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居住の夢 第19話 「林・富田邸/ハイムM1」 工業化住宅の住みこなし |竹内孝治@take_housing

◎420万戸とも言われた住宅不足解消から始まり、より人間的な住まいを求めてさまざまな試みがなされていった戦後の住宅ムーブメントを年代順に追うシリーズ。(過去の連載は→こちら
◎第19回は、先進的な工業化住宅を見事に住みこなしてみせた「林・富田邸」。住宅はこんなにも自由なのだ。波及効果は、周囲の庭、さらにはまちにまで及ぶ。 
*『建築ジャーナル』2019年7月号 に掲載した記事に大幅加筆したものです
たけうち・こうじ1975年三重県生まれ。木造住宅メーカーの営業職を経て、現在、愛知産業大学講師。専門は日本近代建築史、住宅計画。主な論文などに「建築史家・関野克の『日本住宅小史』にみられる『國民住宅』論に関する研究」(日本建築学会計画系論文集、2019年5月)、連載「木造建築の語られ方(全6回)」(JIA東海支部会誌『ARCHITECT』、2017年10月号~2018年8月号)など 


建築家の自邸×工業化住宅

 いわゆる建築家の自邸である「林・富田邸」と聞いて、真っ先に「起爆空間」が思い浮かんだのだけれど、落ち着いて考えてみたら自邸じゃないし、もう現存していない。
 名作ドラマ『泣いてたまるか』(第25話、1966年)や『ウルトラセブン』(第12話、1967年)など数々のテレビ番組にも登場した不思議な住宅「試みられた起爆空間」(1966年)を設計したのは、都市計画家・林泰義さんと建築家・富田玲子さん。
 建築家・宮脇檀は「試みられた起爆空間」についての評論を60年安保から説き初め、「林泰義が再びヘルメットをかぶり、バットを握って私たちの前に登場してきた」のが「起爆空間」であり、建築設計が直面する「閉塞状況に対する若者らしい爆弾の投入だった」と評している★1。当時、泰義さんは30歳、玲子さんは28歳であった。

 そんな「起爆空間」を設計した林泰義さんと富田玲子さん、そして泰義さんの妹で料理研究家、元建築家でもある林のり子さん家族の住まいが「林・富田邸」(1972年)だ。建築家たちの自邸が自分たちによる設計じゃないだけでも驚きなのに、それはハウスメーカーによる住宅「セキスイハイムM1」(以下「ハイムM1」)だった★2。

 「ハイムM1」は国内有数の化学メーカー・積水化学工業が住宅事業に進出すべく、建築家・大野勝彦と共同開発した工業化住宅だ。プロトタイプが公開された1970年当時、まだ珍しかった「ユニット工法」を採用したもので、工場生産された長さ4.8m×幅2.4m×高さ2.7mのユニットをトラックで運び、現地でクレーンを使い組み立てるスタイルは、従来の住宅像とは随分と異なっていた。

 そんなハイムM1による「林・富田邸」は、1972年の竣工以来たびたび増改築を重ね住みこなされた工業化住宅の事例として、数々の雑誌メディアに取り上げられてきた★3。建築家たちの住む「自邸」が、ハウスメーカーの工業化住宅という意外な組み合わせ。そこから新たにどんな居住の夢が見いだせるだろうか。

家は家族だけのものではない

 「林・富田邸」に訪問したのは今年5月。木々に覆われたその住まいは、ハイムM1であることに気付かないくらい自然体で佇んでいた。

建築概要
所在地:東京都世田谷区玉川田園調布2-12-6
用途:住宅および店舗 構造:鉄骨造+木造 規模:地上3階
敷地面積:500㎡ 建築面積:187(→201)㎡ 延床面積:360(→388)㎡
竣工:1972年
設計:大野勝彦+積水化学工業(改修設計:林泰義・富田玲子・林のり子)施工:積水化学工業 

 築46年の歳月を経た工業化住宅ながら、名作住宅にありがちな、時の流れに逆らって頑張って残されている感じがしない。2階の窓から「いらっしゃい」と泰義さんが顔をのぞかせる。

   出迎える林泰義氏と富田玲子氏(写真特記なきは、撮影・本誌)

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