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聖地巡礼記チベットへゆく③仏教はヒマラヤを超えた

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

仏教はヒマラヤを超えた

仏教と言えばインドと思うかもしれないが
実は少し違っている

インドにおける仏教徒は
ほんの数%程と言われ
ヒンドゥー教徒が80%程を占める

イスラム教、他にもジャイナ教など

仏教の国と思っていたインドは
遥か昔の話だった

この事実を知り仏教の歴史を
知りたくなった

ヒンドゥー教は
カースト制度の上に成り立つ
宗教とも言える

カースト(血統)は職業身分を現した表現

カーストを持ち込んだのは 
遥か昔のアーリア人の思想だと考えられ
バラモン教と同時にインドに根ずいていく

カーストの主な代表は4つ上位カーストに
①バラモン(司祭)
②クシャトリヤ(王族、士族)
③ヴァイシャ(庶民)

下位カーストに
④シュードラ(隷属民)
に区別されている

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そこにも属さない

⑤ダリット(不可解民)が存在する
属にアウト オブ カーストと
呼ばれる層

カーストは僕らが思うほどユルイものではない
バラモンは下の下層の人が作る食事は口にしない
その為 雇う料理師はバラモンしか雇わないとか

アウトオブカーストに属する
洗濯を請け負う職の家系は
一生その仕事しかできないとか

皿洗いの職なら 
一生炊事場の洗い物をするとか
掃除の職なら 
部屋の掃除を一生するとか

細かく分担が別れ存在し
上のカーストの人は下位カーストを
見下すような構図になる

カーストを理由に差別行為は禁止されたが
カースト制度自体を廃止してはない
いや出来ないという方が正しい

ガンジーですら廃止できなかったほど
生活、文化に根づいている

血統を意味する事から
その家系に生まれたら
それはもう死ぬまで変わらない
事を意味する

司祭のバラモンを頂点とするピラミッド構造
その為バラモン教と呼ばれる

インド旅行に行っても
その様子を垣間見る事もできた
人権は平等という僕らの感覚では
理解が難しい

かといってカースト廃止が正しいかといえば
また少し様子は違うようだ
僕らの価値観は当てはまらない

初期インドではアーリア人により
バラモン教が持ちこまれ広がりをみせる
そしてバラモン教の教典ともいえる
ヴェーダの聖典が形作られていく

ヴェーダとは
インド最古の宗教的文献の総称
約1,000年以上かけて思想をを築き上げ
集積されたもの

天啓文学とされ
太古に神から神秘的霊感を得て
感得したものとされて
口頭により伝記、暗唱する事が中心

大きく4つのヴェーダがあり
更に編集され奥義書として

ヴェーダーンタ(ウパニシャツド)と
呼ばれるものがある

その中に
ブラフマン(宇宙の根本原理)
アートマン(我 個体の原理)

これは究極的には同一であると
悟った者が解脱できると説いている

これは宗教より哲学的である

このヴェーダーンタを極めようとする流れが
バラモン教やヒンドゥー教の根本にある

その手法実践の一つに
ヨーガ(ヨガ)が発達していく
呼吸法により体内の気をコントロールし
精神世界へと意識を上げる瞑想方

そして

輪廻思想との関係

輪廻転生とは 
生まれ変わり来世へと繋がり
肉体は滅ぶが魂は繋がり生き続ける思想

僕らは輪廻転生をオカルト的に
信じる 信じないとかを
議論したりする

でも来世があるという思想を持つ事で
亡くなった人を想い 
またどこかで生きているとか

自分も来世があると信じて
安らかに死に臨む事をイメージする
とか
どちらかと言えば
いいイメージがある


しかしバラモン教では
輪廻は苦しみそのもの

生きる事は苦しい
人として生まれれば
いつかは死を味わう

死の苦しみ
生きる苦しみから逃れたい
だから解脱をする(輪廻の輪から抜ける)

釈迦も解脱する事を説いた人で
①病気する苦しみ
②老いる苦しみ
③死ぬ苦しみ
④生きる事自体が苦しみ
その他に8つの苦しみを合わせて
四苦八苦という

やはり生きるという事は
苦しい事

なぜ人は苦しみを味わい続けるのか・・・
それから逃れる方法はないのだろうか
その問いこそ 釈迦が説いた教え
原始仏教だ

釈迦の時代に経典はない
体験して理解して修行により解脱を目指す
実践的な教えだからだ

僕らが知る大乗仏教は
釈迦の死後に作られた新たな思想
民衆を救済する政治的な面や
大衆を巻き込み仏教の生存をかけ
変化した教えに経典が必要とされた

輪廻思想には恐らくカーストが
関係していると推測されている

身分の低いカーストに生まれた場合
死ぬまでその身分

しかし今世でしっかり徳を積み
現カーストを全し来世へ繋げる事で
ピラミッドの上の層に上がるように
来世の為に今世を生きる

そして今世のカーストは前世の行いの
結果として現れている

そんな仕組みに利用されているのが
輪廻思想システムかもしれない

最下層に生まれた人への
精神的救済とも
納得させる為の残酷な仕組み
とも言える

インドではバラモン教の最盛期に
幾つかの思想が生まれ
その中で釈迦、マハーヴィラ(ジャイナ教)など
カーストを採用するバラモン教に比べ

釈迦の教えはカーストを否定している為
仏教は⑤ダリットのカースト層を中心に
信者を拡大していく出家し仏教に転じた
方が楽に生きられるからだ

バラモン教は土着信仰を取り込み
シヴァ、ビシュヌ神などを中心に
ヒンドゥー教へと変化していく


土着信仰によりあらゆる神が存在し
多神教を受け入れ大衆に支持され

ヒンドゥー教は勢力を拡大していく
そしてインドで生まれ開花した仏教は

西暦1000年あたりを最盛期に徐々に
ヒンドゥー教に押され衰退していく

インドには古くから仏教大学があり
有名なところで
ナーランダー僧院
ヴィクラマシーラ僧院

が有名で

1193年にナーランダー僧院が破壊
1203年にヴィクラマシーラ僧院が破壊
これを最後に
仏教を生んだ国 
インドで仏教は衰退した

この二つは三蔵法師が
大唐から天竺を目指して来た時に
学んだ学校でもある
西暦640年前後の頃

大乗仏教は三蔵法師によつて
長安に渡り漢訳され
さらに進化を遂げて広がっていく
ほぼ同時期にインドで新たに
密教が注目されだす

術的な真言や原始仏教的な要素や
護摩(ゴマ)や大日如来を頂点として
曼荼羅を形成し宇宙の真理を説く 
その系譜は
ヴェーダーンタ的でもあり
大乗仏教とも異なる

■ナーランダー僧院
大乗、上座部、密教が揃って学べた僧院だった

■ヴィクラマシーラ僧院 インド後期仏教の総本山


インドで仏教が衰退する少し前

西暦1042年
ヴィクラマシーラ総院長の
アティーシャがチベットに招かれ
上手く定着しないチベット仏教の
立て直しに力を入れる

アティーシャはインドへの帰国途中に
カイラス山の南で
チベットの僧侶 ドムトゥンと出会う

ドムトゥンに説得されアティーシャは
インド帰国を中止し拉薩に招かれ
ジョカン僧院で純粋な密教を教える

その教えを得てドムトゥンは拉薩の北方に
レティン僧院を建立する

このレティン僧院は 
後にダライ・ラマの教師的役割を務める
称号 レティン・リンポチェを
輩出する寺になる

アティーシャはインドに帰る事なく
チベットで生涯を終えた

ヴィクラマシーラ最後の僧院長が
仏教最後の灯を
インドの後期仏教、密教を受け継ぐ
チベットへと託す事となる

チベットは正当にインドから仏教を継承した
西暦1203年の事

そしてインドで
仏教は衰退し最後の灯は消えた

チベット仏教も決して一筋縄でない
とても複雑である

インドより引継ぎ継承し持ち込まれた
教典は膨大にある

その後チベットは仏教国として
開花する歴史をたどる


仏教は出家という仕組みが
大衆を味方にしにくかった
信者を増やすには
出家し厳しい戒律もある

それに比べてヒンドゥー教には
そんな出家制度はない
だれでも、どこでも神に祈るりをささげ
より身近な神を祭る

生活に溶け込む様々な神たちに
大衆は共感を得て 
厳しい戒律制度にある仏教は
排除されていく流れに負けた

という歴史がある


この前提を知る事は
チベット拉薩へ聖地巡礼する上で
とても重要な知識になる

インドで生まれた仏教が何故衰退し
チベットへ託されたのか

インドでは仏教に関する
歴史的価値のあるものは
大抵破壊されてしまった

値段のつけようのない
仏教的価値の高いモノが
チベットに持ち込まれた

それを収蔵するポタラ宮殿は
仏教界にとっての
巨大な宝庫そのものでもある


チベットに何を託したのだろうか

仏教はヒマラヤを超えた


その意味を知る為に
チベットへゆく 価値を僕は見つけた

④へ続く

この記事は仏教の教科書や歴史書ではありません
チベット旅行を通じて見聞きした体験を中心に個人的な感想を記事にしています。歴史的背景は参考する書物によっても見る視点によっても変わります。その辺をご理解を宜しくお願いします

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓過去記事はこちらをどうぞ!

↓↓↓聖地巡歴記 インド編 はこちらをどうぞ!

↓↓↓聖地巡歴記 西安編 はこちらをどうぞ!

↓↓↓インドの聖人ラーマクリシュナ


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