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DaiGoと猫と人間の自己家畜化 コントロールされた生存と生殖

優生思想

身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。遺伝子のみならずナチスによって命の選別にも使われた。

『優生思想』を唱える社会的強者が社会によって淘汰された

 報道によると、4団体は「生活保護問題対策全国会議」「一般社団法人つくろい東京ファンド」「新型コロナ災害緊急アクション」「一般社団法人反貧困ネットワーク」。共同声明の中で、「ホームレスの人や生活保護利用者の命は要らないとする、DaiGo氏の一連の発言は、人の命に優劣をつけ、価値のない命は抹殺してもかまわない、という『優生思想』そのものであり、断じて容認できるものではありません。これらの発言は、差別を煽動する明確な意図に基づいて行われたものであり、現に、路上生活者に対する差別に基づいた襲撃事件が後を絶たない中、さらなるヘイトクライムを誘発する危険のある、極めて悪質な発言と言わざるを得ません」と指摘。「また、貧困や生活困窮に陥ることについては、社会的な要因があり、これを社会全体で支え、生存権を保障するための制度として生活保護制度があるということについて、根本的な理解を欠いた発言であると言えます」と論じた。
 3 私たちの提案
 今回の発言では生活保護利用者とホームレスの人たちがターゲットにされていますが、生産性や自らの好みにより、他者の命に優劣をつける発言を野放しにしていると、さまざまな生活上の困難を抱えている他の人たちも、いつ攻撃の的にされ、生存を否定されてもおかしくありません。すべての人の命は等しく尊重されるべきであるという近代社会の前提を棄損する発言を私たちは絶対に許してはなりません。
 DaiGo氏の発言に対しては、幅広く多様な方々が批判の声を挙げています。厚生労働省も、8月13日、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」と生活保護の利用を呼び掛けるツイートをしました。これは、2012年春の“生活保護バッシング”の際にはなかった動きであり、市民の側にも、行政の側にも、「生存権」の重みを踏まえた対応が見られることに、希望が見えると評価できます。
 私たちは、私たちの社会を守るため、DaiGo氏の一連の差別扇動を許さないという姿勢を、より明確に社会全体で示す必要があると考え、以下の5点を求めます。
 1 DaiGo氏は、形だけの反省・謝罪にとどまらず、この動画がヘイトスピーチに該当する内容であることについて真の理解に至ったうえで、改めて発言を真摯に反省・撤回し、生活保護利用者、ホームレス状態にある人々に謝罪すること。また、「処刑」や「殺す」という言葉を用い、特定の人たちを社会から排除・抹殺することを正当化することは、ヘイトクライムやジェノサイドを誘発しかねない反社会的行為であることを認識し、この点についても明確に発言を撤回し、謝罪すること。
 2.「最後は生活保護がある」と述べた菅首相は、DaiGo氏の発言が許されないものであることを明言したうえで、生活保護の申請が国民の権利であることを率先して市民に呼び掛けること。
 3.厚生労働省も、公式サイトにおける「新型コロナウイルス感染症の影響により生活にお困りの皆さまへ」のページにおいて、生活保護制度の案内を大きく取り上げる等、制度利用を促す発信に力を入れること。福祉事務所が追い返しなどしないように、周知徹底をはかること。
 4.マスメディアは、DaiGo氏の起用を差し控え、その発言の問題点を報道し、このような発言を許さない姿勢を明確にすること。
 5.私たち市民は、今回のDaiGo氏の発言を含め、今後ともこのような発言は許されないことを共に確認し、これを許さない姿勢を示し続けること。

今回の炎上は総じて良かったと思う。少なくとも『優生思想』を唱える社会的強者が社会によって淘汰されることが結構はっきりと示されたからだ。
我が国の厚労省の反応、そして、生活困窮者支援4団体の共同声明は秀逸だった。さすがにかなりしっかりと要点を網羅していたし、次世代を含める日本国民への啓蒙の効果は多大であると高く評価できる。

実際に、DaiGoが自分のチャンネルに招待してコラボしていたヒロユキだのこの辺のちょっと浮世離れした永遠のピーターパンみたいなオーラを醸し出しながらカネ至上主義、損得至上主義みたいな連中の次世代に与えている影響は危ないと思っていて、この辺の危うさを、支援団体が提言するとおり社会の良識が彼らを抑え込めるという事実を確認できたのは素晴らしかった。

自己家畜化

DaiGoがネコという人類の家畜を人間の社会的弱者と対比して強調していたのは興味深かった。

自己家畜化(self domestication)とは、野生生物が人間との共同生活に適応する過程のことであり、とくに人間が直接家畜に適した形質を選抜して繁殖させること(人為選択)なしに、それが達成されていることを指す[1] 。犬や猫は部分的にはそのように進化した、あるいは進化していると考えられている。一方でヒト科の動物が、協調的で従順な行動を進化させたことも自己家畜化とする場合がある。リチャード・ランガムによれば、同種間あるいは異種間のあいだで攻撃性の低下が有益な環境下で進むとされる[2] 。自己家畜化には進化の副産物として、脱色、性的二型の縮小、幼形化が含まれることがある。
野生生物の場合
野生動物は、攻撃的な行動が減少することで、人間の近くでの生存率が向上することがある。そうやって生存率の向上した個体同士で、(人間の積極的な繁殖選抜をすることなしに)繁殖することが、攻撃性の低い形質を遺伝的に固定することになる。こうした自己家畜化は、人間の作り出す環境から発生する食糧の入手可能性を増加し、またそれを利用する能力の進化も促される。 この攻撃性の低下は、ホモ・サピエンスの周辺環境に限定しなくても適応度を上昇させることがある。自己家畜化によって生じる形質が個体間距離の近接化につながり、集団性が高くなることで自己家畜化が有利になる場合もある。自己家畜化された動物の環境は、野生の表現型とは異なる行動や外見の変化をもたらす可能性がある。こうした変化しやすい形質としては、脱色、フロッピーな耳、カールした尾、小さな歯、小さな頭蓋構造、幼少期の行動、性的二型の減少、発育の停止などが含まれる[3]が、これらに限定されるものではない。 遊び好きの増加、攻撃性の低下もまた、自家家畜化の進んだ種で観察されている。

約1万年前、人が定住化し、植物を栽培化する中で、備蓄した穀物を狙うネズミ対策が重要になった。その中でリビアヤマネコの一部は人の周辺で生活をし、住居近くのネズミを利用するようになった。人がネコを受け入れる中で、ネコ自身も野生の時代にもっていた人に対する攻撃性を減退し、従順さを増加させるようになったと考えられる[4]。攻撃的な行動の減少と「飼いならしさ」の増加の永続化を支持し、猫を人間社会でますます許容できるようにしたとする[5][6]。

まあ、猫っていう愛玩動物=家畜は、人間の都合の良いように作り変えられた種族だ。犬という人間にとって都合の良い、よく出来た種族も一緒。犬の先祖は人間に都合の悪いオオカミだった。両方とも「血統」だのがあってバリエーションがやたら豊富であるのも人間が交配をコントロールしまくったから。ブルドッグとか今で言えば、耳折れ短足スコティッシュフォールドがどうだのミニチュアだのトイプードルだのやっている。アレも良くないね。

そしてペットの生殖コントロールする同じ原理で、人類が自分らの種族を同じ理屈でよりよく作り変えられる仕組みを構築できるはずだ!というのが、優生思想。

実際、ナチスがやらかしたが、現代の中国共産党は結果的にやってることは一緒というかそれ以上だけど、あれが優生思想に基づくかというとそうではないと思う。

人間の自己家畜化

 第五の繁殖の人為管理もまた、現代の科学技術が得意とするところである。人工授精、体外受精、出生前診断などによる生殖への介入が、ここ二〇年のあいだ大きな生命倫理の問題を生みだしてきた。それらの技術は、まず家畜で開発応用されてから、人間に転用されたものである。家畜の繁殖に介入して「生命の質」を管理するのと同じことを、現代の医学は人間に行なおうとしている。現代の生殖技術ほど、人間の自己家畜化がストレートにあらわれているものはない(小原が優生学と生殖技術についてまったく触れないのは理解できない。これこそがポイントなのに)。

以上、一部抜粋であるが、メタな視点では、我々人類の文明は優生政策なんぞをやってなくても、すでに十分に自己家畜化していると言える。

出生前診断からの人工中絶ってのはどうなんだ?という問題だってある。これはナチスの優生政策の実現と何が違うのか?DaiGoの主張を批判できるのか?と言われて困る人は多いのではないだろうか?アメリカの保守層が主張するとおり一律中絶は禁止するとしなければ筋が通らないはずだ。近年アメリカのいくつかの州では人工中絶禁止法可決されている。

マスメディアの家畜から開放されたインフルエンサー

支援団体が主張する

 4.マスメディアは、DaiGo氏の起用を差し控え、その発言の問題点を報道し、このような発言を許さない姿勢を明確にすること。

っていうのはちょっと古い。DaiGoが元々メンタリストとして頭角を現した(実際元々優秀な人であるのは事実)のはマスメディアだったけど、その後色々あっても、マスメディアに依存せずとも、というよりそもそもマスメディア自体がネットの台頭によって力を失って逆転されているので、彼はマスメディアの家畜という立場からは自由になっている。

インフルエンサーというSNSの家畜

ところが、マスメディアの家畜ではないインフルエンサーであっても、別のマーケットの家畜という立場からは自由では居られない。

そこが今回の炎上の最後のポイントだろうと思う。

YouTubeにはこういう差別発言や弱者へのハラスメントを許容しない規約があり、今回の動画は通報が殺到して削除されてしまった。それは強気であった彼に自分の立場の弱さを痛感させたに違いない。最悪、多大なフォロワー数を誇るYouTubeチャンネルをBANされかねない事態だ。またYouTubeは彼のオンラインサロンへの撒き餌としても機能している。

あと収益源であるニコ動へ延焼したら怖いって絶対思ったはずだ。彼にとってニコ動のアカウントBANは致命傷になる。

それに、彼は明治チョコレートや、水の広告案件も入っている。マスメディアが衰退して、そこから自由であっても、所詮は我々の経済圏というのはひとつであって、広告の出口がネットになった、ってだけのことで、ブランド力や人気が落ちたら詰むというのはどういうプラットフォームをつかったフレームワークであっても同じはずだ。

DaiGoも家畜

DaiGoも大いなる人類の文明の末裔として、ああやっていろんな本を読めたりお金も稼いでイキってるので、自分も自己家畜化されたメンバーです。って言ってりゃ頭良いな、で終わってた。

人類のメンバーである限り、この自己家畜化した文明の檻からは逃れられないし、経済的に自由だ、ってそこもSNSやらの元栓を誰かがキュッと締めたらやられてしまう。

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