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【026】ブッダの生涯-【2】(仏教哲学の世界観第2シリーズ)

最終的な仏伝の全体像について

前回から始まった第2シリーズは、仏伝をもとにブッダの生涯をテーマに解説されます。

2回目の今回はその全体像が語られます。


このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
主な教材は仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座の内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはX(Twitter)などでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


ブッダの生涯2

https://youtu.be/9SN33uAYGvk?si=HqdANuND6uXqW_f2

AIによる要約

このビデオでは、仏伝とその歴史的な発展について深く掘り下げています。仏伝は、お釈迦様の人生や教えだけでなく、過去世にまでさかのぼる複雑な物語を通して構成されています。時間、社会的変化とともに仏伝の物語は進化し続け、多様な形態で残っています。ビデオは、仏伝の全体構成とその時間に沿った発展を解説し、最終的には仏教の核心的な概念である輪廻や涅槃についても触れています。この話は、仏教の深遠な教えと歴史を理解するための入門として機能します。

学習したこと

仏伝とはなにか

仏伝とはお釈迦さまの生涯について単発的なエピソードを後世の人たちが解釈し、一つに構成してまとめたものである。
したがって、時代によって多様な仏伝が残っている。

この仏伝を読み解く上で避けて通れない前提がある。
それは仏伝自体が長い時間をかけて出来上がってきたという点である。
様々な時代ごとにいろいろな形で発展し、積み重ねたものが仏伝となっている。

そのため、全体的な構成を理解する上でも時代ごとの影響を受けている点に留意しなければならない。
一つのエピソードをとってみても、時代ごとにその内容が発展し、脚色され、現在の形となっている。

ひとまず完成までのプロセスはおいておいて、(原典から影響を受けたものであっても)現在の状態における仏伝の全体像を把握する。

最終的に成立した仏伝の流れ

通常、お釈迦様の伝記といえば

  1. 王子として誕生

  2. 王子としての青年期

  3. 出家

  4. 修行

  5. 悟り

  6. 人々を救う

  7. 死去

このように、生まれてから死ぬまでの流れだが、最終系の仏伝としてはそれだけでは終わらない。
当時の(現在でも)インドの考え方として輪廻が信じられており、仏典においてはお釈迦さまの前世の物語が後から追加されている。
逆に、仏教の理念として悟りを開いたものは生まれ変わらない。
したがって、お釈迦さまの来世について語ることはできず、前世の物語を追加することしかできない。

また、お釈迦さまを信じる仏教徒としては、立派な人物であるお釈迦さまの過去生もまた立派なものであったに違いないと考えた。これもまた仏伝が過去に遡っていく形で追加されていった理由の一つである。

ではその「過去生」の物語がどこまで遡るのか?というと、
前世のお釈迦さまが過去の仏と出会う。
という場面になる。

キリスト教などの一神教の場合では天地創造が物語の最初となるが、仏教の仏伝の場合は異なる。
天地を想像する絶対的な神の存在を否定しているため、世界自体の始まりは言及されない。
あくまでも無限の過去があるのが前提となっている。

想像もつかないほど遥か遙か昔に、
前世のお釈迦さまはその時に現れた一人の仏陀と出会う。
これによってお釈迦さまの前世は救われ、
「私もそのようになりたい」と誓いを立て、出発点とした。
その後何度生まれ変わろうとも常に修行を続け、
その蓄積された修行の成果として、
インドのルンビニに生まれおち、出家し、
菩提樹の下でついに仏陀となった──

この後は仏陀となったお釈迦さまの活動が描かれ、80歳で逝去(涅槃)し、仏伝は終わる。

仏伝における全体の流れ

この仏伝も最初のうちは「仏の活動」部分のみだった。仏陀となったお釈迦さまがどのように人々を救っていたかの物語だが、その後多くの信者によって誕生してから修行時代、そしてそのうち前世の物語にまで増えていった。
涅槃(逝去)に関しては別の系統として残っていた物語が最終的に合流し、現在の仏伝の形となった。

仏伝の時系列と成立順

感想

事実関係が知りたい

考えれば当然お釈迦さまの活動が最初に仏伝となる。
で、涅槃に入られた後の事も多くの人が記憶して後の人達に伝えていったのはわかる。
で、問題はここからで「誕生から修行」という物語はどのように発生したのだろうか。
お釈迦さまが説法を行う時に自分の過去の経験談を話していたからそうなったのか。その可能性は無くは無いかな。
じゃあ過去生の話はお釈迦さまは語ったのだろうか?
それとも今回の解説にあったとおり、後の人々が勝手に考えて入れ込んだのだろうか。

本質を毀損する勝手な理想像

仏教の注目すべきところは第1シリーズでも解説されていた「バラモン教の否定」であるし、絶対的な存在というものを否定するところだ。
それを人間であるお釈迦さまが発見した方法によって自らの努力で自らを救うというところに意義がある。
ところがこれを、いくら尊敬していたからといって「神聖化」してしまってはむしろお釈迦さまの理念や「普通の人間」であることの意義をかえって毀損してしまっているのではないだろうか。

どれだけ革新的な考え方であっても、それを信じている者たちであっても、結局当時の社会常識の価値観で無意識に塗りつぶしてしまっている。

欲をかいて勝手な希望や願望を乗せてしまい、本来知るべきお釈迦さまの本質を曇らせてしまっているのは本当に愚かな事だと思う。


次回は「ブッダの生涯3」 (仏教哲学の世界観 第2シリーズ)
仏伝を元にして生まれた浄土思想という概念についてです。


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