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1.愛って必要か?

愛って、
無条件に「素晴らしいモノ」でしょうか?

幸せになるために、
不可欠なモノでしょうか?


「自立」が大きな声で叫ばれてる現代において

「別にひとりで生きていけるし…」とか
「恋愛ってめんどくさい」とか
愛って夢物語、必要ないって人が多い。

キラキラした目で恋愛が語られることって
少ないよなと思います。

もしくは、愛は必要である!派の人も
「この年で結婚してないと変に思われてしまう…」とか
「子供が欲しいから誰かしらとしないと」とか
愛が目的になっていないパターンも多そう。

**では、愛、それ自体が目的になることってあるのか?
**

特殊な形の信頼関係を、
築く必要が、人にはあるのでしょうか?

この問いに答えるには、
人とはどういう存在なのか
その話から始めるのが良いかと思います。

社会心理学者で哲学者のエーリッヒ・フロムは
その著書「愛するということ」で

人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。

と述べています。

それはなぜか。
人はその育成過程において「孤立」を経験し、
外界から離脱することで「自由」を獲得するからです。

子供は生まれると、もはや母親とは一体ではなくなり、母親から離れた一個の生物学的存在となる。しかしこの生物学的分離は、個人的な人間存在のはじまりではあるが、子供はなおかなり長いあいだ機能的には母親と一体になっている。…個性化の過程の他の面は、孤独が増大していくことである。第一次的絆は安定性をもたらし、外界との根本的な統一を与えてくれる。子供はその外界から脱けだすにつれて、自分が孤独であること、全ての他人から引き離された存在であることを自覚するようになる。(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム)

人は成長していくにつれて、
それまで他人が自分から離れたものとして意識されていなかったのが、
自由や独立を求めることで自我の力を強めて、
母親や外界から離脱します。

この過程のことをフロムは「個性化」と呼んでいて、
この「個性化」こそが、
人間が「孤立」の問題を引き起こす原因であるとしているんですね。


この「個性化」の傾向は社会構造の変化によっても際立っているとしていて
さらっと言うと、
中世社会のような「役割」によって自我が規定されていた人たちは、
一方で「自由」がないと評されるけど
そのことで「孤立」を感じにくかった。

でも現代の私たちは
自分の経済活動によって社会的役割を超えることができるようになったけど、
より「孤立」を感じやすくなっている。


なるほど確かに

人が孤立を克服したいという欲求を内に持っている
その説得力は確かにあるな~と思います。

そんな私たちは

「みんなと同じ」になることや
支配と服従の関係をつくることで
孤立を克服しようとしているんだそうなんですが

そんな手段は本質的じゃない、
一時的なものですぐにまた孤立になるってフロムは言います。


そしてその孤立問題の唯一の回答が

人と人との関係、「愛」なのだと、そう言います。


これ私、相当面白いと思っておりましてですね

愛の代替とされるようなものがなぜ批判されるのかは
「一時」的だから

愛がなぜ唯一の回答なのか
それは「永遠」だから


では「永遠」の愛のみが人の孤立を救うとするなら
そしてその孤立の問題が人間の一番の欲求だとするなら
ほとんどの人が一時的に「孤立」をごまかしごまかし生きている

でももし、愛というものができたら、
あらゆる孤立の克服のために躍起になって、
(孤立のためにと意識されていないことの方が多そう)
そのたびに苦しんでという状態から解放されるのか~と

可能性あるなあ…


しかしまた「愛」自体も、
一歩間違えりゃその孤立と匹敵するような苦痛をもたらすので
私たちは愛することを学ばねばならないんですね。


今回は
人がなぜ愛するのか
愛とはなぜ必要なのか
話してきました。

次回は、では、愛ってなんなの?
って話に入っていきます。

何か皆さんの思想に影響を与えられる文になっていたら嬉しいです!