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聖地巡礼記チベットへゆく⑨神秘体験でみた世界とポタラ宮殿の朝

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

神秘体験でみた世界とポタラ宮殿の朝

拉薩に着いた初日 僕はとても興奮していた

夜7時30分に拉薩に着いて駅前から
見える高層住宅や
街並みを見て3700mに位置する高地を
忘れてしまう

拉薩MAP1

夜ごはんを食べにジョカン寺を散策し歩く

拉薩MAP

高地でなければ大した運動ではないが
徐々に息切れをし
ホテルに戻る頃には軽く高山病の気配がしていた


早めに寝て深夜3時
頭痛の痛さに目が覚める

寝れない程 頭が痛い
ズキン ズキンと痛みがやって来る

ちょっとマズイな~
でもチラッと腕時計を見ると3時過ぎ
妻は熟睡している

しばらく我慢していたが

傷みは引かない

部屋の酸素吸入機を使うまでもないと
思い痛みに耐えるように瞑想をして
気分を紛らわせていた

たまに仕事で疲れた時に瞑想し
気分転換をする事があるが
瞑想というイメージをしながら
静かに何も考えてない時間を過ごすだけの事


瞑想ごっこに過ぎない

色んなチベット関連の本や
インドのヨーガ―の本などで
みる瞑想とは随分違う 僕の瞑想ごっこ

しかし この時ばかりは
いつもと違っていた

痛みから逃れるように意識を集中していると
不思議な感覚に吸い込まれていく

意識がドンドン上昇していく

空高く意識が上昇し更に上へ上へ
空に終わりがないかのように

ドンドン加速度的に上昇していく
感覚的には有頂天うちょうてん
上り詰めるかのような感じ

気が付けば僕の意識が
泡のような中に浸かるような景色の中にいた

僕の意識に誰かが話かける
僕は何個かの質問をしていた

会話という感覚ではないけど
これは?
仏教って?
死とは?

そんな事を聞くような感覚で
意識の中で質問をしている

泡のようで形は常に変化し
動きに法則性もなく
予測の出来ない動きの中で
でうごめいている

この世のことわり

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そして
朝僕は7時に目が覚めた
僕は夢を見ていた・・・のか

頭の痛みは少し治まっていた
瞑想か夢かよくわからないまま
ベッドの上で天井をみて
考えていた

窓の外はまだ暗い

確かに だれかが
この世のことわり と僕にその光景を
見せたような気がした

夢かもしれないし神秘体験かもしれない

そこで感じたのは
この世の全ては影響し合い繋がっている
という世界だった

あらゆるものが繋がっているのだと

僕が手を振ると
空気の波動が波紋のように広がり
どこかに影響を与えながら
遠い場所にも影響を及ぼしていく
それが直接の影響ではなく
色んな動きが連鎖していく中で
僕の動きもその一部

バタフライエフェクトと同じく
世界は全てが密接に関係しあい共鳴してる
風、物質、空気、素粒子、ダークマターまでも

全ては影響しあっている
まさに泡のような世界

そして泡には固定観測できる実態はない
常に変化し変わり
拡大し
縮小し
融合し
分裂し
増殖し
消える

仏教でいう
色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき
■この世の全てのものに実態はなく縁起えんぎにより存在する

この世は全てくうである

般若波羅蜜多はんにゃはらみたは宇宙を説いている

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2次元で表現はできないが
ビジュアル的にイメージした絵を描いてみた
この絵に表現される泡のようなものは
共鳴し合い常に動いている
決まった法則も形も大きさもないから名前もない

僕は般若心経を読める訳でもなく
信仰してる訳でもない

仏教の歴史に興味を持ち
インドに行きチベットへやって来た
般若心経はんにゃしんぎょうを生んだルーツをたどれば
バラモン教典のウパニシャッドへ繋がる

大乗仏教の発展と共に
インドで生まれた教典は現在も
玄奘三蔵げんじょうさんぞうの漢訳のまま読まれている


仏教の真理を頭で理解するには難解だけど
何となく 空を体感した気になった

ダライ・ラマ十四世も般若心経はんにゃしんぎょう
熟知せよと弟子に説いている

仏教という宗教は時に不思議だと思う

精神世界で心を救済しながら
この世の原理 宇宙の真理を説く

国の法を犯して旅に出て戻った
玄奘三蔵げんじょうさんぞうが残りの生涯をかけ大般若心経だいはんにゃしんぎょうを漢訳した
その教えは大乗仏教の軸となり定着した

そしてチベットにも伝わる
ゲルク派は大乗仏教の教典を中心に扱い
歴代ダライ・ラマも厳しい修行で
極める教典の一つでもある


近年
量子論の研究が進むにつれ
仏教世界が説く因果性は
科学的に立証し始めている

この点が他の宗教とは違い面白い

仏教は(密教)は宇宙の真理を知れる
真言宗開祖 空海が興味を惹かれた点も
うなずける

ダライ・ラマ十四世も量子論が導く解と
般若心経との関係を指摘している事も興味深い

何となく本で読んではいたけど
あまり理解していなかったが
穴埋めパズルが嵌るように

僕の仏教ってなんなんだろう?
という素朴な問いの
空白を埋めて行く

仏教が誕生する遥か前から
この宇宙の真理を求める信仰は
インドで起きている

今、僕らはバラモン教から変化した
ヒンドゥー教と仏教を通じてそれを知る

仏教は時代の流れと共に元の姿が
見えない程 服を着すぎている
権力争いによる分派や教えは
山ほど生まれ意味のない戒律を作る
後付けされていく物語は神格化し
都合のいい神を量産していく

それを細かく正確に理解できるほど
僕らは無欲な生き物ではない
しかし
それが仏教文化を生んでいく

僕は夢の中で質問をしたはずで
その答えを聞いたはずだったが
思い出せないまま朝を迎えた


朝のポタラ宮殿を見る為に起き
僕は服を着替えながら妻の劉さんに

不思議な夢を見た事を話すと

妻は えっー・・・ほんとう?
と僕の話を半分信じて半分疑いながら

あー
ヒドイ高山病ね(笑)って

いやいや・・・
あのー僕は
スゴイ事を理解した気がするんだけど!
高山病だけど高山病じゃないって(笑)

仏教ってすごいよ!
この宗教が伝えているのは
人を助けるとか死んだら地獄とか
お布施とか、祈れば救われるとか

そんな上辺事じゃない

宇宙の真理を・・・・(笑)
と僕は一人興奮してると

神とか泡とか どうでもいいから
そんなに興奮して
高山病にならないでね

まぁ そうなると思った(笑)
ガンジス川で沐浴してないヤツには
わからないさ(笑)


少し東の空が青くなり始めてた頃に
ホテルを出てタクシーに乗り
ポタラ宮殿へ向かった

綺麗に見れるポイントがある

昔の拉薩の玄関で
大きな仏塔が建つ場所の横の丘に
小さな展望台がある

そこで皆写真撮影する為に朝
人が集まる

僕らも そこに行き
写真を撮影する為にいく

タクシーでメイン通りに出て右に
ポタラ宮殿の真下に出て見上げると
かなり大きい事がわかる

迫力がある

歴史と古さと伝統と神秘的な城


マルポリの丘にはチベット統一した王
ソンツエン・ガンポが修行した
洞穴があり、そこに建造されたのが
ポタラ宮殿
ダライ・ラマ五世が着工させるが
五世は完成を見ずして他界する

展望台に上る短い階段でも
僕は息をきらし
思うように体が動かない

少し階段を上がるだけで息が切れる

頭の痛みは酷くないけど
それでもジワジワ締め付けられる

不思議な夢が頭をグルグル駆け巡り
自分でも整理できていない
でも何だか腑に落ちた感覚になり 
思いのほか
心は すっきりしていた

太陽が東から登って来た

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神秘体験でみた世界とポタラ宮殿の朝

1日が始まりポタラ宮殿に朝がやってきた


⑩へ続く ラモチェ寺(小昭寺)にみる信仰とパンチェンラマ

チベットへ行くはシリーズでつづっています
是非過去記事からどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓過去記事はこちらをどうぞ!

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

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