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言葉を自分の中に、蓄えている

本を読むとき、音楽を聴くとき、友人と話すとき。

23歳くらいまでは、言葉というのは、いつも消耗品だった。その場で楽しんで、寝て起きれば消えてなくなるだけ。

今は、いつも意識して”言葉を蓄える”ようにしている。消えていかないように。


evernoteに、「いい言葉」というメモを作ったのは、もう3年前のことだ。

3年前、本格的にインターネットでの発信を始めた。ほどなくして、「いい文章を書きたい」という思いが湧いてきた。

いい文章をつくるためには、いい言葉を蓄えなければいけない。そう思ったから、いい言葉をちょくちょくメモしては見返していた。

だけど、僕のこの努力は、他人からは見えない。このメモは完全に自分用だから誰にも見られることはないし、毎日こまめにメモしている努力に気づいてもらえるワケでもない。

そう考えると少しさびしいな、と思っていた。人間は弱い生き物だ。褒めてもらえる領域のことでなくても、できれば褒めてもらいたいと思ってしまう。

だけど先日、とうとうこの努力を褒めてもらえた気がするできごとがあった。それはすごく嬉しい経験で、3年間の努力が報われた気がした。


昨年から、僕は小説を書いていた。ダンゴムシの世界の恋愛ゲームを作ろうと思い立って、脚本代わりの小説を書いていたのだ。

先日、この小説を完結させた。そこに寄せられた感想の一部がこれだ。

男性の一人称、男性視点の小説でありながら、後半からは同じ女性同士としてヤコに感情移入してしまい、ヤコが大声で泣くシーンでは、もらい泣きです

小説のヒロインに感情移入して、「もらい泣き」してくれたらしい。こんなに嬉しいことが他にあるだろうか。

物語のクライマックスである「ヒロインが大声で泣くシーン」は、僕がストックした「いい言葉」が大活躍してくれた。最後の一節がこれだ。

赤ん坊は、泣きながら生まれてくる。ヤコも今、新たな一生のスタートを切ろうとしている。かつて覚悟した孤独な一生ではない、誰かと歩むことができる一生だ。

彼女は、もう一度生きるために、泣いていた。

実は、このシーンは一度書き直している。最初はもっとあっさりしたストレートな文章だった。

初稿は書いていて、何か足りない感じがあった。そこで頼るのが、「いい言葉」のメモだ。何千行とあるメモに、目を走らせる。

泣きながら生まれる子どものように
もう一度生きるため泣いてきたのね
(中島みゆき「誕生」)

僕の大好きな曲。中島みゆきの「誕生」の歌詞が目に留まった。ああ、なんて素晴らしい修辞だろう。

この修辞を、追加させてもらおう。中島みゆきに敬意を払いながら。


そして完成したのが、現在の文章だ。

書き上げたとき、初稿よりも文章がずいぶん洗練された気がして、満足した気持ちで公開ボタンを押した。

もちろん、そんな書き直しの経緯は誰にも見えない。僕の満足は、僕だけのものとして完結するはずだった。

だけど、「もらい泣きしました」という感想がやってきた。これはめちゃくちゃすごいことだ。初稿には、人を泣かせるほどの力は絶対になかった

追加した修辞が、ストックしてきた言葉が、見えない努力が、読んでくれた人の心を動かしたのだと思う。


僕たちは、ものを作る人は、努力をアピールして褒めてもらうことはできない。

作ったものを見せることしかできないからだ。その完成度だけが全てで、裏側に努力があるかどうかは関係ない。”がんばったで賞”は存在しない

それでも時々、ホントウに時々、「ああ、努力が報われた」と感じる瞬間がある。そんな瞬間がたまらなく好きだから、僕たちは努力をする。

目に見えない努力って、そういうものなのだろう。


僕は、これからも言葉を蓄え続ける。

あなたとの会話でいい言葉を聞けたとき、急にメモを取りはじめるかもしれないけど、どうか引かないでください。

そのメモは、いつか報われるかもしれないから。報われたときは、あなたにも一声かけますから。

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