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肝高の阿麻和利 茨城公演

この数年、ずっと観たいと思っていた舞台「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」。沖縄県うるま市の中高生により繰り広げられるミュージカル的なものであること、歴史を題材にしたものであること、ぐらいの断片的な情報しかなかったが、とにかく観た人が絶賛するので、舞台好き、沖縄好きとしては観ないテはない、と思っていた。

が、その公演を思いがけずジモト茨城、しかも劇団四季のファミリーミュージカル全国公演(←)などを観に訪れたこともある小美玉市の四季文化会館「みの~れ」で上演するというではないか。早々にチケットを買い求めて楽しみに足を運んだ。

この「肝高の阿麻和利」は「現代版組踊」と称している。「組踊」とは沖縄の伝統芸能であり、能狂言や歌舞伎、京劇などの影響を受けつつ琉球王朝時代に形作られたものであるという。それを現代風にアレンジした、ミュージカルに近いものが「現代版組踊」というわけだ。

そして阿麻和利とは琉球三山統一後の時代に、世界遺産・勝連城の城主となった人物で、のちに琉球王朝に「反逆者」として滅ぼされた。「肝高」とは「志が高い」という意味で、この地域における誉め言葉とのこと。

この作品がユニークなのは、その物語の舞台となるうるま市の中高生たちが演じているという点だ。2000年に初演、以来地元の若者たちに代々受け継がれて上演を続けている。

もともとは教育委員会が企画したもので、今も教育目的のプロジェクトであることは間違いない。しかし、20年近くそれが続き、東京や、さらには海外での公演も成功させているのは、恐らくこの舞台がエンターテインメントとして優れているからだ。

「中高生たちが頑張っている」という点に感動する人も多いと思うし、本来教育目的で生まれた舞台であれば、その見方は正しい。しかし、そこ「だけ」観ると逆にこの作品の魅力を見誤ってしまうだろう。

歴史上「反逆者」の烙印を押された人物を、地元に残る文献から再評価し、英雄として描く痛快さ。芝居あり歌ありダンスあり、笑いあり涙あり、戦あり、ロマンスあり、陰謀ありの活劇要素。そこには「何でもあり」で成長を続ける、演劇形態としての「ミュージカル」の醍醐味がこれでもかと盛り込まれている。

そして圧倒されるのは出演者25人程度プラス50人を超えるアンサンブル、伝統的な楽器と現代の楽器を合わせたバンド(これも中高生による)によって奏でられる音楽と舞踊の力強さだ。

ここで、まさに「中高生が演じる」ことがエンターテインメント的に大きな意味を持つ。

人は、男女問わず若者の行動に心を惹かれる。スポーツしかり、音楽しかり。それは教育目線や、かつての自身の姿を重ね合わせるノスタルジーを超えて、ある種の神聖な要素をそこに感じ取るからだと自分は考えている。

別にスポーツや音楽に励む若者が神聖だというつもりはない。若者といっても人間であり、その中身は自分たちの過去を思い出せばだいたい想像がつく。むしろ大人がそこに神聖さを求めることで、いろいろゆがみが生じることが多い(精神論の横行や過酷な部活動など)。

そうではなくて、もっと本能的な部分、あえて言えば宗教的な意味が、そこにはある。「肝高の阿麻和利」はアンサンブル、バンドを含めた舞台に入りきれないほどの大人数の若者たちのプリミティブなエネルギーを、音楽やダンス、芝居を通じて観客にこれでもかと投げかけて、いやぶつけて、飲みこんでくる。それが圧倒的な感動を生みだしているのだ。

そして、アンサンブルの多くは女性たちだ。性別や地域性で特別視するのは必ずしも正しいことではないというのは百も承知の上で、沖縄の女性たちが持つ、精神的なパワーの存在は認めざるを得ない。今なお「ユタ」と呼ばれるシャーマン的な存在が日常に生き続ける沖縄。そこで育った若者たちの歌声やダンスは、何かを「祓う力」を宿している。もちろん女性だけではない。すべての演者が発する、沖縄の音楽や沖縄の言葉ひとつひとつに、そうした力が込められている。

だから観終わったあと、心や体に潜んださまざまなダークなものが吹き飛ばされたような、不思議な清涼感を覚えた。

ちょっと話がヘンな方向に行ってしまったが、もともと歌や踊りというのは呪術的な世界と親和性が高い。個人的には宗教とエンターテインメントは親戚のようなものだと考えている。優れたエンターテインメントに触れたとき、心が洗われたようになるのは、宗教で言う「救い」に似ていると思う。だから、この作品は第一級のエンターテインメントだと言える。

というわけで、「肝高の阿麻和利」は、自分にとってそもそもエンターテインメントとは何か、を改めて考えさせてくれた特別な作品だった。

そしてもうひとつ、こうした優れたエンターテインメントが地域発で生み出されることに大きな可能性を感じる。日本各地にはさまざまな歴史があり、その文化はご当地グルメに象徴されるように実に多様で、面白い。日本中に、優れたコンテンツを生み出す土壌があるに違いない。

沖縄ではすでに「琉神マブヤー」や「はいたい七葉」といった、地域の文化をたくみに取り入れた最高に楽しいコンテンツを生み出している。マブヤーや七葉について語り始めると長くなるのでそれは別の機会にするが、これらには「聖地巡礼」以上の大きなパワーを発揮できるポテンシャルがある。

すでに「肝高の阿麻和利」を生み、育てた人々は「現代版組踊推進協議会」を発足させ、その活動の横展開に乗り出している。そうした動きが加速し、ぜひ日本各地から、面白いエンターテインメントが出てきてくれることを期待したいし、自分も何かやりたくなってきた。

今回の茨城公演を実現してくれた全ての関係者に心から感謝。

「肝高の阿麻和利」公式サイト

https://www.amawari.com/

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