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2002年の母の闘病記HP-1-

私は、年齢の割にはPCを始めたのは早いほうで・・・自宅に自分のPCを持ったのも1999年だったように思う。まだ、ネット繋ぐのもISDN?か何かがようやく・・・でも、つなぎ放題なんてなくてちょっと時間を経つのを忘れてやっていたら通信料が「ひぇ~??」ってなる感じなので気を付けて遣っていた記憶が・・・笑。

そんな中、ずっと無くしてしまったと思っていたあるCDデーターが自宅から出てきました。

それは、私の亡き母のために作った闘病記のHPのデータ。2002年。今からもう18年も前。当時、2年近く、HPを作る仕事の会社に勤めていたので、その勤務時間が終わったあとに、今は、adobeに統合されたのかな?「ドリームウィバー」というHP作成ソフトで作った母の闘病記。なんとかカタチに残しておきたかった。という気持ちで倒れてからしばらくしてやっとできあがり、アップした。「ママさんが来た道、歩く道」というタイトルをつけた。2005年のはじめぐらいまで運営していた。当時はこのサイトが自分の中で母の看病に京都まで通うことの支えにもなっていた。

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うちの母は気が強くて、でも不器用で・・・父とは離婚しているけど、実はどこか父の事、諦め切れてなくて・・・母が倒れてからたった5ヶ月間、看病に行くと主治医と話し、必死でメモをし、それをなんとかHPに残していっていた。薬の名前の始めて聞くモノばかり・・・。当時、SNSなんて無い時代。しかし、検索すると闘病記は結構あって・・・がん患者本人、ご家族・・・ネット上だけど掲示板を付けていたので結構交流させてもらった。途中で亡くなってしまった方もたくさんいた。病気の情報交換もさせてもらった。匿名のサイトもあったけど、みんな真摯に向き合っているサイトばかりだった。途中、必死で情報を集めた中で、当時週刊現代で連載をしていたある医師のサイトにたどりついた。当時はその医師一人で運営されていて、素人ながら先生にWEB上で質問を何回かさせていただいた。現在のサイトは2016年あたりで更新が止まっているが病気相談の情報がたくさんある。

がんのWeb相談室
http://2nd-opinion.fast-corp.jp/

今、コロナの事はホントに大変だし、自分がかかったら?誰かにうつしたら?という危機感はもっているけれど、ほかの重篤な病気の看病をされている家族のかたの事を思うと、切なくなる。母の闘病記を読み返していて尚その気持ちが強く、当時、感謝してもしきれなかった看護師さんや、先生達を思い出していた。

結婚式を創るという「人」が集まってHAPPYな空間になる時間をいろんな心配をせずに早く行える日が来る日を願わずにいられない。

今回、無くしたと思っていたデータが見つかったことで、いま、改めてその記録を残しておきたいなぁ。と思い、少しづつアップしていこうと思う。18年も前の事でガン治療がどれくらい進歩したのかはわからないけど、自分が、家族が、その当事者になった時にどうしたらいいのか?自分の備忘録として綴っていこうと思う。

読んでいただきありがとうございます! 「結婚」という言葉からいろんな事をかいていきます。 読んでいただいた方に 何か一歩前に進めるような記事を書いていけたら・・・と 思っています(*^▽^*) ●グッドウエディングアワード2014グランプリ