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いじりと悪口の境界線

先日、アンチに苦言を呈してる有名女性のツイートに対して、
「アンチに構うな、調子にのるだけ、無視したら?」
という感じのリプライを飛ばしたら

「何千何万と無視してきた上での1回の愚痴だから許して」

という返信をもらい、いかに自分の考えが稚拙であったか思い知ることがあった。アドバイスのつもりが自分もアンチと同じだった。そもそもアドバイスなんて求めてないのだ。

Twitterの投稿やリプライ、YouTubeのコメントなどで、賛同・賞賛・感謝はどんどんしていいと思っているが、批判や特定個人を攻撃しかねない言動には気を付けていたつもりだった。しかし、この日を境にいわゆるマイナス意見はほぼ述べないようになってしまった。相手がどう思うかわからないのだから。

投稿者が意見を求めない限りはそれでいいのかと思う。有名人だから、公に投稿しているものだから、批判は受けて当然という考えには賛同できないし、つい先日もテラスハウスの問題があったばかり。自由ではない。そもそも自由には責任が伴う。

話を戻そう。いじりやボケ、ツッコミはどうだろうか?
「大島さん」→「児嶋だよ!」
のようなある程度完成してるもの(何をもって完成とするんだ、という問題はあるが、知名度の高いモノとしよう)については相手も
「いじってきてんなぁwww」
と思ってくれるかも知れないが、信頼関係のない間での「いじり」や「ボケ、ツッコミ」は、「いじめ」や「悪口」に感じられる可能性もあり、ものすごく難しい。
例えば、すごくふざけた顔写真に対して何かコメントするとして、「そんな顔も素敵ですね」と返すのはナンセンス。本心は変な顔と思っているのに逆に失礼。かといってストレートに「ぶさいくですねぇ」と返すのも、「(そこまで言わなくても・・・)」と思われるかもしれない。

ちょうどいいが一番むずかしい。

こうやって考えてると結局何も思いつかなくてコメントが残せなくなったりするのだけれど、投稿者が有名人であれば、閲覧数やコメント数が仕事に繋がる場合もあるわけで、応援したい相手であればやはり何かしてあげたい。関連商品を買ってお金で応援するのは普通。でもコメントはタダなのだから簡単に応援できる。

とどのつまり「こうすれば正解」というものが見当たらず、これからも悩みながら返信、コメントすることになるのだけれど、それが正解なのかな?とも思う。なんでも条件反射的にするのはやめて、相手の事を想い、責任を持ち、嫌がることはせず、意見が合わないなら見ない・聞かない。

SNSなどせっかく便利なものがいっぱいあるのだから、みな仲良く使えたらいいなと思う。

疲れたら猫動画でも見て癒されましょう。

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