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MIKIKO解任が悔やまれる 東京五輪2020の開会式の演出が酷かった 潰したのは電通の佐々木氏

冒頭、コロナのせいで外出もままならず室内のトレッドミルで一人トレーニングを黙々と続けるアスリートの描写、これは素晴らしかった。

世界が巻き込まれた状況、そのなかでの五輪というまがい物のない、全世界の人々が共有し共感できる演出、それに人類が打ち勝つ象徴としての五輪という感動的な演出であったと思う。

これは無観客であるという前代未聞の異様さと静寂さと相まって素晴らしい相乗効果も発揮していた。あれ?ひょっとしてこの開会式ってかなり高潔な精神をもち才能がある人間による作品で大化けするのか?と思っていた。

開催すら反対される、そして直前で開会式の責任者が不祥事によって辞任する、解任されるというゴタゴタのなかでも、関係者は辛抱強くしっかりと準備していたんだ、というその点においても感動さえ覚えていた。期待できると思った。

そして国旗掲揚の際の毅然とした自衛隊員の皆さんや、MISIAの国歌斉唱も素晴らしかった。彼女がレインボーカラーのドレスを着ていたのは例の多様性の象徴でご愛嬌だな、と思っていた。別に問題ないししれっとアピールすることは素晴らしいことだ。

日本の伝統的な火消し?的なものも良い演出だな、と思ってみていて、ここから本格的な和太鼓やら歌舞伎やら一連の日本の偉大な伝統文化の演出がはじまるのかな?と思いきや、なんかよく知らないひとがタップダンスをはじめた。は?となった。「和洋折衷」的なアピール?それにしてもストーリー性がまったくない。脈略がない。

菅首相、小池都知事、バッハ会長、それから天皇陛下が入られるのだが、あまりにも天皇陛下の扱いが軽い。酷すぎるのでこれは問題になるだろう。

わかりやすいように、たとえば同じように王室があるイギリスのロンドン五輪では、どうだったか?と思い起こしてみよう。

007のダニエル・クレイグがエリザベス女王をお迎えにあがる、というめちゃくちゃかっこいいVTRがあって、ここは映画クオリティ。というか現実の007映画にイギリス女王が出演することなどありえないが、ここは五輪だからこそ特別にこういうコラボができている。そしてダニエル・クレイグは現実の世界では俳優で、女王陛下を迎えに上がるなんてことはないが、五輪だからこそ実現している。VTRのなかでは地上の国民に称賛されながら五輪会場に向かう。すると現実の五輪会場の上空にも本物のヘリがやって来る。VTRと現実の会場はここで融合しながら、国旗模様のパラシュートでふたりは降下してくる。そのあと現実の会場ではファンファーレが鳴り響き、女王陛下がロイヤルボックスに入場してくる。さすが超VIPぶりをアピールしながら観客も大いに楽しめる演出、そういう演出で登場するからなおさらVIPぶりが際立つ、五輪でしかありえないという格別の演出だった。そしてこれはとりもなおさず、イギリスという国家の国力のすごさ、文化力のすさまじさのアピールにもなっていた。ユーモアもあり重厚であり五輪のスペシャル感がある。

翻って日本の天皇陛下の扱いはどうだっただろうか?なんかよくわからない間に、菅首相、小池都知事、バッハ会長とごちゃごちゃと入ってきて、なんでおまえらが同列で偉そうにいるんだ、みたいなことである。

無礼で不敬あるのは言うまでもないが、結局世界から見ると、天皇陛下への扱いの雑さは日本という国の格式の低さ、文化力のなさ国力のたいしたことなさに直結する。それはロンドン五輪での演出の凄まじさがイギリスすげー!みたいになっている事と対比したからわかりやすいだろう。

そして、選手入場がはじまる。なんか変なデザインのポンチョを着たボランティアが、やたらちょけた感じで迎え入れるのだけど、時分はしばらくなんでこんなことになっているのか理解不能だった。

とりあえずいっとく。日本の正装は「着物」だ。アスリートは大切なゲストだ。彼らの晴れ舞台だ。大事なゲストを国家をあげて受け入れるときには正装をしろと。

もしくは、お祭りなんだから男女ともに浴衣と団扇でもいいよ。それでもゲストは日本ならではの特別感で歓待してくれると喜んでくれるだろうし世界のTVの視聴者も嬉しいだろう。漫画のポンチョ?しょうもない。

そして、各国名のボードが漫画の吹き出しになっていることに気がついた。あのな?人様の国家のプレートでそんなちょけた遊びしてるんじゃねーよ、と。

そのボードを掲げているボランティアの衣服が「漫画のトーン」

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になってることで初めて全体像に気がついた。演出家はこの五輪の選手入場は「漫画」テーマにしているのだと。漫画だから、変なポンチョの柄、それは漫画柄で、漫画のキャラみたいなコミカルな動きで、吹き出しボードでやっているのだと。

軽薄過ぎる。日本が誇るマンガ文化、サブカルアピールのつもりなんだろうが、人様を迎え入れる最高の場でサブカル使うな、と。単に安くて失礼だ。ユーモアがあると思ってもらえるとでも?ユーモアって難しんだよね。「ごめん、こっちは冗談のつもりで良かれと思ってやっただけなんだ」って相手に失礼だと思われて切れられることってあるでしょ?それ。

しかもアスリートの入場行進って開会式の半分位の時間をつかうので、そこで延々と漫画文化のアピールをしていることになる。ほんとセンスないよね。寒すぎる。ずっとユーモアのつもりでドンズべりしているみたいなことだ。長時間ね。救いがたい。

リオ五輪の閉会式の日本引き継ぎのVTRで、マリオやら出てきて、あれは、え?まさかこんなときにゲームキャラ出てくる?とサプライズがあった、あれは粋だった。日本の余裕みたいなものが感じられた。偉大な文化がある国だと。余裕がある国だ。それはとりもなおさず前半に新幹線やら高層ビル群やら日本の底力みたいなことがベースにちゃんとアピールされていたからだ。

日本の引き継ぎパートは神々しいともいえるほどの演出だった。このチームはどこへ消えたのか??おそらくこのチームでPerfumeなどの演出振付家であるMIKIKO氏がやっており、電通に完全に乗っ取られる形で解任になったのだろう。

この演出では日本がどういう国なのか新幹線の映像を差し込んだり技術力の高さがアピールされており、「行ってみたい国だな」と思わせる仕上がりになっていた。そしてその親しみやすいインターフェイスのひとつとしてアニメ、ゲーム文化があり、マリオがでてきた。粋だった。

サブカルってのはベースのカルチャーがあるからサブなわけで、着物すらまともにでてこないような演出で、ひたすらサブアピールばっかりしている。

今回の演出家は、電通人脈のあのクビになったアホとかだろうけども、君のとっての自国の誇りってのは漫画だけなんか?と。

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この流れを決定的にしたのが「イマジン」だった。日本の五輪でそれ流す?無国籍アピール?多様性?来たアスリートもびっくりしてたと思うよ。まさかはるばる日本まで来て、おもてなしの最後が日本ではない外国の曲で、外国人が歌うって。あれって黒人女性シンガーのアピールしたかったのかな。それともオノヨーコという日本人がジョンレノンの嫁さんだったから、ギリギリつながりありますよ?みたいなこと?もしそうでも100%理解なんて得られてないから。あほかと。 

ドローンは良かったんだよ。きっと入場したアスリートの頭上で見せつけたかったんだろう。僕もびっくりした、なかなかやるな、としかし、それは「イマジン」につながる。がっくりだ。

やっぱ結局、これも真っ当な国家間とか伝統とか、ひたすら左翼的な日本的価値観の破壊を続けた結果、こういう醜悪なものが出てきたんだと思う。

この開会式って左翼はどう評価するのかな?結局伝統否定して価値観をアップグレードする、とかやり続けたらこういう薄っぺらい結果になるんだ。

多様性アピールしながら、やたら英語っていうのは意味がわからない。それは多様性じゃなくてグローバリズムだ。そんで、日本開催の大会セレモニーならば、彼らが目にしにくい日本文化を前面に出すことは、彼ら受けてにとっては多様性のひとつになるんだよ。

結局日本も権力もつのが次世代に変わってきているけど、文化的素養も哲学も知見もないやつらで、しばらく厳しそうですね。劣化が回復するのかと思いきや加速しているじゃない。



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