勝海 恵

マイケル・サンデルになりたい女子大生。

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マガジン

最近の記事

2.恋人という特殊な関係

「愛ってなんだろう?」とか 「好きってなんだろう?」とか 素朴なんだけど、切羽詰まった問い。 運命のように感じていた「好き」な人を それまでのように「好き」でいられなくなったり、 打算的にみえるような「愛」を行うことが 現実の「愛」なのではないかと思ったり。 今日は恋人同士という関係における「愛」に焦点を当てて この問いに答えられたらと思います。 というのも、愛にはいくつか種類があり、 (家族愛とか、神への愛とか、友人愛とか) 恋人同士の愛とは中でも特異な位置を

    • 1.愛って必要か?

      愛って、 無条件に「素晴らしいモノ」でしょうか? 幸せになるために、 不可欠なモノでしょうか? 「自立」が大きな声で叫ばれてる現代において 「別にひとりで生きていけるし…」とか 「恋愛ってめんどくさい」とか 愛って夢物語、必要ないって人が多い。 キラキラした目で恋愛が語られることって 少ないよなと思います。 もしくは、愛は必要である!派の人も 「この年で結婚してないと変に思われてしまう…」とか 「子供が欲しいから誰かしらとしないと」とか 愛が目的になっていな

      • 0.愛って何だろう

        彼のことが好きなのかわからなくなったり、 恋愛に一喜一憂する自分に嫌気がさして、 「なぜ人は愛するんだろう」って考えて、 その解が出ないことに不安を抱え続けている 真の愛なんて存在しないって冷めた頭で考えてるくせに、 運命の愛に、憧れや羨みを感じていて、 「いつか良い人現れるかな」って思いながら、 周りの幸せに焦りを抱き続けてる 多くの人にとって「愛」の問題は関心が高く、 その割には、何やら空から降ってくる魔法のようなものに思われていて、 理論立てて語られることは

        • あなたは"優しい"のか?

          突然ですが、 あなたは「優しい」ですか? 優しくない、というのはなぜでしょう。 「人の嫌なところばかり目についてしまって、陰で悪口を言う」から でしょうか。 優しい、というのはなぜでしょう。 「人のことが好きで、気遣いのある振る舞いをよくできる」から でしょうか。 「優しい」って何なんだろう。 「優しい」人でありたい、とか 「優しい」人が好き、とか それは何を指しているんでしょうか。 倫理学には、 その行為の「結果」を評価する派と、その「動機」を評価する派

        2.恋人という特殊な関係

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        • 愛について
          3本

        記事

          「そう思われたい自分」との付き合い方~承認欲求のすゝめ~

          「そう思われたい自分」に、邪魔をされたことはないですか? 本当はしたいことがあるのに、周りの目が気になってできなかったことや、 特別な人だと思ってほしくて、取り繕ってしまったこと 好きな人の前とか、自分をよく見せようと躍起になればなるほど 裏目に出たりするもんだから世の中不思議ですよね、まったく… とりわけ最近は、「SNS盛」という言葉があるくらい 自分をよく見せることに関心がある人が多く 社会もそうした心理を掻き立てるような工夫を凝らしているなぁと思います この「そ

          「そう思われたい自分」との付き合い方~承認欲求のすゝめ~

          社会的な道具として生きること

          みなさんに ありたい姿、なりたい私 はあるでしょうか? こうなりたいなと思う 自分の理想の姿みたいなものは 私は物心ついた頃から それを持つことが正しいと思ってきたし 現状を見極め 理想から逆算し そのギャップを埋めるために行動してきました ただ、 ひたすらギャップを埋めようと努力をするも 理想の方もどんどん高くなっていく その理想は私の場合 社会的に、市場的に、よしとされる姿です 永遠に頂上に辿り着けない山登りをしているようだと思います これまで、こうし

          社会的な道具として生きること

          何「を」選ぶか、ではなく、何「で」選ぶか

          こうした質問を、よく耳にします 彼氏が〜なんだけど 別れたほうがいいかな?別れないほうがいいかな? とか はたまた仕事において 日常の瑣末な選択において どっちを選んだらいいかな? と、よく聞きます 多くの場合、その人の頭の中には天秤があり、 片方の皿に、Aを選んだ場合のメリットデメリットが、 もう片方の皿に、Aを選ばなかった場合のメリットデメリットが乗っていたりします その天秤はふらふらと動きを止めなくて、 だからとっても困っている、 決定的な重みを一方に乗

          何「を」選ぶか、ではなく、何「で」選ぶか

          幸せになるために必要だと思うこと

          以前も「幸せ」について書きましたが、 (URL「幸せってみんな違ってみんないいか?」)(https://note.mu/keke_katsumi/n/n228ebbe4f472) 今回は 「幸せとは何か」 「幸せを手に入れるにはどうしたらいいか」 について私の考えてることを書きたいと思います。 まず結論からお伝えすると、 私は 幸福は自尊心であると考えています。 なぜかというのを 順を追ってお伝えさせてください。 まず、人は個々人の認識の中に生きている

          幸せになるために必要だと思うこと

          「好きを仕事にする」の「好き」を持つ難しさ

          この頃、 「好きを仕事にする」 そのことを信じ、実践している人がいたり その重要性がいろんな賢い人の口から説かれていると思います。 最近読んだ、ホリエモンさんと落合さんの「10年後の仕事図鑑」って本、 本当にやりたい仕事で生きよう、であったり、意思決定を自分でしよう、であったり、 簡単なようで、多くの人たちが見失う観点が、裏付けと共にわかりやすく説明されていて とっても面白い本だと思いました、オススメ。 一方で、私たちはこの文化に生きる以上、 本当の自分の欲

          「好きを仕事にする」の「好き」を持つ難しさ

          表現の自由とモラルについて

          表現の自由って、どこまで許されるのか問題 最近結構耳にします 何かの番組や出版物が販売中止とか放送中止とかになったりすると 「大変だ!表現の自由が脅かされている!公権力の弾圧だ!」 って批判が殺到しますよね 法的に「ルールだからダメなの!」ってよりも そもそも表現の自由ってなんのためにあって そこの制限はどこまでなのか 倫理的に考えることが大切だと思いましたので ミル大先生の『自由論』を用いながら書けたらと思います〜 まず表現の自由ってなぜ大事なんでしょう

          表現の自由とモラルについて

          幸せって「みんな違ってみんないい」か?

          誰しも、 幸せになりたいと 幸せでありたいと 思ったことがあるんじゃないでしょうか ただそうしたときに言われる言葉として 今を大切に、幸せだと思いましょう、とかね 人それぞれの幸せがあるからあなたは幸せ、とかね 大層な言葉だとは思うし、 全くその通りだとも思う。 ただ、幸せって本当に「みんな違ってみんないい」でしょうか? もしくは、幸せとは 幸せの連続という意味ではなく、 幸せな人間になるという意味ではないかしら? え?それって同じ意味じゃないの? って思う方

          幸せって「みんな違ってみんないい」か?

          私たちは異性を買っている

          私たちは異性を、恋する対象を、 まるでデパードで服を選ぶように、 まるでコンビニでお弁当を選ぶように、 選んでいるのだということ。 そしてそのことはなんら意識をされず、 あたかも真の愛のように、 私たちに思われているということ。 やや過激な発言ですけども、 わかる気がしませんか? 女の子と話してて必ず話題に上がる 「どんな人がタイプ〜?」 という話題 (え〜?私はぁ〜…とか言って、それはもうノリノリで話すわけなんだけども) その言葉が私たちの恋愛を表しているな

          私たちは異性を買っている