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天をうらまず、人をとがめず、とにかく必死に頑張る

「天をうらまず、人をとがめず、下学して上達す。我れを知る者はそれ天か」(論語、憲問第十四)
(これまで不運であっても天をうらまず、人をとがめず、身近なことを学んで高尚な道徳への達してきた。私のことをわかってくるのは、天だ)
 
これは西郷隆盛の有名な言葉「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の 足らざるを尋ぬべし」を連想させる言葉であり、恐らく下敷きではないかと思うのですが、とても自省させられる言葉です。
 
長年歴史を学んできてふと思うことがあるのですが、何事かを成し遂げてきた人達は、その成し遂げる過程において必ずしも確実に成し遂げられると確信できなくても、とにかく必死に、脇目もふらずに目標を追いかけた結果、成し遂げられたのではないかと思うのです。
 
もちろん、目標も計画もあります。これは普通と比べた場合でも既に大きな違いなのですが、でも目標や計画だけだと、絵に描いた餅になります。また、計画通りいかないことも多々あります。
 
最終的に成し遂げられる人達は、その目標や計画を立てたなら、とにかく必死に、脇目もふらずに追いかける。もちろん、その過程ではうまくいかないこともあります。でも、成し遂げられる人達は、その時も環境や人のせいにせず、またとにかく必死に頑張る。その結果、気づいたら成し遂げられているのです。
 
そこができるかできないかの違いと言ってしまえばそれまでなのですが、なかなか凡夫には徹底してできることではありません(私も含めて)。ここが一番大きな違いなのではないでしょうか。
 
もちろん幸運もあると思います(そして、かなり多くあります)。しかし、幸運さえも、必死に、脇目もふらずに追いかけたもののみに落ちてくるのです。環境や人のせいにしたり、論評する人間に、そんな幸運は降ってきません。
 
冒頭の言葉とともに、こうした歴史上の人物達を重ね合わせながら、我が身を内省したいと思います。

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