出す時期は、思春期だろう。
保健の授業で男女の身体の違いを教えられ、女性のお尻が男性のように、ただの排泄物投棄に使われる存在だけではないと知った。
その頃から、男はお尻に興味を持ち出したはずである。
人間も動物として生きているのだから、子孫繁栄させるためには、男性に性的興奮を起こす必要がある。そのために、男性を興奮させる女性的な身体パーツが必要になってくる。
それがお尻なのだ。いわば、お尻は生殖機能の根源であると言える。

だからこそ、思春期を経て大人になる頃には、お尻を好きになる。
でも、おっぱい派は違う。
生殖機能の根源であるはずのお尻よりも、おっぱいに興味が出ているのだ。


ママのおっぱいを追い求めるおっぱい派

なぜ生殖機能の根源であるはずのお尻よりも、おっぱいに興味が出ているのだろうか。
理由は、簡潔だ。
ママのおっぱいを忘れられないから。

赤ちゃんの頃に飲んでいたママのおっぱいが忘れられないから、いまでもおっぱい派として、赤ちゃんの頃のママのおっぱいを探し求めている。
いわば、これはママのおっぱいをイデアとして、探し求めているのではないか。

おっぱい派の友人は、お尻派はイデアを探し求めていると批判していたが、おっぱい派こそが存在しないママのおっぱいというイデアを探し求めている。
しかし、ママのおっぱいは過去の遺産であるがために、記憶の中にしか存在しない。そして、自らイデアの存在を否定するおっぱい派は、永遠に解脱できず、大人になる瞬間を逃し続ける存在である。
なんと悲しき存在であろうか。
その悲しさに気づいた者たちから、おっぱい派からお尻派にシフトチェンジするのだ。

お尻派はイデアを追い求めていることを認めて、ある時から現実に戻ってくることで、大人になることができる存在と言える。


おっぱい派へのメッセージ

70%を超えるおっぱい派の方々よ、そろそろ大人になりませんか?
ママのおっぱいは、もう存在しないんです。
それを認めて、楽になりましょう。
お尻派は、おっぱい派からのシフトチェンジを歓迎いたします。
かつての自分たちがそうであったように。


P.S.

ちなみにヤンキーが尻好きの場合は脚、脚好きの場合はおっぱいが好きであるとします。

この箇所が謎でした。純粋ではありませんが、脚好きお尻派の亜種です。
どうやってもおっぱい派に帰結する論理展開にはなり得ないと考えます。

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けみくん

青二才のくせに。

青臭いヤツが青臭いnoteを書きます。
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