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未来の為に生きて死ぬ

ことは、僕にとってかっこいい生き様だと思っている。理想だとも思う。
だからなのかは分からないけど僕は昔から何もしていない時間が苦手で、常に何かに備えていた。

周りはそれを「真面目だ」とか「意識高いね」なんて言うけど僕の中では全くそう思えない。だって怖いのだ。まともな準備をせずに戦って失敗することが。だから僕は「テストの勉強ぜんぜんしてなぁ~い」って言いながらめちゃくちゃ対策するし(それでも成績は中の中だった)、ゲームのボス戦前はこれでもかってくらい強化してフルボッコにするタイプだ。
ただその気質のせいで一歩前に踏み出す力が弱いのは目下の課題。

だから今日もとりあえず机に向かってPCを開いてみる。習慣みたいなものだ。ほんとはゲームもしたいけどぐっと堪える。ここでサボってしまえば怠け癖がつく。そしてそれはいともたやすく習慣になってしまう。この瞬間は毎回「ゲーム実況者になろうかな」なんて考えが頭をよぎっている。

でも最近僕は自分のこの気質に疑問を抱くようになった。

「そんな将来のためばっか意識して楽しいの?」
「今を楽しめてなくない?」
「死に際まで未来のために備え続けて死ぬんじゃない?」

一理あるなぁ~と自分の心の声に一人で納得してしまう。
でもだからといっていま僕が本当にやりたいことをやろうとでもしようなら半日はゲームをして過ごしてしまう。それがまずいことくらい猿にだって分かるだろう。

それにしても時間があるとこんなナイーブになるようなことまで考えさせてしまうのか。大学生最後の1年が下半期に突入したこともそう考えさせる一因なのか。誰か僕を大学2年生でループし続ける世界線に飛ばしてくれ。

「今を楽しむこと」と「未来の為に今頑張ること」二項対立でないのはわかっているし「今を楽しみながら頑張る」とか「頑張ることが楽しい」がベストアンサーだと思ってる。けどそれは僕の中では半分正解半分ハズレで必ずしもこれらがうまく噛み合わさるものばかりでない。

例えば、「未来に期待して生きる」とかだったらポジティブに聞こえたりするんじゃないだろうか。「頑張るけどゲームもする」とかだったらリアリティもあるな。

こういうふわっとしたキーワードをたまに思い出すことは、熱くなったときとかナイーブになったときに冷静に考えられるきっかけになるんじゃないかなと思う。
「そういえば俺ってどうやって行きたいんだっけ?」って立ち返るの大事。

数ある選択肢の中でベストじゃなくてもベターを生きていけたら良いなと思う。ワーストだけ踏まなきゃいい。


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