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表の世界⑥

○こちらの記事は「過去の私について」のマガジンに掲載

★私の記事は麻雀用語が出る事が有ります。今までも麻雀用語は出てきてますが、分からない方はコメント欄で受け付けます。

雀荘の店員世界から足を洗った俺は、新しい人生を歩む為に求人誌タウンワークを見て「いすゞ」の派遣社員になる事に決めた。
仕事内容はシャーシをスプレーガンで黒く塗り潰すという肉体労働。仕事はキツかったが給料は丸々残るという普通では考えられない嬉しさが有った。

日頃は寮を借りて過ごしていたので何をしても自由だったが、寮費は光熱費込みで5万円と少し高い。給料は手取り22~25万位。
休みの日は職場の人と麻雀打ったり、フリー雀荘で点5打ったりしてたな。この生活は契約を突然切られて1年で終える事になった。

次は大手工場で派遣として働く事になった。こちらも1年で辞めたのだが、ここで知り合いになったK村くんが雀荘の共同経営をするという知らせを後に聞いた。俺が雀荘に行った事が無いというから一緒に連れて行った事は有るが、まさか雀荘「ラッキー」を平塚に作るとは思わなかった。驚愕の出来事だった。

30代前半になり麻雀「ラッキー」に時々行く様になった。麻雀は打ちたかったので行くと「暖流」で出会った人達が沢山居た。勿論、aokidaokidも居た。ここでkidを始め、色々な人と再会する。しかし点ピンとレートが高い為、頻繁には行かなかった。

時が経ち、オーナーが交代してからはレートが点5に変わったので休みの日は殆ど行った。常連客と知り合いになってセット面子を立てるとオーナーに呼び出された。「常連客を呼んでセットをするのを止めて貰えませんか?」と。確かに俺が悪い。店を変えてセットをすればバレずに済んだかもしれないが、ラッキーの居心地が良いのでやってしまった…暫くしてセットを自分から呼ぶのを止めた。フリーも謎の店長や店員に変わってから態度がクソ過ぎたので2度と行かなくなった。それでも4年位は行ってたのか?

ラッキーから離れて皆さんと会う機会がなくなってしまった…なんか寂しい気分だった。35歳になっていた俺はまた職を変えながら生きていた。36歳の時に家を離れて違う県で働く事を決意する。

続きは次回