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0071 雑談16 元木さん@徳島-懐石料理屋三代目の人生戦略

【1on1雑談】
to 1on1雑談の醍醐味を知りたい方
to 懐石料理屋経営の世界を垣間見たい方

さる11月10日。大学時代の友人と1on1雑談。この取り組みの醍醐味を味わうとても面白い回となりました。時間が足りず、聴ききれなかったことは第二回を計画。今回の内容まとめ。読みたくなる目次は脚色なし↓

みちよ亭   徳島県板野郡藍住町住吉神蔵176
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宇宙はあとにし日本料理の世界へ

1998年。前年のCOP3では京都議定書が採択。世界が気候変動について少しだけ歩み寄り出した翌年、元木さんと自分は別々の大学の環境問題を扱うサークルに入り、いくつかインカレイベントで出会っていた。

元木さんは慶應の理工学部に所属。物事の本質を見たい。今の自分の視点から見れない世界を見る。そんな探究心から”宇宙から地球を見てみたい”という夢を抱いて大学生活をスタートする。

実家は徳島の片田舎の日本料理屋。元木さんの祖父が昭和50年4月25日に創業し、二代目の親父さんがきりもりする地元に愛される店。だが夢をもっていた元木さんは、とうてい跡を継ぐつもりはなかった。店には借金があった。そしてある日夢をみる。実家が借金まみれでつぶれる夢。リアルな感覚が残った。夢に思えなかった。

四人兄弟の長男であった元木さん。宇宙をめざしていたが、こんな話を知ることになる。”人類は数十年以内に誰でも宇宙旅行に行けるようになる”。工学部の先輩たちの日々の実験でのつらそうな姿も見ている。こんな大変な実験の果てに宇宙に行くのは効率が悪い。そうか、実家をつぎながらも、数十年待って宇宙に行けばいいか。

大学一年の前期が終わると同時に、理工学部から商学部へ編入を果たす。話を聞いて驚かされた。なんて合理的に物事を考え解釈し、行動に移しているのか。このころの自分は、大学の環境になじむのが精一杯だったのを覚えている。かくして、商学部にはいり、消費者心理学なども勉強しつつ、実家の料理屋を継ぐことを決めた。

修行時代-京料理の奥深さ

人生プランがあった。一度、大企業に就職し世間での経験を積んでから、料理人の世界に入ろう。大学のゼミにクリエイターとなっている友人がいた。職人の世界はそんな廻り道ができるほど生やさしいものじゃないんじゃいか。言葉が胸をうつ。卒業1ヶ月前、すでに内定していた就職先を断り、卒業と同時に料理人の世界に足を踏み入れることに。

2002年、苦労の末、北海道の恵庭市の魚屋で世話になることに。魚のいろはを覚えた2年間。2004年、本格的な懐石料理を学ぶため京都にうつる。朝6時から夜8時まで住込み。皿洗い以外の仕事をまかせてもらえなかったり、別のバイトで体をこわしたり。兄弟子と相部屋の生活も心が休まらないものだった。そんな苦労をしながらも必死で京料理を学び、2008年に実家へもどる。

ここから5年、実家の店で腕を振るうことに。6年間の料理修行、特に京都では、食材を丁寧に扱つ精神など多くのことを学んだ。古株の料理人たちも、元木さんの料理の腕に一目おく。あのとき大企業に就職してから…とか悠長にかまえていなくてよかった。このあとの人生も、料理のスキルが、日本料理屋の経営に必須であったと気付かされることになる。

三代目就任。その決意と行動力

経営は苦しいものだった。外食産業は右肩下がり。人口減少。高齢化。頼りにしたい観光客も、徳島は宿泊客数ワースト1位の都道府県。うず潮を見たら京阪神に戻ってしまう。外国人はツアーでの食べ放題を好むし、ドタキャンも多い。

2013年。親父さんが60歳をむかえたこの歳、晴れて元木さんが三代目に就任する。若干34歳の経営者の誕生。店は2つ。従業員は約30名。借金はまだ減っていなかった。ここから元木さんの大変革が始まる。

借金を減らし、倒産から店を救うことが最大の使命。お客さんの食事の跡を観察した。だいぶ食べ残しがある。見た目のボリュームはいいが料理が多すぎる。全員の反対押し切り、原材料、もりつけ、素材の扱い方、料理の量、全てを変えて業態変換をはかる。田舎の大衆日本料理屋から京都修行をベースにした懐石料理屋へ。

古いお客さんは変化を嫌った。身内はどうか。オーナーより板前が強い和食の世界。”総上がり”と言う、料理長が弟子を引き連れて一気に辞める古い慣習がある。しかし、自分の料理のスキルが、最悪の事態を起こさせなかった。

現在、客単価は、6,500円-8,000円ほど。法事、七五三、両家顔合わせなど、人生の大切なタイミングで利用される地元の名店となっている。元木さんの改革により利益を確保し、今も徐々に借金を返済している。

懐石料理でロボットを売ってみた

話はここで終わらないから面白い。環境問題、宇宙、懐石料理。情報が渋滞しているところに、ロボット販売とは?

2014年ごろ。三代目就任後間もない頃。建物が広かったため、有効活用ができないものか考えていた。徳島の高齢化がすすんでいる。思いつく。介護ロボットを販売してみよう。

大失敗だった。120万円のペッパー君もポンコツだったし、もの珍しくはあったが売れるものではなかった。本人曰く時代を先取りしすぎたとのこと。2023年くらいに再度、新規事業を試したいと意欲を燃やす。最高だ。

まとめ

それまでの1on1雑談を大きくこえるメモ量、濃密な時間と情報、エピソード。人の人生にスポットを当てるとはこんなにも刺激的で面白いものかと思わされた回でした。実はまだ聞き足りないこともあったので、つづきは第二回、または、直接徳島に旅行にでも行って、料理をいただきながら話すのもいいだろう。ありがとうございました。

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2021/12/12 追加
to be linked 

2021/12/11日経新聞。ジビエ肉の流通増。徳島の増加率が高い。何かヒントにならないかと思い追加で載せてます。

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