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何かを続けるにはある程度の強制力も必要である

はじめまして!
最近Duolingoってアプリで365日連続を達成したまつけんです。

フリーズ機能に3回だけ頼ったけどね!

ごあいさつ

この度noteを始めてみることにしました。
特にコンセプトとか特定のテーマに関してとかではなく、自由気ままに思ったことを書いていこうと思います。

というのも、2024年は色んなことをアウトプットしていきたいと思っていて、作詞作曲して曲をストリーミングサービスで公開するとか、エレクトーンの演奏動画をYouTubeに投稿するとか、その他もろもろモロゾフチョコレイト。

なんですけど、ここ最近そもそもアウトプットするという行動自体をそんなにやってないなくて、どうしたもんかその行動力自体が落ちてしまってなかなかやる気が起きない。
しかも、作詞作曲や演奏動画は完成までの道のりや労力がかかり、いきなりやるにはハードルが高い、、、

まずは気軽にアウトプットする場を作りたいなー、と。

noteはそれをするにはうってつけのプラットフォームだと思ったんですよね。

アカウント登録までの敷居は低くて、文字や画像を切り貼りできるある程度の自由度があって、投稿までのハードルが低い。
コンテンツの販売ができて創作にも向いているし、ユーザ数も多く運用年数も長くて信頼性は高い(ユーザーと書かないところに理系を感じてほしい)。

デザインがカスタマイズできないというのもポイントですよね。
シンプルなデザインだからこそ、自分というものを固定したり、何者かになってそれに縛られたりする必要もなく、その時思ったことを気のままに書ける。

なんて素晴らしいプラットフォームなのだろう、、、!

ということで、noteのアカウントを登録してこの記事を書いている次第でございます。

何かを続けるのって難しくない?

こんな感じでnoteの魅力に取り憑かれた僕なのですが、じゃあ特に工夫もなしに投稿をちゃんと続けていけるかというと、答えはNOなわけです。

実は数年前にnoteを始めたことがあって、その時も継続する気満々だったのですが、結局最初の自己紹介記事を書いただけで放置(今でもきっと探せばあるよ)。
「あのドラマが観たい!」と思って勢いでネトフリを契約して、結局全話見終わることなく解約。
いいメロディや歌詞が思いついて、1曲作るぞ!と思っても、完成させることなく終わり。

とまあ、大抵のことを続けることができないんですよね。

そんな僕がはっきり続けられているといえるのが、エレクトーンとDuolingo。
Duolingoは冒頭にも明記した通り1年間ほぼ毎日続けられているし、エレクトーンに至ってはかれこれ23年間も続けています。

じゃあ、飽き性の僕がなんでこれらは続けることができているのかというと、「やりたい!」という気持ちに満ち溢れている、というよりは、「やらなければいけない」という状況にあるから、という方が強いです。

ちょっとだけ専門的な話になるんですけど、心理学の用語に「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」というものがあって、それぞれの簡単な説明は以下の通り。

  • 内発的動機づけ:自分の内部から生まれた本質的な欲求によって引き起こされる動機づけのこと。

  • 外発的動機づけ:金銭や賞罰、強制といった外部からの刺激により行動を引き起こす動機づけのこと。

例えば、「この曲を弾いて楽しみたい、難しい曲を弾いて成長したい!」というのが内発的動機づけで、「コンクールに出場することで受賞できる(かも)から頑張ろう、この日までに弾けないと恥をかくから頑張る」というのが外発的動機づけです。
そして、内発的動機づけの方が、豊かな経験やより良い問題解決へ導き、さらにその効果が持続しやすいという報告もあります。

こうして書くと、なんとなく内発的動機づけの方が、モチベの発生源が他人でなく自分、という点でポジティブに感じるし、続けていくのにも有効である気がします。親から「勉強しなさい!」と言われるより、自分から「勉強したい!」という方がポジティブな動機ですよね。

実際、僕はずっと内発的動機づけの方が自身の健康や成長にとって優れていると思っていたし、エレクトーンやDuolingoはそこがしっかり動機づけられているから続けられていると思っていました。

だけど、よくよく考えたらそんなこともないな、と。
この二つが続けられているのもどちらかというと外発的動機づけの方が強いかも、とふと感じたんです。

例えばDuolingoなら、周りにもやっている人がいて、「まだやってないの!?連続記録途切れちゃうよ!!」と言ってくれる人がいたり、ウィジェットでデュオちゃん(Duolingoの公式キャラを僕はこう呼んでいます)が下記の画像のように急かしてきたりして、「あ、やらなきゃ」と思うことで続けられている。

こんな感じでデュオちゃんが急かしてきます

エレクトーンの方は、習い事としてほぼ毎週レッスンに通ったりコンクールに出たりすることで、「この日までに元のテンポ80%で弾けるようにならなきゃ」という感じで自分を奮い立たせている。
もちろん楽しいから弾いている側面はあるのだけど、レッスンが2週間ぐらい空くとその間全く弾かない、ということあるので、レッスンやコンクールがないと多分ここまで続けられていないです。

こうやって書くとすごくネガティブなように感じるけど、決してそんなことはなくて。

コンクールの為に難しい曲を練習して、それを弾けることになることに喜びを感じたり、レッスンで先生に弾き方を教えてもらうことで、「こういう弾き方もあるのか!」と学びになったりして、それを活かそうとするとか。
コンクールで他の人の演奏を聴いて、「こういう曲も弾きたい、この人のような演奏をしたい」と思うこともあるとか。
つまり、外発的動機づけで引き起こされた行動によって、内発的動機づけにつながることもあるわけです。

そう考えると、何かを続けるにはやりたいという気持ちだけではなく、ある程度の強制力も必要である、といえます。

ただ、あまりに外発的動機づけが強すぎるとやらされている感が強くなって、逆にやる気を失ってしまう可能性もあるし、そこのバランスをどう上手く調整するか、というところにかかっているのかな、とも思います。
そこのバランス感覚を是非身につけていきたいところですね。

noteを続けるにあたって

ここまで書いて思ったこと。

アウトプットをしていきたくて、それを行う場としてnoteが魅力的なプラットフォームであるから、noteをやっていこうとしている。
これは内発的動機づけですね。

しかし、僕は外発的動機づけがないと全く続けられない、、、

あれ、このままでは僕はnoteを続けられないのではないか?

というわけで、noteを続けるにあたって外発的動機づけを取り入れていこうと。
金銭という方法もあるけどそれはちょっと難しいので(有料記事は受け取るのはできるけどこんな記事に払う人はいない)、投稿する頻度で強制力をつけようと思います。

最低でも1週間に1本投稿を目標にして頑張ります。
で、投稿していなかったら、他人から「投稿しなさーい!」と言われるような状況にしようと思います。

いや、週1って結構大変だろ、、、
と思ったそこのアナタ!

このnoteは「特にコンセプトとか特定のテーマに関してとかではなく、自由気ままに思ったことを書いていく」ところです。
つまるところ、どんな駄文を投稿しても許されるということですね笑ハードルを下げているわけです。
なんならTwitter(現X)の感覚で使っていくかも。今回みたいな長文記事は二度と見られないと思ってよく噛み締めてくださいね。

そういえば、「目標のハードルを下げる」というのも続けていくうえでは大事ですね。今度そのテーマで記事書こうかな。

というわけで、noteを続けていきたいまつけんです。
どうぞよろしくお願いします。

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