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各地で行われる、参加型のジャズフェスというもの

あまりにも大きな規模はいかがなものだろうか。

という素朴な疑問が湧いてくる。
というのも、数多くのバンドやユニットが出演するが、スタンダードなジャズの曲というのは多いようでさほど多くなく、各所で曲の被りが発生している。
演者にとっては、大切な一曲なのかもしれないが、その大切な一曲が各所で被りまくっているために、聞く(ここでは敢えて「聴く」という表現を避けさせてもらう)側にとっては、またコレですか?となってしまう。

ビッグバンドあるあるとして

メンバーの被りも極めて普通の事でもあります。
管楽器系のプレイヤーで、ビッグバンドをプレイする人の中には1つのバンドにしか所属していないという人はあまり多くなく、少数派であると言っても過言では無いと筆者は考えている。

そんなメンバーの被りの中での出演時間の調整というのは、主催者側にとってはどんなストレスがあるのかは考えるまでも無いだろう。

規模が大きいからこそ、全体のクオリティが低下する

まぁ、当然の結果と申しましょうか。。
ズバ抜けて良い演奏をしているグループもあれば、そうでは無いものも存在することは否めない。
人前で演奏するという大前提をすっ飛ばして運営されているグループもあるでしょう。
よく、ビッグバンドのメンバー募集記事などで見る「学生の頃にやって楽器をもう一度やってみたい方」「初心者OK」いやいや、ダメだろそれ。
そんな感じで集められたメンバーでやっているビッグバンドの中には、コンボをやらない、セッションにも行かない、アドリブ?なにそれおいしいの?な人が意外に多く、編成がビッグバンドであってもジャズのスピリットが1ミリも存在しないそんなバンドが存在します(いや、むしろそっちの方が多いかもしれない)

そんな有り様を散々見てきました。
イベント側の姿勢を変えないとダメなんじゃないかとは思うのですが、
規模を優先するが故に、足切りがなくどんなクオリティでも出してしまう事には先々不安しか無いです。

ただでさえ、ジャズの衰退が加速しているこの時代に、エンターテインメントとは何かという大切な部分をスポイルしてまでやっていく価値はあるのだろうか?

規模を縮小し、審査を厳しく行い「出れる事がステータス」になるようなイベントに転生して行かないと単なる祭りにしかならないような気がしています。

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