刀ステ「山姥切国広 単独行 -日本刀史-」

ネタバレあり、鑑賞済みであることが前提となっておりますので未見の方は読まないことを強く推奨いたします











他者を「知る」ことなどできない。自己と他者の間に横たわる、絶対的な断絶。越えられない壁。他者を知るということへの、圧倒的な否定。
しかしそれは、「知ることはできずとも、思いを馳せることはできる」、むしろ「知ることができないからこそ、思いを馳せるしかない」と反転する。「思いを馳せる」つまり、他者の真実を知ろうとするのではなく、己の中で解釈する。
他者を解釈するという行為は、知ることなどできないという諦めから出発すれば、真実などどうせわからないのだからあれもこれも何でもアリ、という多様性にたどり着く。それを許容してもらえさえすれば、あら不思議、絶対的な断絶という絶望が、解釈の多様性という希望にたどり着く。
……めっちゃ末満節やんけ!!!ってのが第一の感想です。まず他者を知るなど無理ってのもそうだし、一回何かを完膚なきまでに否定しておいてから、でも青い鳥はここにいるよみたいな感じで小さな光のようなものを目立たないように置いていく、それはわかりやすい大きな光ではなく、それを光だと信じることによって初めて光り出す小石のような…。

人間は鋼に比べてとても命が短い。生きている間に知れることなど限られている。だから、知らないことに、過去に、未来に、「思いを馳せる」。それが人間の、三郎のやり方。
一方、鋼は人間よりもはるかに長い時を超えることができる。まんばちゃんも長い歴史を過ごしてきた。だからこの「思いを馳せる」というやり方にはあまり馴染みがない。実際に刀として見聞きしてきたことがあって、それをベースに考えようとする。修行も過去を実際に「見てくる」ものであって、事実ベースであることには違いない。
そんな鋼である国広に、人間のやり方をさせてみる。だって国広のこころはもうかなり人間に近づいているから。三日月宗近を救いたいと思うのは、鋼の本能ではない。自らはっきり言っていたけど、それは「刀の本能を踏み外している」。
劇場での幕間の休憩時間、「不立文字じゃんねw」って話してるお姉さんたちがいて、そう、自分も刀ミュ伊達双騎のあれを思い出しました。でも最後まで観終わって、あれとは力点が違うのだなと。あちらは、実際に体験することで、心を伝える・受け取ることが主眼だった。でも今回のは、山姥切国広自身が、歴史を、刀を、三日月宗近を「解釈する」こと、つまりやみくもに知ろうとするのではなく、「山姥切国広にとっての三日月宗近は何者なのか」を解釈によって成立させることに力点がある。解釈するという行為が挟まっていること、解釈する主体である山姥切国広自身に焦点が当たっているのがミュとの違いかな、と。

「お前が描くあの男は何者なのか?」
虚伝ED、真影の炎の歌詞。
今回のテーマも、突き詰めるとここに行きつくのではないかと思います。
まんばちゃんは今回、三日月を知りたい知りたいと言って近づこうと、救おうとするのをやめ、「信じる」という境地にたどり着けた。つまり、虚伝の織田組がたどり着いたところに、まんばちゃんは今やっと追いついたということだと思うんです。
「僕には僕にとっての信長があるように、長谷部には長谷部の、薬研には薬研の信長があります」
「そして光秀にとっての信長は、ここで討たねばならない信長」
宗三のこのセリフが象徴するように、宗三、長谷部、不動、薬研は、それぞれの中に「それぞれの信長像」を持ったから、迷いを乗り越えられた。それは決して、本当の信長像そのものではない。っていうか、本当の信長像なんてひとつに決まってないし、決めることもできないし、決める意味もない。何よりご本人自ら、あらゆる信長を許容してくれちゃってるしw
まんばちゃんもようやく、事実に近づく以外の方法で自分の中に他者を成立させること、ができたんですね。このための歴史を巡る旅だった、と。

そして今回、いろんな考察の霧が晴れました!!!まさしく集大成!!!
そりゃ帰って来ないよね~~~!まんばちゃんは円環に飛び込んでしまって、我々がステで見ている周からは外れてしまったんだもの!
今まんばちゃんはきっと、「反復する過去か、過ぎ去りし未来か」(无伝の如水より)のどこかにいて、今も円環を巡り続けている。
自分、天伝以降ずっと、「まんばちゃんが闇落ちして円環を引き起こしており、三日月は実はそれに後から気づいただけの観測者であって円環の発端ではないかも」説に囚われ続けてきたのですが、ようやく!!!2年半越しに解放されました!!!
影の問題はあれど、まんばちゃん本人は闇落ちしてない!!!よかったあああああ~~~~~!!!!

以前どっかで書いた、「三日月がループしてるのは全本丸共通で、ステ本丸独自要素はまんばちゃん」っての、たぶんこれ合ってますね。ただし闇落ち方面ではなく、まんばちゃんも一緒に円環を巡るという方向でしたが!
時間軸が重なったりつながったりすること(ジョ伝、天伝)も、円環を巡る刀が2振りもいる本丸だから、で説明つくのかな……。三日月が厄介、ってだけではあそこまでにならない気がする。だってそしたらあらゆる本丸の時間軸がわけわかんなくなっちゃうもの。
しかし、せっかく極めたのに、自分が初期刀として初の姿で顕現するところからやり直すのかな。そこんとこどうなんだろう。三日月の場合は顕現~刀解のループだけど、まんばの場合は顕現~旅立ちになるのかな???

どこかでクロカンはまんばちゃんの影を見つけてスカウトし一味に加えている、と思ってたんですがこれも合ってたわい!!!どんぴしゃその場面描かれた!!!
んで本人はどこに行ったんだって謎も解けた!綺伝で長義が、偽物の偽物って言ってたのはこういうこと!!!めっちゃアハ体験なんですが(笑)
しかしクロカンが完全に面白がってるだけにしか見えなくて怖い。見所がある、と思うと見逃すのがこのクロカンの行動パターンなんですよね(ソースは无伝のvs長谷部)。極めなければあそこでまんばを折ってそのままだったけど、ふくのすけのお守り発動=主がまんばを守ろうとしていることと、極めたことによって、クロカンによる観測対象となった……極んば放置観察プロジェクトと、影んば育成プロジェクトを同時進行してるわけですよね……恐ろしい!!!
そして、信長の朧を作って、本能寺の歴史を変えようとしているのか……。でも三郎自身は、あらゆる信長を許容するから、逆に一つの新しい信長を作ろうとするクロカンとは相容れない、と。

影……、切ないねえ。あのとき助けられていれば、自分が不甲斐なかった、という思いは割り切ろうとしても消えなくて、それがああいう形になって出てきてしまったんだね…。というか本当に、相反する気持ちを抱えているっていうこころの動き、人間らしいというかもう人間だよ……。ある意味ああやって、後悔する心を物理的に切り離せたからこそ、前を向けたとも言えるのか……
そしてクロカンに拾われるまでの動きが、天伝での顕現し損ねた刀剣男士みたいにぬるぬるしててぞっとした。あれが刀剣男士の不完全体なのか。
伝わらないと思うんですけどつまりこれ、小説版仮面ライダーウィザード…。みんなのヒーローとして無理してでも前を向き続けていた主人公の、諦めきれなかった後悔の部分、封じ込めていた心が分離してしまって、もう一人の自分が現れて……って話なんですけどね、そういうことですよね……。
んでその仮面ライダーでも最終的には、分離してしまったもう一人の自分の後悔を、主人公自身が受け入れてあげることで和解、解決となるわけで。今回もそうなりかけてたのにさあ……クロカン!!!

とりあえずまんばちゃんが帰ってこない理由が前向きでよかったです!!!今の彼はもう、「三日月を救う(そしてたぶん問い詰める)」に固執してはいない。三日月のことは信じて待ちつつ、自らはこの本丸そのものを救うために円環に飛び込んだのだから!
いやあの、慶応甲府が、放棄された世界でまんばちゃんを探す旅になっちゃうんじゃないかと危惧してたので……ほんとによかった……
あ、でも、今回の話を加州清光たちは知らないか…。だからやっぱり、慶応甲府にも影は現れるのかもしれない。でもきっと、あの天伝での関係性を見ると、あの清光なら、あれはまんばちゃん本人の闇落ちではなく影だって気づいてくれるかもしれない!
(今、自分のPCがカゲってカタカナ変換してきて、そういえばミュの花影でも「カゲ」の物語があったなあと思い出すなど。刀にとっての影とは影打ちの意味だから、やはり刀の物語に使われる宿命の言葉なのか。”分身”でも、”もう一人の自分”でもなく、カゲ……。)

ところで慶応甲府の話をしたので、ちょっと今回の幻覚かもしれない話を…。
あの朧の集団、なんか数多くなかったですか…?
クロカン、竜馬、武市半平太、岡田以蔵、吉田東洋、政宗の黒甲冑、織田信長。んでもう一人、ポニテの人いませんでした…?
あれ、あの、沖田総司…………??????
2回の立見席から一度観劇したきりなので、幻覚かもしれないんですけど……。
→大千秋楽後、公式サイトの配役情報にて、森蘭丸で確定しました。さすがに。

あとはもう荒牧義彦オンステージ、すごかった。
殺陣の形がそれぞれ違うんですよね、スサノオ、厩戸皇子、畠山義就、桐野利秋、三日月宗近…いくつ型を習得しているんだっていう。そして初と極でもぜんぜん違うし……布のひらみを捨てた分、少ない動きで強さを表現してきた…。
あとは声も身のこなしも全部なりきってて……特に北条政子と三日月宗近は見ててもしばらく気づかなくて、ちょっと経ってからあれええええ!?!?ってなってた。

すごく演劇的でいいなって思ったのが、ふくのすけの表現。あれ、黒子さんが単なる黒子さんではなく、客席から見えていることを利用して、黒子さん自身の動きをふくのすけの動きだと認識させるように出来てるんですよね……すごいな。
そして機能停止したとき、黒子さんが去ることでそこにあった命が抜け落ちてしまったことを表現したのが…ああ、もう動かないんだ、ってすごく悲しくなった……。

早替えありのエンタメとしても面白かったし、なによりこれまでの考察の謎がすっきり解けて、今後への希望が持てた!!!大団円っての信じてますよ!!!!
そして何より、「一つの事実なんて知らん、あらゆる解釈を許容する」って刀剣乱舞というメディアそのものの在り方なわけで!!!今すぐ自分の本丸に帰りたい!っていう素敵な気分で劇場を後にしました。さあ自本丸の周回と創作じゃ!!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?