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社会人になってからの私⑤

○こちらの記事は「過去の私について」のマガジンに掲載

★私の記事は麻雀用語が出る事が有ります。今までも麻雀用語は出てきてますが、分からない方はコメント欄で受け付けます。

居酒屋チェーン店を辞めた俺は職を転々としていた。日産車体の派遣で働いた21才の時に初めて雀荘へ行く。点数計算を少し知っただけの人間がピンの雀荘「さかえ」に行きだす。そこで初めて会ったのが同級生のo崎である。この雀荘で毎月ボコされた俺は彼に何処かレートの低い雀荘は無いか聞くと「点5なら暖流が有るよ」と教えてくれた。

俺は月に10万以上負け続けていたので低レートはありがたかったが、麻雀のレベルは一向に向上しない。さかえの麻雀大会なんかでマグレ優勝してしまったのがいけなかった。当時の俺はコレで麻雀が上手いと勘違いしていたのだ…

点5なら遊べると思って、麻雀「暖流」へ通い始める。週末の休みには毎週通った。この時の麻雀レベルは10のうちの1.2くらい。オーラスのトップ目で平和のリーチを掛けて喜んでいるレベルだった。常連客の人に「なんでトップ目なのにリーチ掛けたの?」と聞かれて「待ちが良かったからです」と答える程のド素人だった。

後ろで見ていたオーナーに後日呼び出される事になる。
「けんじさん、良かったらうちでアルバイトとして働かないですか?」
麻雀のレベルアップには素晴らしい条件だが仕事をやめないといけない。ただ、決断は早くいつの間にかアルバイトで働く事になった。

暫く時が経ち「けんじさんは良い麻雀を打ってるんですけどねー。しっかり私の教えた麻雀をしてるんだけど…」
オーナーの麻雀とはリーチに一発で振り込まない。リーチが掛かったら廻る。

当時は彼の言う事は絶対だと思っていたが、こんな事を繰り返したら負けるだけだと気付いたのはもう少し後の事だった。気付けばアウトオーバーの繰り返しで給料はマイナスになっていた。高校生のお客さんにも「けんじさんが居るラッキー」と舐められてばかり。

悔しかった。23才が高校生達に馬鹿にされている。何処かで自分を変えないと麻雀は強くなれない。オーナーの言ってる事は正しいのか?この店を辞める事にした。

辞めた後に俺は家を生まれて初めて出て、東風戦0.5の雀荘で働き始める。レートは決して安くないが麻雀が強くなりたいから頑張ってはみたが、四暗刻単騎を店長から上がると突然態度が変わり、夜勤に回される。挙げ句の果てにはゲーム代を集め忘れただろと俺は集めてないのに払わされたのでキレて3ヶ月位で辞めた。

麻雀は新宿で少しは揉まれてきた。麻雀は押し引きが大事だという事に気付かされる。守備は大事だが、攻撃もしないと勝てない。新宿で嫌という程に思い知ったから。暖流の頃よりかは勝てるようになった。それでも、生活費のアウトばっかりしてたからマイナスだったけどね。

24歳の時、「暖流」のオーナーが俺の4つ上位の人に代わって、どうしても店長として働いて欲しいという依頼が有った。マンガ喫茶の店長と前の暖流のオーナーが経営するラーメン屋の店長も誘われていたが、こちらを選んだ。

25歳位になった時に当時はプロではない石田時敬くんと2ヶ月程、一緒に働いた事が有る。所作が綺麗だし麻雀も強かった。俺の1つ下だが凄く大人に見えた。今はA1リーグで活躍しているので応援させていただいてます。

この店では1年働いていたが従業員が自由に遊びに行く行動が目立つ様になり、辞める事にすると「従業員が遊んでた時間をけんじさんの給料から引く」とか言われて7万円引かれた。意味が分からない!

その後は2か所の雀荘で働くも長続きはせずに28歳の時に雀荘で働くのを辞める事にした。理由は第一にお金にならない。給料は全て自腹だからだ。ゲームバックが有った雀荘は1店舗だけで1ゲーム50円だけだった。
次は腰が痛い。腰痛持ちに半日労働は堪えた。長時間打ち続けてると色々と痛む。

メリットは好きな麻雀が打てるのと、色々な人と知り合いになれる所。この仕事はコミュ能力も大事なので接客は相当磨かれた。麻雀で俺から離れた人も居るけど、今でも繋がりが有る人も居るので、この経験は貴重な財産だったと今でも思ってる。

今まで2回noteで書いてるので、ザックリと纏めて書きました。次は雀荘を辞めてからの話です。