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慣れと経験が邪魔をしていないか?熱中症や怪我の対応

いつもより涼しいと感じた朝。
しかし、横を見ればハンカチや団扇で扇いでいる人がいる。
この前の3連休含めてずっと暑熱環境にいたせいか、自分の感覚が順応しているのかもしれない。東京に出てきてからは20年ちょっとだけど、夏はいつも外にいる、そういう長期的なものもあるかもしれない。

ニュースにも良く報じられる熱中症の事故。
そこには指導者自身も気付いていない、慣れがある。
毎年、暑い。そして色々な工夫をしている。
そして、これまでの経験からデッドラインを引いている(はず)。
これまでに毎年そのような事故が起きてしまっている、ということではないだろう(と願いたい)。

ヒヤリハット、という側面ももちろんある。
危険な徴候は沢山あっても、それを認識できないまま大事にならないできたものが顕在化した可能性も大きい

生徒は経験者ではない

長く関わっていると、ついつい前年度からの踏襲やさらにレベルアップをしたくなるけど、
新しい生徒にとっては初めてだし、対処が充分にできない可能性もある。
いつの間にか、指導者の基準が優先で目の前にいる人たちに合わせることがからズレてきているのかもしれない。体調が悪いというのももちろんある。

熱中症の話だけではない、授業などでもそう。
昨年までの中身を踏まえて今年はさらにレベルアップ、、と考えても受け手は昨年からの積み重ねがない。指導側の1人よがりになっているものもあるかもしれない。

馴染んでいない人の視点、は貴重

そうなっていったら、制度が変わろうと、基準が変わろうとその適用は遅れてしまわないかな。当事者のセンサーが作動しなければ意味がない。
センサーを作動させる刺激、それは環境に馴染んでいない他者じゃないだろうか。
「うちはこういうもんだよね」とか「この競技はこんなの普通だよ」というところに周りが違和感を持ったらそれはちょっと危険な徴候。
そういう意見を活かすかどうかも専門領域にいる人たち。
そういう意味でずっと部活に関わってこなかった先生、専門外の先生の視点というのはとても重要なんじゃないかなと思うけど、、現状はその前に解決しなければいけないことが沢山ある、、、、

知っていると思っているリスク

全く知らなければ対処方法を探ったり、誰かに聴いたりするかもしれない。だけど、自分が知っていて、経験値や対処などの知識を見聞きしていると思っている方が実はアップグレードされていないかもしれない。怪我で言えば脳振盪や熱中症、そこにあたらないかな。傍目にはわかりにくいもの、決定的な重篤な症状が出るとも限らないものそこにこれまでの経験が邪魔をしているものもあるんではないだろうか。

専門家は視野が狭い

注力すべきところが見えるし、そこに解決の糸口が見えてしまっていると、他のことは見えないかもしれない。
以前に知人と話していた中で「鍼の資格を持っている人は鍼を使って対処しようとする、トレーニング指導がメインの人はトレーニングでなんとかしようとする、場合によっては何もしないで寝るだけでいいかもしれないのに」なんてことを話した。そういう意味では専門性を持ったうえで他の選択を持っておくことが重要になる。武器の使い方、取説をちゃんと持つこと。

昔より弱い、というなら、、、

「俺たちの頃より体力がない」、「昔はこれくらいでも平気だったのに弱いなぁ」というのは残念ながら耳にする言葉でもあります。本当かどうかは別。大体時間が経つと、昔の自分はレベルが随分上がっていますからね。いずれにしても

昔より弱いってわかっているなら、もっと調節してくださいね

ということは強く言いたい。そして、コーチや先生にアプローチする側も現状の不備を訴える一方で、違う戦略を考えていかないといけないのかなとも思います。やっぱり強い口調では相手が動かないことも沢山あるし、敵対するより手を取れた方がいいのだから。

相手が想像できていないこと、イメージできていないことを指摘・糾弾しても相手には響かなくないですか?そこの手順、我々もすっ飛ばしているんじゃないかなと思う時もあります。自分たちの当然は相手にとって変わる。

読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。