0033 雑談08 Pacific Coffee代表 曽根拓也さん@幸せのおすそわけ
【1on1雑談】
to フィジーを知りたい方
to フェアトレードに関心ある方
to 幸せのあり方のヒントを得たい方
8人目の1on1Meetingは、フィジーコーヒーの買い付けと直販で起業した曽根拓也さん。出会いは2014年のフィジーでの英語留学フリーバードのクラス。留学といっても自分は1週間の滞在。今回、SNSのつながりから、1on1受けていただきました。
Pacific Coffee 曽根さんが奥さんと友人3人で立ち上げたオフィシャルサイト。
曽根拓也という男
まずふれておきたいのが曽根さんの魅力。ほぼ7年ぶりにオンラインで話しましたが、変わらぬ接しやすさでした。
1on1の域を越え、少し深堀り。2012年のfbの素敵コメント↑。
ポジティブで物事を水の流れのようにナチュラルにとらえる感性。周りを明るくする性格。それでいて経営者として地に足着いた感じ。
世界中に友達がいたらいい。おぼろげなそんな思いが、フィジーの英語留学につながる。フィジーのおおらかな文化が、曽根さんの生き方そのものになり、今にいたる。
↑fbより。中央大学空手部 キャプテン曽根拓也
起業を思い立ったのは、さらにさかのぼって大学時代の空手部の仲間との経験。自分たちでできる手触り感のあるスモールなチームの素晴らしさを今後の人生でも味わっていきたい。この思いが曽根さんの起業家への戦略的な動きにつながっていきます。
銀行マンからの戦略的キャリア形成
私が驚いたのが、前述したキャリアプランの戦略性。経営者になっても財務経理が理解できるようにという明確な目的のため、大学卒業後は銀行マンとしてキャリアをスタートさせたとのこと。3年間のバンカーとしての経験が、現在の経営にとても生きているとのこと。
何名かスタートアップの経営者と話したことがありますが、2つの苦労していることをよく聞きます。ひとつがプログラミングのデザイン設計、そしてもうひとつが財務です。特にコロナ禍では、数値を元に、従業員に現状と見通しを伝えるスキルも必要になるはず。そこで、経営者が付け焼き刃の財務知識だと、周りを不安にさせ、経営判断をまちがえるリスクも。
就職活動段階でそれに気づいていたのは、ただのポジティブ青年ではないことがわかる。
最悪サイクロンとフィジーコーヒーとの出会い
2014年のフィジー英語留学後、ニュージーランドへのワーホリを経る。仲間とやりたいことをさぐる。2016年そのフィジーに、最悪のサイクロンがおそう。被害への募金活動、そして幸福度ランキングNo.1のフィジーをもっと知ってもらうべく一般社団法人BULAVITY立ち上げ。写真展、国際交流イベント、メディア活用し、徐々に共感の輪がひろがり、運命的出会いをきっかけにPasific Coffee起業。
かくして、Pacific Coffeeは、日本で初めてフィジーコーヒーを輸入するにいたる。そう日本初。
↑fbより
ここからがこのビジネスのコアな部分。フィジーのコーヒーは歴史も浅く、世界的には今でも全く無名。数あるコーヒーの中でなぜフィジーコーヒーなのか?なぜこの価格なのか?
曽根さんたちがフィジーとフィジアンが好きなのはもちろん最大の理由かもしれない。加えて、コーヒーの産地として太平洋エリアに注目したのは、コーヒーベルト(*wiki)内にも関わらず、まだほとんど注目されていないため。2050年まで温暖化によりコーヒーの生産量は50%減という説が有力な中、結果的にそのエリアをおさえたことになる。
次に価格政策Plickng.
↑公式HPより
消費者に価格、品質、そしてストーリーとしても納得して買って飲んで欲しい。そんな思いがある。
フェアトレードの少量生産は、値段が高くても仕方ないではだめ。中間業種を廃して、価格をおさえる努力により、一般の方でも手軽に買ってもらえるようにすべきとのこと。
買い付けについて。Pasific Coffeeがフィジーの生産者と膝を突き合わせ、信頼と共感のもと価格を決めている。ほぼ言い値というから驚く。労働者への賃金、輸送費、諸経費など生産者側の立場と、原価の構造を理解しているからできる。結果として、生産者の顔が見える素敵なストーリーが生まれる。
この生産者と消費者の両サイドのまさに手触りの感覚を知っているバランスが強みなんだと思いました。
↑fbより
スモールコミュニティで仲間とともに
最後に、今後どんな生き方をしていきたいかをたずねた。壮大なゴールや、会社を大きくしたいという
野心のようなものは、いい意味でない。
コーヒーを軸に、広大な太平洋の他の産地にも行ってみたいし、やりたいこと、楽しいことはまだまだあって、それを仲間と進める。徐々にパシフィックに共感してくれる人が集まる。そして、幸せになる。
曽根さんのこれからの生き方のイメージが浮かんだ。ひとつの崇高な頂点に向かって上り詰めていくというより、放射線状に広がるフィジアンブルーの中を、楽しいこと、ワクワクすることを選択しながら、幸せでありつづける人生と仲間。
彼は言う、あえて最終目標をいうなら、
最後はフィジアンになりたい。
後記
今回失礼ながら、2回目のワクチン直後の発熱前というタイミングで、ファミレスからオンラインでお話させてもらった。その点激しく反省している。落ち着いた場所でニュートラルな体調と感情で、すっと会話が始められる環境づくりを今後心掛けます。
一部、聞き役のはずの自分が、曽根さんの話からインスピレーションをえて逆に相談する側になるシーンがあった。少し長すぎたかなと思ったので反省。
自分もポジティブな方だとは思っているが、ときにポジティブの押し付けをしてしまう自分に気づいている。後輩を見つけてアドバイスしてあげようとかのあれ。曽根さんは、その点が削ぎ落とされている感じがして、心の持ち方の参考にしたいと思いました。ブッダの教えをまた読もう。
最後に記載した”放射線イメージ”。人物を色と形のイメージで表すことが、われながら面白いと思った。それを鮮烈にイメージさせてくれる方でした。
曽根さんへ
話す機会がをいただきとても有意義な時間でした。今度は市原まで、直接コーヒー買いに行きたいと思います。ありがとうございました。
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2021/10/24追記
2014年のなつかしい写真が見つかったので掲載。
↑当時のクラス
ブラジルW杯開催中で、日本がコロンビアにボロ負けする試合を一緒に見たんだと思います。
青春。
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