南国でカフェ創り その1(脱労働者

そもそも、なぜカフェを作ろうと思ったのか?

忘れないように書き残しておこうと思う。
とか思ってツラツラ書いてたら、長くなってしまった・・・。

参考にならないと思うけど、ラノベ的に読み物として消費してもらうか、
若い人には何かエッセンスを勝手に抽出してもらって、
こうはならないぞ、と反面教師にしてもらえば
このnoteもデジタル世界で成仏できるかもしれない。。



10代20代と建設業に従事して、高校在学中にも学校をサボって日雇い労働するなど、以前はどっぷりと建設業に浸かってた。
地元の先輩にあたるようなヤンチャな人達は、ほぼ、ヤ○ザか建設業。
それをみて自然に、そうなるしかないんだろうな・・と。

ホームレスや元ヤ○ザ、逃げて逃げてそこに落ち着いた人など、
いわゆる社会の最底辺の人達と、あまりにも自然に触れ合ってた。
ぼくも子供だったし、特に偏見も何もない。

むしろ大人の一員として働いて、
その日にお給料の日当8000円程度を貰えるのは嬉しかった。

まだインターネットも普及を始めた時期、福岡のクソ田舎のヤンチャなガキには選択肢なんて、見えなかった。
その後、どうせなら日本一の街を見てやろうじゃないか?と
高校卒業と同時に東京に上京。

当時流行ってたHIPHOPにハマり、渋谷や原宿でキャッチしてる黒人に話しかけて「ドゥーユーハブ、ジョブ?」みたいな。笑

原宿の竹下通りの服屋が雇ってくれて初アパレル。
でも、全然面白くなかった・・
しかもブランド物は全部偽物・・・
同僚の黒人にカタコトの英語で話しかけてたら

「なんでお前は英語使うんだ??」って聞かれる始末。
なんと東京界隈でB-BOYの服を売ってる黒人さん達は、
ほとんど全員アフリカ人だった。笑

その日の夜に「俺辞めるは、偽物とか売りつけたくないし。」
って社長に電話したら、
「ちゃんとそう言って辞めるのはお前が始めてだ、ウチの服屋で買い物する時は半額でいいし、いつでも戻って来い」
とか褒めらたのも、今となっては全部、良い思い出。。

その後、また福岡へ戻って足場屋さんをしながら、
朝の6時から21時まで、休みなく本当に死ぬほど働いた。
お陰でアメ車を買ったり、たくさん楽しめたけど、
なんか違う。
なんだこれは「俺たちは働きアリか・・?」

夜になって周囲も暗くなり、
田んぼの真ん中にあるヤード(材料置き場)で次の日のために
トラックに足場材を載せていると、
会長がセルシオに乗ってスーーーッっと音もなく寄ってきて
ひと言「おつかれっ!」

社員のぼくたちは文字どうり命がけで働いてた。
ビルの10階なんかでも命綱はナシ。
理由は時間が勿体無いから。笑
命綱準備する時間あるなら、さっさと足場を組んでしまえ!
っていう理論。

なんか可笑しい・・・・
会長は大金持ちでほとんど働いて無い。
俺らは朝から晩まで、ランチもトラックを運転しながら
片手はハンドル、片手はカップラーメンみたいにして
食事の時間も惜しんで働いてた。

そんな感じで働きながら、1年くらい悶々してた。
なんか違うよなー、って。

で、ある時ふと、
当時パカパカと呼ばれる2つ折り式のケータイ電話
に内臓されてた辞書で、聞いたことあるような
ないような4文字を入力してみた。

「資本主義」

学校の勉強も真面目にしなかったし、
そんなもん役に立たない、って思い込んでたし、
当時はほんとに意味がわかってなかった。

たぶん、トラックを運転しながら聞くラジオで
そんな会話を聞いたんだろう。笑

そのケータイの辞書を作った人もシャレてて、
訳にはこう書いてあった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「資本家が労働者を労働力として雇い、資本の拡大を追及する仕組み」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自分の中ですべての謎が繋がった。
これに書いてある「労働者」とは自分のことで
「資本家」とは会長のことだ。

それじゃあ、ぼくは労働力という商品なのか??????

「労働力」って何だろう??
労働力とは、自分のスキルや会社で働いて役に立つ時間。
日給1万円なら、それが「自分の1日の値段。」

ということは俺の1日には値段がついているのか???
1日っていっても、限られた寿命の中の1日だぞ??

自分が労働力を売っている、と気付いてからは、
働きながらも、ずっとそんな問いを頭の中で繰り返していた。

で、突き詰めて考えると、
ぼくはぼくの時間を労働力として売っている。
では時間とは?
ぼくにとって時間とは、寿命だ。
「自分がこの世に生きる間に使える命そのもの」だった。

命は地球より重い、って誰か言ってなかったか??

あーー、ぼくは命を切り売りして、お金に替えてたんだ。
その時は、
「ふざんけんな、俺の命が一日1万数千円だと!?」
1日100万じゃないと売りたくない!!!とか思った。笑

それから少しして仕事を辞めた。
その仕事での未来も予測できてしまうし、
成功したとしても、それがぼくの人生の成功とは思えなかったから。

で、ジャマイカでも行ってフラフラしてみようとか、
いろいろ考えてみたんだけど、

最期はやっぱりお金が無いと、結局「労働者」に戻っちゃうよな、と。
それがイヤだから「よし!先にお金をしこたま稼いでしまおう!」
って決意した。

何か新しい情報を得ようとノートPCを20万円で買った。
当時23歳くらいか?
まだインターネットやPCも普及しつくしてはなかった。
いま思えば、
これが僕の人生で始めての「投資」だったのかもしれない。

結果的にうまくいった。
PCとの出会いが、僕の人生を田舎の片隅から世界に広げてくれた。

情報商材に散々ダマされたり、お金が無ければ東京のセミナーへ
ヒッチハイクで行ったりした。笑
とにかく必死で、自分の知らない何かを探した。

それから紆余曲折を経て、ある人との出会いがあった。
その人は30代で複数社のオーナー。
自分からした雲の上の存在。
ノート片手に必死でその人の言葉に耳を傾けてたら、こんなことをふと。

「僕は自分が投資の勉強をしたかったから、投資の会社を作ったんですよ」
???
はっ??
投資を知らないから、投資の会社を作った??

それを聞いてからしばらく考えて答えをだした。

起業して稼いでも時間がなくて使えないなら意味が無い。
そもそもお金が欲しいのは遊びたいから、なんだから。

じゃあ、最初っから投資家になろう!
その人の言葉に影響を受けて、そう考えてしまった。

いま考えると、トレード(投機)と投資は違うんだけど。笑

その人に、大事にしてる言葉や考え方はありますか?
とも聞いてみた。

「僕もそんなふうに憧れてる先輩から教わった大切な言葉があるよ。
それは、本質を見極めろ、だよ。
上辺だけじゃなくて、その物事の本質を見極めるんだよ。
僕はそれをずっと大切にしてる。」

僕もそれを聞いてから、自分の中でずっと大切にしてる。
たまに間違うこともあるけど、この言葉のお陰で
本当に大事なところ、で間違えないようにできてきたと思ってる。

そして、そこから数年間は地獄のような勉強の日々。

トレーダーならある意味当たり前だから、
もうそこの説明は必要ないかな・・
起業でも何でも一緒だろうし。
死ぬほどやって、挫折して、それでも立ち上がっての繰り返し。

で、そうこうしてたらアベノミクスで大きな波がきた。







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