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平成くん、さようなら をジャケ買いしてみて

私が本を買うときは、いつもジャケ買いになってしまう。

タイトルや表紙、本屋さんのPOPを眺めながら、コンビニの弁当コーナーで今日のお弁当を選ぶ時のようなテンションで本をあさる。

小説は大好きだ。けれど、記憶力の乏しい私は、心に残った本のタイトルを正確に脳内に留めておくことが出来ない。読後の味だけを残して、ストーリーを忘れてしまう事も多々。まぁ、そのおかげで同じ本を何度も読み返して楽しめるから、記憶力がないのもまた良いのかもしれないけれど。

「平成くん、さようなら(著者:古市憲寿)」この本もまた、ジャケ買いだった。そして、この本の後味がまた、生のアリを噛み締めた感じの、ゆるい不快感だったので聞いて欲しい。

この本の時代背景は、とてもリアルなパラレルワールドだった。その世界では、平成の日本で既に、安楽死が法的に認められていた。

主人公の平成くんと恋人の愛ちゃんは、どちらも経済的にも人としても自立した大人で、どちらかというと富裕層の部類に入る生活をしている。

平成くんは、テレビのコメンテーターや本の執筆などをこなす社会派の文化人。思慮深い草食系男子といった雰囲気で、自我はあるのだけど、どこか明後日の方を向いて生きているような人に、私には写った。そんな彼が恋人の愛ちゃんに「安楽死を考えている」と打ち明けるところから、この物語はスタートする。

はじめのうちは、発達障害が辛すぎて「友達みんなに自分の存在を忘れてもらい、スイスに渡って安楽死 or 日本で発達障害が重荷にならない仕事を探して何とかやっていく」の常人には考えるまでもなく答えが決まっていそうなバカな2択で進路悩みをしたことがある私は、平成くんに感情移入しまくりで物語を読み進めていた。

けれど物語が進むにつれて、愛ちゃんから平成くんへの発言や、平成くんのとった行動に愛ちゃんがマジギレするシーンを通し、少しずつ愛ちゃんの気持ちも何となく汲み取れるようになっていく。

そして迎えた最後のシーンで、人としての本能と、私の中の生に対する冷めた感情がごちゃごちゃになり、本を閉じた後、何を考えて良いのか分からなくなった。

私は日頃、もしこの世界に私を必要とする人がひとりも居なくなった時が来たら、その時は自殺しようと考えている。誰かの邪魔をしてまで生きていく価値なんて、自分には無い。

私の大好きな友達や会社の仲間はみんな、私にとって必要な人達だ。だから、もしその中の誰かが、自分を必要としている人が居なくなったので死のうと思う。とか言い出したら、上司だろうが「アタシがいるだろう!」と叫びながらぶん殴る自信がある。

私は日頃、もし私が誰かの介助なしに生きていく事が出来なくなって、そのせいで側にいる他の誰かの時間を食い潰しながら生活しなくちゃいけなくなる日が来たら、その時はできる限り短命になりたいと願っている。大切な誰かの時間を犠牲にしてまで長生きしたくはない。

もし将来自分の母親がもうすぐ死ぬからとか言い出したら、たとえ介助が大変で自分の時間が削られている感覚があったとしても、今日は良い天気だねぇとか言いながら、車椅子押して散歩しているのではないかと思う。

そう、もうきっとお気づきだろう。私の私自身に対する死生観と、ともに生きている周りの方々に求める死生観が違いすぎて矛盾しているのだ。この本の読後に口の中が蟻味になってしまったのは、きっとこの事が原因だと思う。

けれど、丁度この物語の平成くんと愛ちゃんが、この矛盾した2人の私と重なってくれたおかげで、一部だけれど自身の死生観の矛盾に気がつく事ができた。

この本を読んで平成くんに感情移入した人は、また愛ちゃんに感情移入した人は、読後どんな味が残ったのだろうか。他の読者の方の感想がとても気になる。

また、本の中に登場する一つの死の見学を通して、結婚して子孫を残す事のリスクについても思いを馳せてしまった。これは、完全に本をトリガーに私自身の親戚付き合い大嫌い妄想が広がった結果だと思う。

色々書いたらスッキリした。

この本の初見さんは、何も考えず、何となく深そうな物語だなぁと思いながらジャケ買いする事をおすすめする。

そして、読後にどんな味が残ったか、ぜひお聞かせ願いたい。


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