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バンドと子育て 同時進行の記憶(第2子出産に寄せて)

Radioheadは、私が出産する年になぜか新譜を出してくれる。

今回は彼らがサマソニの舞台に立つ4日後が予定日……。行けるわけがなく、悔し泣き。4年前も、1歳児を連れて苗場になんて……と、涙を飲んだのだった。

そんなわけで5年ぶり2度目の妊婦生活も、あっという間に終焉へのカウントダウンを迎えています。バンドを日常的にしていないと、周りの人々に妊娠を報告する機会もそんなにないもので、ここ半年は24時間中20時間くらい仕事のことで脳内を満たしていたら、あっという間に時が過ぎ去っておりました。

久々の出産に備えてマンジュカの抱っこ紐を引っ張り出してみたら、想像の数倍ボロボロ。腰ベルトの生地は裂け、よだれにまみれていた肩ベルトは見事にマーブル模様に変色。息子を連れてスタジオに入ったり、全国にライブしに行ったりするときに、この抱っこ紐と、防音イヤーマフ(幼児イヤーマフ界で1社独占状態にあるPeltorのあれ)が欠かせなかった日々が思い出されました。


the morningsというバンドを休止して1年3ヶ月が経ちます。それまで夫婦で同じバンドに所属して子供を育てつつどうやって活動していたのか、自分が忘れていってしまいそうなので、家族が増えて生活が大きく変わる前に、あの大変だったけど濃密だった日々を残しておこうかなー、と、なんとなく思い立ちました。

(2ndアルバム「idea pattern」に入っている「VSCOM」のPV撮影中に小林志翔くんが撮ってくれた写真たち、素敵すぎるのに日の目を見ないままに眠っていたので、この機にとばかりに貼っていってみる)


現在5歳になった息子を妊娠したことを知ったのは、2010年の秋、1stアルバムが出る2カ月前。それからリリース時期を経て妊娠8カ月に入る頃まで、ライブをしていました。産休中の私は、アルバムを出したばかりでバンドがやりたくてやりたくて、女の自分だけが動けないことが悔しくて悔しくて。思わぬタイミングでの妊娠だったために、仕事もバンドも、いま休まなきゃならないなんてっていう気持ちが勝ってしまっていた。生後1カ月経ってすぐ、我が子をスタジオに連れて行った。首が据わる前から、フェンダーローズの上に寝かされる赤子。まだ野方にあったStudio Zot店長の久恒さんに抱っこしてもらって練習。ライブ活動には生後4カ月のときに復帰しました。

とにかく不安だった。自分がバンドにいらなくなること。バンドの動きを止めてしまって、アルバムを出したばっかりなのに、世の中からバンドが忘れられてしまうこと。


息子はとにかくママっ子。バンドを、「親」であることや仕事と両立させることはできるとしても、「母」であることと両立するのが、自分にはすごく難しかった。彼は朝起きると必ず「お母さんがいいいいいい」と起こしてくる。深夜ライブ明けで一睡もせず帰ってきた日も、布団に倒れ込むことはできず、そのまま起きて相手をせねばならなかったし、言葉が達者になればなるほど「寂しい」「一緒にいて」というメッセージを直で受け取ることも増えてきて。赤ん坊の頃より、幼児になってからのほうが、胸が痛むようになった気がします。

子供を産んでからライブの出番は早めにしてもらうようになったし、打ち上げには行かなくなった。ライブでほかのバンドを観て刺激をもらったり、ほかの人と話して自分のライブについて客観的に振り返ったり、来てくれたお客さんや打ち上げで初めて会う人とじっくり触れ合ったりといったことをしなくなって、バンド活動のそこかしこにある余韻みたいなもの、そこから得られるものが一切入ってこなくなったのは、やっぱり寂しかった。今日は最後まで残りたい、と話せば、バンドメンバーの夫はいつも嫌な顔ひとつせず快く引き受けてくれたのですが、○○は母親がやんなきゃ、みたいな前提が前世からの約束事のように自分の中にも浸透していて、お願いしたくても勝手に気後れしてしまうし、いつだって子供のことが気になって、なかなかドラマーとして演奏する自分に頭を切り替えられなかった。ライブに連れて行くとき、友人に子守りを頼んでも、息子が離れたがらなくて、ライブが始まる直前ギリギリまで一緒に居た。終わったらすぐステージを降りて、息子のところへすっ飛んで行った。バンドのミーティングをしていても、構ってオーラ最大放出の息子の相手をして、なかなか会話に入っていけなかった。そうした積み重ねが、徐々に私をバンドマンではなくしていったところもある気がしています。

スタジオの日は、友人に来てもらって息子を見てもらうこともあった(その節は皆さん本当にありがとうございました超感謝してる)けど、その調整も毎週は大変で、ドラム叩きながら抱っこ紐つけておんぶをして、イヤーマフを付けて眠ったらベビーカーで寝かせておくことが多かった。ライブに連れて行かざるをえない日は、たばこの煙は気になるし、夜遅いし、ごめんねごめんねと思いながら、連れて行きました。いつ「子供がかわいそうね」と誰かに面と向かって言われないか、びくびくしていました。言われても仕方ないことをしているんだろうという自覚がありました。

(おんぶしてドラムを叩き、寝たので布団に着地したの図。StudioZotは布団まで備えた素晴らしいスタジオである)


子供が3歳になってからはおんぶでスタジオというのももう難しくて、実家の近くに引っ越して爺婆に頼むことが増えたけど、そうすると甘やかされすぎてしまうし、都内と家の往復で1日潰れることで離れる時間も長くなってしまい、これは自分がマトモに子育てしているとは言えないな、子の成長のためにはならないなあ……、と、危機感を覚えるようになりました。

バンドの休止は、私が脱けたいと申し出たことをきっかけに、話し合いの末に決まりました。子育てと、仕事、平穏な家庭の維持、それら諸々とバンドの両立が厳しくなってきたこともありますが、バンドの向かっている音楽のクオリティと自分の実力の差を埋められなかったのもあります。


1stアルバムの頃までは全員でジャムって曲を作ることも多かったけど、次第に夫でギターの宇佐美くんが曲をほぼ固めてくるようになり、それまで感性で叩いてればよかったドラムに、知恵や筋力、細かい技術、いろいろなものが必要になった。仕事をして家事をして子供の面倒を見ていると、自分なりに努力しても時間が全然足りなくて、だんだんメンバーの顔を見るのが怖くなっていきました。家の中でも夫とぶつかってしまうようになり、それらが自分のせいだということが手にとるようにわかるのに、どうにもできないのが堪えました。


(すごく好きな写真だけど、PV撮影も至難の業だったことが思い出される)



休止を決めてからは気持ちが平穏になって、不安定だった息子も少し落ち着いたように見えた。でもバンドマンとしては、死んだような気持ちになった。毎週スタジオに入って、毎週のようにライブをして、生活に染み込ませながらバンドをするのが当たり前になっていたから。休止するまでのthe morningsは、そういう濃度ぎっしりの活動じゃないといけなかったんだと思う。


バンドをまた始めるなら、もっと生活に馴染ませられる形を見つけられないと、難しいんだろう。でも身の回りのバンド(ウー)マンたちにもお子さんがどんどん増えてきていて、グッドマンの鹿島さんも「もう最近は子供ばっかだよ!」と話していたので、数年前の私が苦闘していた状況からは、だいぶ変わってきているのかもしれないです。

私は一旦止まる決断をしたけど、子供を持ちながらもバリバリバンドを続けているママパパたちは大勢いて、心底リスペクト&応援している。この間も同じく夫婦でバンドをやっている藤井夫妻のOishii Oishiiのライブを観に行って、その様子をニコニコ娘ちゃんが見守っていて、とてもいいなあと思った(そしてどうして自分はこういうグッドミュージックな音楽性の音楽ができないのだろう…生まれながらに歌がうまかったりしたら…子供連れてカフェでライブとかもできるのにさ…と切なくもなった)。

子供と過ごすことで、より音楽にパワーが増す部分も絶対にある。自分たちのバンドの曲を、子供が初めて口ずさんでくれた日のことは今でも鮮明に覚えています。最近では息子の音楽への興味も高まっているようで、なんとなく島村楽器に行ったら自分のギターをとても欲しがったので、小さなYAMAHAのエレアコを買い与えました。照れながらもなんだか誇らしげに、じゃんじゃかかき鳴らしている。あとはライブを観に行こうというと嬉しそうに「行く!」と言ったり、DJのアプリで遊ぶときに「お父さんとお母さんのバンドの曲がいい!」とリクエストしてくれたり、車でよくかけていたKamasi Washingtonをたいそう気に入って口ずさみ歌ったり。そういう瞬間はやっぱりうれしい。成長したのもあるけど、彼にとって音楽が「両親を自分から奪うもの」じゃなくなったからなのかな、とも思う。今バンドをしていたら、いろんな刺激を与えられるのだろうか。とか考えるけど、その矢先の第2子。いつになるか、どんな形になるかはわからないけど、今は変な焦りもないので、時が満ちたらまたバンドがやれたらいいなあという思いです。


夫も言ってたけど、次の子とは赤ん坊の頃から一緒に車で全国ツアーに行ってお盆の19時間の渋滞を乗り切ったり、1歳半で米SXSWに同伴したり、抱っこ紐でおんぶしてドラムを叩いたり、ということはしないんだなあと思うと、ちょっと寂しい。そしてだいぶ無茶に付き合わせてしまった息子に、親なのに戦友みたいな気持ちを覚えたりする。





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