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『ジョジョ』ミュージカルの公演中止に思うこと

帝国劇場のミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』で初日を含む複数の公演が中止となった件。思うことがあってメモ代わりに書いておきます。

まず東宝の見解。

要するに、準備に時間がかかったので開幕延期します、ごめんなさいという話。

確かにあってはならないことだが、演劇界ではときどきある話。これに対して、ネット上では「プロにあるまじき行為」「チケット代だけじゃない、交通費や宿泊費も補償しろ」という声が吹き荒れた。まあ、これも当然というか、いつもの反応。

SNSでは、同じ東宝がやらかした2013年『レ・ミゼラブル』の混乱を思い出したという声も出ていた。それどんな話だったっけ。とぐぐったら自分のブログが出てきた。

あーこれか。開幕直前に主役(トリプルキャスト)の怪我が続発。それに伴い突然の公演中止や、主役の交代が起きた。怪我は仕方ないけど、休演した主役のひとりキム・ジュンヒョンが、帝劇のプレビュー初日に登板した数日後に韓国で『アイーダ』に出演し、また帝劇に戻る、という強行スケジュールだったことが分かり、無謀なキャストスケジュールを立てた東宝に批判が集まった。

確かに主催者側の無計画さが招いた事態、という意味では今回のケースと重なる。

その時と異なるのは、今回、東宝が「チケット代を返金するだけでなく、交通費や宿泊費も補償、もしくはキャンセル料を負担」と言い出したことだ。こういうケースでも、チケット代以上の負担をするケースは東宝に限らず滅多にない。特に東宝は、いつも木で鼻をくくったような塩対応だったイメージがある。いったいどういう風の吹き回しだろう。

この対応については評価する声も大きい。だが、果たしてそれは正解だったのだろうか?

自分は、興行主側がチケット代金以上の補償に乗り出すことは、あまり良いことには思えない。

確かに予定通りに幕を開け、観客を劇場に迎えることは、チケットを販売した者としての義務である。そのために最大限の努力をすることは、社会人、法人として当たり前の姿勢だ。

それでも、間に合わないというケースは実際に起こりうる。初演の作品であり、さまざまな凝った仕掛けを用意した舞台であれば、その確率はハネ上がる。

やむなく開幕延期となった場合、チケットの返金だけでなく交通費や宿泊費の負担しなくてはならない、となったら主催者はどう動くだろう?

例えば保険をかけて、その場合の負担金を確保しておくというように、ビジネス的にリスクを軽減させる手はあるかもしれない。しかしそのコスト、保険であれば保険料は制作費に上乗せされ、結果チケット代の高騰を招く。

逆に絶対に初日をずらさない、という方向になると(普通はそう)、当初やろうとしていたことをいくつか、もしくはほとんど「諦める」ことになる。それを繰り返していけば、当然舞台は「つまらない」ものになる。

どちらにしても、ワリを食うのは観客なのだ。特に、自分は後者の「無難な作品として生まれてしまう」ことを危惧している。

そう考えてしまうのは、ある作品の体験が大きい。2010年末にブロードウェイで幕を開けたミュージカル『スパイダーマン Turn Off the Dark』だ。

映画も大ヒットしたあのスパイダーマンを、演出にジュリー・テイモア、音楽にU2のボノ&エッジを迎えてミュージカルしようという、ブロードウェイ史上稀にみる一大プロジェクトだった。

ところが、本格的な舞台稽古が始まるとスタントマンを中心に怪我人が続出。両手両足骨折という大けがをする人も出て、プレビュー公演の開始は遅れた。そして何とか始まったプレビューでも、ひんぱんに舞台装置の不具合が出る始末。自分が観に行ったときも、一幕最後に装置が止まってしまい、天井から宙づりになってしまったグリーン・ゴブリンが観客に愛想をふりまくという貴重な場面を目撃した。ちなみにそのグリーン・ゴブリンは昨年『ハデスタウン』でその姿を見たパトリック・ペイジである。

結局この作品、プレビュー公演を延長したがこのまま開幕は無理と判断して、ジュリー・テイモアを実質的に解雇。大幅に手直しして開幕を迎えた。

自分は2年後にこの手直しバージョンを観たのだが、これがたいそうつまらなかった。テーマパークのショーのようになってしまい、演劇らしさが失われてしまっていた。

プレビュー公演の最初のシーン。突然現れる瓦礫の中に立つスパイダーマン。その光景を目にしたとき、全身に鳥肌が立つほどの興奮を覚えた。あのシーンだけでも、もっと多くの人に目撃して欲しかった。その機会は永遠に失われてしまったのだ。

もちろん、怪我人を出してしまうような舞台は上演してはいけない。そして多くの出資者から資金を集めている主催者としては、幕を開けないわけにはいかない。結果、さしたる感動も得られない中途半端なものとして世に送り出してしまう。それはいったい誰のための作品なのだろう?

あの『ジョジョ』を舞台化するなら、『スパイダーマン』と同じ轍は踏んで欲しくない。

今回、自分は帝劇のチケットを買っていない。だから冷静にそんなことを言えるのかもしれない。それはそうだ。実際、上の『レ・ミゼラブル』のエントリーを読むと、自分もだいぶ怒っていた。

怒っていいのだ。むしろ東宝や四季、宝塚といったある程度固定層を持つ興行主は、ちょっとファンの大人しさに甘えているところがある。きちんと幕を開け、クオリティを保った舞台をみせてもらうためにも、主催者と観客はある程度の緊張感を保っていなくてはいけない。

だからこそ、これは反論もあるだろうが、チケット代以上の交通費、宿泊費などは、あくまで観客個人のリスクとして支出すべきだと思う。

別に頼まれて観るのではない。自分が行きたくて、伊達や酔狂で観に行くのだ。自分はいま茨城に住んでいるけど、観たいものがあれば東京はもちろん、札幌だろうと福岡だろうとアメリカだろうと足を運ぶ。その支出は自分の示す覚悟であり、主催者にはその覚悟を受け止めてほしい。そこで生まれる緊張感こそが、面白い作品を生み出すことにつながるのだと信じている。



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