私の好きな言葉⑤

およそ言いうるものは明瞭に言いえ、語りえざるものについては沈黙せねばならぬ。

これはウイーンの哲学者ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の原著者による序文に書かれた有名な言葉です。

この言葉は、氏がとことん言語を用いて論理的に世界や存在について考察した結果、発出された究極の言葉であるが故に迫力があり、世界中の多くの人々から議論されてきています。

私は、氏のその言葉には実は“語りえざるもの”に関する証明の可能性や語ることを希求する熱い想いがあったと考えています。

それは、次の文章に現れていると考えます。

言語の限界(論理哲学論考5-6)
わたくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界を意味する。
論理は世界に充満する。世界の限界は、論理の限界でもある。
楽したがって、われわれは論理の内部で次のように語ることはできない。かくかくの物は世界のうちに存在し、あの物は存在しない、と。
かかる命題はある種の可能性の排除を前提とするようにみえるが、これはできない相談だからである。というのも、論理が世界の限界をもう一方の側から眺めえたとき、論理はその限界をとび越えているはずであるから。
思考できぬものを、思考することはできない。かくして、思考できぬものを、語ることもまたできない。(「論理哲学論考」L.W著 法政大学出版局 からの引用)

つまり、氏は言語で表現できるものの先に“語りえざるもの”を知っていたが、それを語る言語を持たなかったと解釈できます。

氏が『論理哲学論考』を現したのは1918年〜1921年、今から100年前です。

しかし、100年後の今、我々には“語りえざるもの”を語ることを可能にした「イメージ言語」があります。

nTechの言語であるそれは、氏の言葉を借りると“論理が世界の限界をもう一方の側から眺める”言語だと言えます。
だから、今の時代はnTechの「イメージ言語」によって、氏が語りたかったことが語れるようになったのです。

イメージ言語を含むnTechの技術とサービス概要はこちらです。

http://www.nr-japan.co.jp/service/index.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?