平成から令和へ

明日からは「平成」から「令和」に変わるみたいだけど、僕にとって「平成」を振り返ると、CHEMISTRYとNBAでしたね。

CHEMISTRYで振り返る平成

僕のCHEMISTRYとの出会いは2001年(平成13年)。
ASAYANも知らなかった中学1年生の時だったかな。家にあったCHEMISTRYのアルバム「The Way We Are」であまりの歌唱力の凄さに衝撃を受けた記憶がある。
特に衝撃を受けたのは、あの世界的に有名なジャズシンガーとして知られるケイコ・リーさんとの共演をしたことかな。デビューしたて間もない時期にですよ?「星たちの距離」と「君をさがしてた~The Wedding Song~」で一緒に歌ってくださっているのは聴いていて衝撃的だったな。どれだけ歌手としての実力を見込まれていたのかと思いましたよ。ええ。

時は流れ、2004年(平成16年)。
初めて買ったCHEMISTRYの「One × One」でSo in VainとBound for Identity〜Dear Friend〜に嵌ったんですよね。何回聴いても聞き飽きないので、修学旅行でも聴きまくっていました。

そこからCHEMISTRYに対する熱が生まれてCDを買い続けた。

そして2011年(平成23年)にデビューから10周年を記念したCHEMISTRYの全国ライブ「Neon」のさいたまスーパーアリーナでのライブに参戦したんですよ。そこでの会場の熱気に衝撃を受けたな。あのときは近くの飲み屋さんでCHEMISTRYのこと語り合ったなー。

しかし、その翌年の2012年(平成24年)にショッキングなニュースが走った。
僕はライブ「Trinity」のバースデー公演のみ参加していたのだが、その最終公演である沖縄でCHEMISTRYとしての活動からソロ活動を軸に活動するという発言をしたからだ。

解散するのかな・・・・・・。
そんなことが浮かばずには居られなかった。
本人たちは「解散はない」と否定していたけど。

そんな不安の中、平成26年は「Bronze Caravan」というソロライブの最終公演で堂珍ファンとたくさん交流させて貰った。写真も撮って貰ったりして。

そして時は流れ、2016年(平成28年)。
12月8日のこと。
CHEMISTRYの二人が2017年(平成29年)2月にソロ活動とCHEMISTRYの活動を両立することを発表したからだ。

よっしゃー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ソロ活動を通して歌手として表現者として活動の幅を広げて復帰したので嬉しかったですよ。現在も活動していると言うからありがたいことこの上ないし、令和最初の全国ライブは10月に予定しているとのこと。


NBAで振り返る平成

平成を振り返る上で僕を構成したと言えるのはCHEMISTRYだけでなくNBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)も大きいと考える。

そもそもNBAとの出会いは2003年(平成15年)。
当時、トヨタ自動車アルバルク(現在:アルバルク東京)に所属していた田臥勇太がNBA挑戦するという話を聞いたから。

最初にトライしたデンバーナゲッツ(コロラド州デンバーにあるプロバスケットチーム)では165㎝のアール・ボイキンスという選手を止められずにカットされてしまったが、翌年のフェニックスサンズではシュート力に課題を抱えながらも第3PGとしてロースター入りすることになり、日本人初のNBA選手となる。

そのことをきっかけに試合をたくさん見るようになり、進学した高校の友達とバスケをするようになり、マイケル・ジョーダンの平成3年から平成5年、平成8年から平成10年にかけて2度の3連覇で6度の優勝を果たしたシカゴ・ブルズの存在を知る。そうして、平成22年からネットで観戦をするように。Twitterというのを知ったのもNBA選手が試合中につぶやいたことがきっかけだった。

最初はお気に入りであるレイ・アレンがいたボストン・セルティックスを応援するようになったが、ふとしたきっかけでセルティックスだけではなく、ロサンゼルス・レイカーズも応援するようになった。その理由は何と言ってもコービー・ブライアントの存在。
嬉しかったのはその2010年(平成22年)にそのコービー・ブライアントとレイ・アレンがファイナルで対戦することが決まったこと。
結果はコービー・ブライアントのいるレイカーズがレイ・アレンのいるセルティックスを4勝3敗で降して優勝。

その後コービーは優勝できなかったけど、平成24年に凄い選手が現れて衝撃だった。

それが、NBAを3度制覇したレブロン・ジェームズ
何が凄いって203㎝113kgという体格からパワフルな動きが出来る点。
レイ・アレンのいるセルティックスとのカンファレンス決勝第6戦は鬼神のごときの活躍だったな。初優勝したときは凄いという言葉しか出なかった。その翌年の2013年(平成25年)、レイ・アレンもレブロンが当時所属していたマイアミ・ヒート(フロリダ州マイアミにあるプロバスケットチーム)へ移籍して連覇。特にレイ・アレンの同点3Pは見事だった。連覇失敗の危機を救う一発だっただけでなく延長で勝利を果たした点から衝撃だった。

その翌年、2014年(平成26年)はレブロン・ジェームズが最初にドラフトされたクリーブランド・キャバリアーズに復帰。そのシーズンのファイナルはゴールデンステイト・ウォリアーズに2勝4敗と敗れてしまったが、翌年の2016年の再戦はレブロン・ジェームズがファイナルでもっと凄まじい活躍を見せた。

NBAのプレイオフは4勝した時点で次のシリーズに勝ち上がるのだけど、レブロン・ジェームズがいたキャバリアーズはファイナルで第4戦を終えて1勝3敗。つまりあと1敗したらウォリアーズに連覇を許してしまう状況にまで追い詰められたの。

そこからのレブロン・ジェームズの活躍は言うまでもなかった。攻守にわたって鬼神のごときの活躍の活躍を見せ、第7戦でウォリアーズに勝利。前年に敗れたリベンジを果たしただけでなく、NBAキャリア3度目の優勝を果たした。その後、レブロン・ジェームズはケビン・デュラントを獲得したウォリアーズに連覇を許してしまい、あのコービー・ブライアントが所属したロサンゼルス・レイカーズへ。

平成最後に明るいニュースもある。
昨年(2018年)、メンフィス・グリズリーズに渡邊雄太が加入したこと。
日本人としてもバスケ好きの自分としても心の明るくなるニュースだった。下部リーグとNBAを行ったり来たりの生活だけど、来季はどうなるか楽しみな選手だ。

最後に。
平成は本当にCHEMISTRYとNBAのお陰で生きて来られたと思っている。
令和になってもこんな僕をよろしくお願いします!

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