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産まれた時の自分①

○こちらの記事は「過去の私について」のマガジンに掲載

1976年6月5日に俺が誕生する。親に後からお前は未熟児で育ったと聞いたのは小学生の時だった。
幼稚園まではとにかく良く動いて落書きしたり、何処かに行ったりして親に迷惑ばかりかけていたと。

そんな俺に神様は罰を与える。道路に何かの拍子で飛び出し、車に跳ねられて右足を骨折してしまった。人生で初めての入院だったし、凄く痛かった覚えだけは有る。入院は1ヶ月はしただろうか?幼稚園の時なので余り記憶に無い。

家の親は退院して暫くすると俺をロデオ教室へ連れて行った。怖くて泣き出してしまったので1度でやめたそうだ。

小学生に入ると俺には辛い時期が色々と待っていた。小学生2年生になると通学時は毎日の様にイジメに遭い、死ねば楽になるなと思った事が何度も有った。ここから抜け出すにはどうしたら良いか考えた。
同級生と仲良くなるしかないと思った俺はコミュニケーションを取り、一緒に遊んだりする仲までになったが、1人だけは中学3年までずっと俺の事を虐めていた。

イジメられた期間は小学2年生、小学6年生、中学2.3年生の時だった。早く高校に行きたかった。この地獄を抜ける為に…

色々と問題が有ったのはイジメだけではない。小学生になると習い事地獄が待っていた。俺は全くやりたくなかったのだが、親は幼稚園からしている水泳を習わせ、エレクトーンを習わせ、習字を習わせ、小学3年生からそろばんまで通わせた。

この地獄のおかげで学校終わりや休みの日は自然と習い事だけになり、友達と遊ぶ事が殆ど出来なかった。これもイジメに繋がった要因だと今でも思ってる。しかし、今でも親にはこの事は話さない様にしている。

水泳と習字は好きだったが、エレクトーンは高校生になった瞬間に習いたくないショックで音符の見方も忘れてしまった位だ。
全国の父母に言いたいのだが、習い事をさせる前に本人が何をしたいか聴いてあげて欲しい。本人にやる気が無かったら覚えないから。何がしたいか分からない場合は、本人に習い事をするかハッキリとした意思を聴いた方が良いよ。

本当はもっと長く書きたかったが、先の事も書きたいので続きは次回で。