サッカー日本代表の敗因はアドレナリン過剰?
前回、「サッカーだけの国」にはない本能的な難しさが日本代表にはあるが、逆に「野球も強い国だからこそのサッカーの強さ」を追求すれば他にない強みになるしそれは経済の復調にも繋がるという話をしました。
それはつまり、各人の「役割」が明確にあってしかもそれが当然のごとくみんなに承認されている野球文化と、常に色んな可能性がありえて「周りの承認」とか関係なく個人で決断し続けることが必要なサッカー文化・・・との本能的なギャップに苦しんでいる日本代表は、常に「サッカーだけの国」に比べて「意識して意識してアタマで考えて」なんとかやっている・・・という要素があり、それが「調子が良い時の瞬間最大風速的な”良い攻撃”と、緊張の糸が切れた時の突然の脆さにつながってるのではないか」という話でした。
しかし今後、サッカー自体が物凄くデータ的に分析される傾向が強まることによって、「サッカーが野球的なスポーツに近づいてくる世界的なトレンド」があることから、そこに日本代表の未来の活路があるだろう・・・・という話などについては、前回の記事を参照いただければと思います。
さて、今回はより詳しく前回のコートジボワール戦についての話と、サッカー代表チームだけに限らず最近の日本の「組織マネジメント」における「アドレナリン過剰」の問題について詳しく考えてみます。
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