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師匠いない人用の「守破離マニュアル」

良い文章書きたい。
そう思って、少し前から毎週4つnote書いてます。

文章力向上のために数をこなしているわけですが、別に師匠もいるわけではなく、ただ書き散らかしているだけです。
これはこれで良いものが書けることもあるかもしれませんが、試行錯誤して書きながら成長を期待するよりも、やっぱり王道の方法で成長した方が到達点が高いと思います。

そこでよく成長するために、王道と言われている方法が”守破離”です。
以下引用です。

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。(wikipediaより引用)

引用見てもらうとわかりますが、守破離って師匠ありきの考え方なんですね。

でも、僕に師匠って存在がいるわけでもないので、どうやって文章力向上させようかって考えあぐねていました。

そんな時に、前に読んだ二つのnoteを思い出しました。
まず、一つ目はパラレル親方というイベントについて書かれたカツセマサヒコさんのnote。

僕の(勝手に)初代親方にあたるサカイエヒタさんと久しぶりに話をした。

以下、だらだらとした会話が続く。
エヒタ「でも実際、『師弟』ってどう思うよ?」
カツセ「あー……。俺、実はライティングとか編集とか、手取り足取り教わったことはなくて、プレスラボも即実践で朱字から学んだだけだし、勝手にエヒタさんを『師匠』って呼んで、記事やツイートから見よう見真似でニュアンス掴んでいったから、『学ぶ』っていうより『盗む』ってことばかりやって育った気がします」
エヒタ「そうだよねえ。俺も、デイリーの林さんを尊敬して、影響強く受けて書いてるから、なんかその気持ちはわかるんだよねえ。あとは村上春樹とか」
カツセ「ああ、僕は伊坂幸太郎からです。そうなると、『教育』ってどうやるか、どう教わるかもよくわからないし、あとは『こちとらずっと実践くぐり抜けて来たんだぞコラ!』って、教育組に対してなんか対抗心持ってるところすらあるかもしんねっす」
エヒタ「ちょっとわかるんだよなあ。いや、俺もカツセ君も、絶対にいろんな人からいろいろ教わっているんだよ? 俺もそれがあって今があるとは思うんだけど、『べったり教わる』ってスタンスはね、不思議だよねえ」

弟子が育つためには、べったりと師匠にくっついて手取り足取り教えてもらうことが最短ルートかもしれないし、「長く戦っていくために必要な力を付けるには、それが最適な手法だ」と言われれば確かにそうだろうと思えなくもない。
でも、雑草魂というか、そういったもので育った自分は、「教えてもらうまではできない」と口を開けて待つような人間では、この世界を生きていくことはできないように感じる。「誰も教えてくれないなら、技を盗んで、できるようになるまでやる」。そういったマッチョな発想を行動レベルで起こせる人こそが、頭角を現すのではないかと思ってしまうのだ。
「誰も教えてくれないから、自分で見て真似て習得しました」
パラレル親方のイベント中、頻繁に「素直さが大事」という話が出たが、もし「素直さ」が「吸収力」と置き換えられるものならば、まさに見て真似て習得できるほどの吸収力こそ、親方たちが求めているものではないかと思う。つまり、もし仮に弟子にはなれなかったとしても、こっちから勝手に師匠にしたつもりで、見て盗んで学んで、いつか「うわ、なんで弟子にしなかったのだろう」と思わせるくらい見返してやれってことだ。
(『パラレル親方と教育と雑草魂』から引用)

二つ目は、写経について書かれた末吉宏臣さんのnote。

ただ、とにかく文章を書き写しているうちに、「こういう場合はこう書けば、読者に伝わるんだな」といったコツがなんとなくつかめてくる。読んだ人が唸るようなカッコいい名文はもちろん、「人に伝わる文」というのも、いきなり書けるものではないんです。

 ただ面白いことに、こうした「人に伝わる文」の基本がつかめてくると、今度は自然と「自分の文章」も書けるようになってくるんですね。「自分の文章」「自分の文体」を作るために特別な練習をしたわけではないけれども、ある段階にくると、自分なりのリズムが出てくる。(『書く力』より引用)

この写経に関する文章だけでも、他にもご紹介したいお話がいっぱい。( 文章を書く人にはとにかくオススメしたい一冊です )
読むだけなら、すっ飛ばして読み進めることもできるかもしれない。けれども、書き写すとなると一字一句を丁寧に追いかけていく必要がある。これを続けていると、この作家さんがどんな工夫をして書いているのか、逆にじぶん自身がどれだけ手抜きをしていたかとか、変な癖みたいなものも自然と浮かび上がってくる。(「書き写す」の効用より引用)


この二つのnoteを読んでみると、別に師匠いなくても写経することで守破離の考え方を応用できそうだなって思いました。

<守>基本の型を身につけるために、写経をやる

<破>写経をやりつつ、noteを書くことで型の研究をしていく

<離>型を十二分に研究し尽くし、その型から自由になる

元々、憧れている人たちはいるので、その人たちの文章を写経してみようと思います。
ほぼ日の糸井さんだったり、「嫌われる勇気」の古賀史健さん、田中泰延さんやオードリーの若林さんの文章などを写経してみます。

師匠がいなくたって守破離はできるかもっていうお話でした。

今日の覗きに来てくれてありがとうございます。
ではまた。

ちなみに、この挨拶も『今日のダーリン』を真似したものです。

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