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女性でも男性以上のリーダーシップをとれることを示したサッチャー

いまどき、海外では女性が国のトップとなることが珍しいことではなくなりました。最近では、ドイツ、フィンランド、ニュージーランド、リトアニア等の女性トップが記憶に残るところです。
残念ながらアメリカ、中国、ロシアといった大国では例がなく、そして日本でもまだ実現していません。しかし、アメリカや日本では(その期待値はさておいて)、初の女性大統領、女性首相候補として注目される人はでつつあります。
 
今は国の女性トップが珍しくなりましたが、この女性トップの元祖が誰だったのかというと、イギリスのマーガレットサッチャー元首相(1925年-2013年、首相在位1979年-1990年)だったのではないかと感じます。1974年生まれの私は、イギリスの首相で初めて認識したのはサッチャー氏でした。
 
サッチャー氏は、イギリスのグランサムという町で、食料雑貨商の娘として生を受けました。非常にまじめに一生懸命働くお父さんだったみたいで、そうしたお父さんからサッチャー氏は大きな影響を受けたみたいです。
 
名門であるオックスフォード大学を卒業した後、弁護士を経た後に国会議員となります。教育科学大臣を務めた後、1975年に当時野党であった保守党の党首に就任します。この頃、敵対していたソ連が彼女のことを、その頑固な性格から「鉄の女」とよびましたが、その呼び名を彼女自身が気に入り、「鉄の女」が彼女の代名詞となりました。
 
保守党党首になってから4年後の1979年の総選挙で勝利し、彼女は初めての女性首相に就任します。ここから約11年に渡るサッチャー政権が始まりました。
 
当時、イギリスは長期に渡る経済の停滞に苦しみ、その停滞ぶりは「英国病」とまで言われていました。それまでの労働党政権が主要産業の国有化を進めたこともあり、産業が世界で戦う力も低くなっていたのです。
 
そうした状況に対して、サッチャー氏は主要産業の民営化をすすめることで、その世界で戦う力を高めていきました。また、金融等の従来の規制をゆるくしたことにより、ロンドンの金融街であるシティは活性化していったのです。こうした主要産業民営化、金融の自由化等によりイギリス経済は復活していきます。
 
また、南米のアルゼンチンがイギリス領のフォークランド諸島に侵略したのに対して、断固たる対応でアルゼンチンを追い払いました。このことがサッチャー氏に対する国民の支持を高めることにつながったのです。
 
そのワンマンさには批判もあったものの、サッチャー氏が首相を務めたことによって、世界の中におけるイギリスの地位は確実にあがっていきました。
そのリーダーシップ、功績に対する評価の高さは、イギリスで女性首相が生まれるたびに、退陣から32年経った今でもサッチャー氏と比較される記事からもうかがえると思います。
 
このサッチャー氏の人生、業績から、現代の私達は何が学べるのでしょうか。
 
長年、男性優位の人事が行われると、男性でないとトップになれない、男性でないとリーダーシップになれないと思いがちになってしまいます。しかし、その思いは本当にそうなのでしょうか。
 
サッチャー氏のように、お父さんから一生懸命働くことを学び、そしてその後も自分を高めることに努めた女性ならば、そのリーダーとしての素質は男性にも劣らないものになるのではないでしょうか。実際、彼女は男性以上のリーダーシップを果たしました。
 
男性ならトップになれる、女性ではリーダーシップをとれない、という考えにとらわれず、女性であってもその素質を丁寧にみてみてはどうでしょうか。その先には、もっとよい組織となる将来が続いているかもしれません。

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